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結実〜ゆうみ〜

作者: 大橋 秀人

違う高校に進んで接点の途絶えた結実を太一が家に連れてこられた理由が、淳史にはわからなかった。

家が近所であるからと言ってそうそうばったり出くわすわけもなく、恐らく太一は結実が帰宅するのをしぶとく待っていたのだろう。

お陰で自らの誕生会の料理は冷めきっていたし、招待された男女六人も醒めきっていたが、当の主役はホクホク顔だった。

三時間遅れで開始された誕生会は盛り上がるわけもなく、折角呼んだ女の子たちも早々と帰っていった。


太一の部屋は元は応接間として使われていた部屋を自分仕様に変えていたからそこそこの広さがあった。

それでも八人を収容するには少し狭かったが、女子三人が連れだって帰ってしまうと部屋は一気にガランとした。

「わたしも帰るね」

結実ももちろんそう申し出たが、この日の太一には粘りがあり、なにかにつけて彼女を引き留めた。

が、本来知り合いの女子と会えるという誘い文句で来た彼女が部屋にとどまる理由はなかった。

待ちきれず帰ってしまった女子達の少し後で、結実も帰ることになった。

「送ってくるけど、お前たちはもう帰っていいぞ」

太一の自分勝手な物言いにも、うんざりしていた後輩たちはかえってホッとした表情を浮かべた。

「淳史、お前は待っててくれ」

部屋を出る際に太一は淳史にそう言った。

「なんで?」

「いいから」

「やだよ」

「頼むよ」

太一の切実な態度にしぶしぶ淳史は頷いたのだった。



後輩たちが帰り、一人になった淳史は無残な姿になったバースデイケーキに刺さる蝋燭の、崩れそうで崩れない様を飽きもせず眺めていた。


太一と結実の時間は、幼少時代から始まっていた。

小学校が別だった淳史に二人の詳しい出会いは分からなかったが、小さな頃から太一はガキ大将で、結実はいわゆる学校のアイドルだった。

色白の肌に品のある切れ長な目。性格も明るく、誰に対しても分け隔てなく接する結実の人気は絶大だった。

太一は彼女を慕う大勢の中の一人でしかなかったが、自分の悪名が世間に響けば響くほど結実の意識に入り込めると思ったのか、彼は言葉通り学校で一、二を争うガキ大将になっていった。

そんな彼の思惑とは無関係に、二人は小学校最後の年に偶然同じクラスになったのをきっかけに顔見知りになった。

その時より以前に結実が彼の名前を知っていたかどうかは定かでないが、彼女は太一に対して他のクラスメイトと同じように接した。

生傷の絶えない乱暴な男子を避ける女子の中でただ一人、結実だけは太一に絆創膏を手渡した。

「そのときから俺の気持ちは固まってたんだ」

やけに真剣な顔で彼がそう言うのを、淳史は何度も聞いている。

しかし彼が小学校を卒業するまで、結実に気持ちを伝えることはなかった。



落ちたロウソクを再び差し込んでいると太一が戻ってきた。

きっと簡単には結実を帰さないだろうと思っていた敦史は、そんな態度を隠そうとせず、

「早かったな」

と笑った。

「実はな」

そういって太一は底意地の悪い笑みを浮かべて見せる。

「またここに来る事になってるんだよ」

上気した顔をにやつかせながら太一は言う。

「どうして?」

「バカ、大勢いたってなにも話せないだろ? 落ち着いたらまた来てくれって頼んだんだよ」

散々になったケーキやポテトチップスの食べかすなどを片付け始め、太一は淳史にも手伝うよう促した。

既に夜の十二時を回っていたが、太一はかまわず掃除機を掛け出した。

淳史は初めて見る太一の掃除をしている姿をクツクツと笑いながら眺めていた。



掃除も一通り終わり、いつものように布団を敷くと部屋は寝室へと様変わりした。

「じゃ、もういいだろ?」

淳史は眠い目を擦って部屋のドアを開ける。

「いや、いてくれって」

太一の申し出に、怪訝な顔で、

「なんで? 二人きりになりたいんだろ?」と淳史は言う。

「そうだけどさ、いきなり二人だと気まずいだろ? それに結実には、淳史も一緒にいるから大丈夫って言ってあるから」

「なにが大丈夫なんだよ」

少しむっとした淳史の問いに考えあぐねた太一は、

「とにかく、淳史がいれば、俺がおとなしくしてるって思ったんだろ」

と言って部屋を出ていった。

まるで答えになっていない。

草食系として通っている自分なら、例え同じ部屋にいようと、同じ布団に入ろうと、おとなしくしていると高を括っているのだろうか。

誰もいなくなり静まり返った部屋の外の暗がりを、淳史は睨むのだった。




中学に入り、太一と結実は別々のクラスに分かれた。

太一を待っていたのは淳史との出会いで、何を気に入り気に入られたのか分からないまま、性格も正反対の二人はつるみ出した。

結実の人気には拍車がかかり、色恋沙汰に目覚めた先輩たちから彼女は何度も呼び出しを受けていた。

そんな彼女と知り合いであり、自分も結実を慕っていると告白した太一の、何事にも堂々とした態度が淳史には好ましかった。

中学二年から三年の途中まで、三人は同じクラスに配属された。

少女から少しずつ大人に成長しつつある結実は、あどけなさを犠牲に、より透明感のある聡明さを手に入れていた。

昼下がり、大半の生徒が満腹に任せて机に伏している傍ら、背筋を伸ばし黒板へとまっすぐに視線を向ける彼女の、健康で艶やかな頬の反射を見る。

と同時に、彼女を射抜く複数の視線に気付き、その一筋の向こうに必ず太一のそれがあることも、淳史は気付いていた。

一度、太一と淳史は大きなケンカをしたことがある。

発端は淳史が、なぜ結実に告白をしないのか、と太一に聞いたことだった。

珍しく太一は答えを濁した。

決まりきって結実を好きなのに、彼はどうして思いを打ち明けないのか。

申し出を断り続けている結実も、いつか告白を承知する時が来るに違いない。

おまえはその時、指をくわえてただみているだけなのか。

どういうわけか無性に苛立ちを覚えた淳史は、太一を罵った。

言葉にならない想いを、太一は拳でぶつけた。

二人は初めて殴りあったが、いくら殴り、殴られても答えは出なかった。

あくる日、二人は何食わぬ顔で一緒に下校したが、結実の話題は一つも出なかった。




女性の匂いを一番感じるのは、髪が乾ききっていない風呂上がりの時間帯だ。

結実は甘いシャンプーの香りを撒き散らしながら部屋に入ってきた。

「きちゃった」

ハニカミながら結実は言う。

部屋中に女の子の良い匂いが充満し、淳史は頭がクラクラする。

眼をギラギラさせた太一は、自分で呼んだにも関わらず結実を放ってシャワーを浴びに行った。

「彼氏、いるんだって?」

みずみずしい結実を直視できない淳史は、壁掛け時計を見ながら問掛けた。

「うん」

「うまくいってないの?」

「そんなことないよ」

「じゃーなんできたの?」

訊きながら結実をみると、彼女は淳史を見上げながら、どうしてそんなことを聞くの、という顔をして見せる。

「わりいわりい、待った?」

ドキドキして慌てて眼をそらすと、太一が戻ってきた。

シャワーはものの五分の早業だった。

上機嫌の太一は台所から缶ジュースを持ってきて、淳史と結実に手渡した。




結実が転校する直前、遠足で近くに山登りに行った時、淳史は彼女と話す機会があった。

他愛のない話が出来るようになっていた二人は、勾配の辛さを忘れるために、途切れ途切れに話した。

どうして結実と歩を共にしたのかは覚えていない。

太一は有り余る体力にモノを言わせて、山道を駆け上がってしまっていた。

おそらく一人取り残されてしまった場所に、彼女がいたのだろう。

「私、もう少しで転校するの」

その言葉に淳史は思わず顔を上げた。

「引越しでもするの?」

考えあぐねて出た質問に、彼女は首を振った。

「あまり遠くないところだから、これからは実家から電車で通うことになる」

「じゃあ、どうして?」

淳史の質問に、暫らく黙っていた彼女だったが、

「そこに行けば、行きたい高校の推薦が受けられるのよ」

と小さく答えた。

答えに対して何を言っていいのか分からない敦史に、結実は微笑を向けた。

「嫌な女よね? 仲良くなった友達より、自分の将来を取るんだもの」

「そんなことないよ・・・そんなことない」

淳史はそうとしか答えられなかった。

「このことはまだ誰にも言わないで」

結実の言葉に肯く淳史の頭に、不意に疑問が沸いてくる。

「どうして僕に?」

敦史は結実の横顔に真意を探したが、傾いた陽射しに照らされたそれは赤くぼかされていた。




太一が普段より一際声を張る理由を、結実が部屋に来て嬉しいからだと思っていたが、それなりに狡賢い彼には作戦があったようだ。

既に十二時を回った夜中に大きな声で話していれば、一軒家とは言え家族に声が届かないわけがない。「おい、何時だと思ってんだ! 早く寝ろ!」

不機嫌声の太一の父親がドアを叩いて怒鳴った。太一の部屋は台所に隣接している為、誰かが水を飲みに来ると部屋の明かりがついていることが筒抜けだった。

「わかったよ!」

太一はどなり、いきなり電気を消して見せた。

蛍光灯の明かりが消されると一瞬目の前が真っ暗になり、眼が慣れるまでに時間がかかった。

「じゃあ、私、帰るね?」

「いいのいいの、もう少しいなよ」

結実の不安な声にも、太一は明るい口調で取り合わない。

「電気つけないと恐いよ」

「どうして、もうそろそろ眼が慣れてきたでしょ」

「怒られちゃう」

消え入りそうな声で結実は言う。

暗闇の中で、彼女の瞳が静かに光るのが分かる。

視線は淳史を貫いていた。

「早く寝ろよ!」

再びドアが叩かれると、太一は飛び上がって慌てて布団を被った。

「早く、みんなも入って」

小声だが切迫した声で太一は促す。

全て彼の作戦どうりだと思いながら、淳史はノロノロと布団に入る。

太一は竦んだように動かない結実の手を強引に引っ張った。


奇妙な体勢で三人は横になっていた。

太一は常にもぞもぞとして落ち着かず、なにやら結実に話しかけている。

結実もなにか応えているが、一人離れた位置にいる淳史には上手く聞き取れなかい。

「なあ、結実、処女じゃないって」

真ん中に横になった太一は淳史の方に顔を向け、ひそひそとそんな事を言う。

「そんなこと聞いてどうするんだよ」

淳史が苦笑していると太一は再び結実に向きを直す。

布団の奥から、手を握らせてだの、髪に触っていいかだのと言う声が聞こえてくる。

結実は寄せられる体を力なく押しのけながら、帰る、と言ったりするが、今でていくと親に見つかる、と太一の脅迫めいた言葉に布団から出ていけもしない。

「淳史君、助けて」

決して切実そうではないように結実はそう声を上げた。

既に太一に抱きすくめられ、両手をバタバタさせた状態だった。

無言でいると、その手が淳史の手に触れられた。



恐らく太一は気づいていないだろうが、結実の冷たい手は、淳史の手を強く握り締めてきた。

どうしていいか分からず、その滑らかで心地よい肌触りが誘うままに、淳史は結実の手を指で擦った。

小さくまだ幼さの抜けきらない、でも男を魅了して止まない手がそこにはあった。

「意外と冷たいのね」

太一に抱きつかれて息を切らした結実は、誰ともつかずそんな事を言った。

その語気があまりに大人びていて、普段の可愛い結実のそれとはかけ離れていた。

恐くなった淳史は、結実の手を離したのだった。




クラスにとって結実の転校は、まさに寝耳に水の出来事だった。

それは太一も同様だったようで、事態を飲み込むまで時間が掛かったほどだった。

クラスの誰一人、親友と認め合っていた女子に対しても結実は転校のことを打ち明けていなかったようだ。

それは結実が転校する一週間前に突如として発表された。

すでに手続きも済んで、変えようのない事実として彼女の転校はなされた。

お別れ会も開かれず、結実は学校を去っていった。

最後の登校日、太一が結実を呼び出したことを敦史は知っている。

話した内容までは分からないが、それは告白ではなかったようだ。

その証拠に、太一の帰りを待っていた淳史の前に、二人は一緒に現れた。

「引越しはしないみたいだから、いつでも遊びに誘えるぞ」

誘ったことなど一度もないのに、太一はそんなことを言っておどけて見せた。

努めて明るく装ってみても、太一は結実の転校で彼女との接点がなくなることの意味を理解していた。

そして彼女の進学希望の学校は女子高だったので、同じ学校に進む道も断たれた。

彼はついに、長年培ってきた想いを打ち明けられずに、結実と別れたのだった。



「お前、ちょっとタバコ買ってきてくれよ」

体を引き剥がされてもまだ粘る太一は、淳史にそう頼む。

それは、いなくなれ、というサインに他ならなかったが、淳史は素直に従った。

「でも、少ししたら帰ってきてくれな」

「なんでだよ」

どうして自分がいなくてはならないのか、淳史にはわからなかった。

「頼むよ、二十分くらいで帰ってきてくれよ」

だが太一の必死さに、根負けした淳史は、溜め息混じりに頷いて見せる。

向き直ってやはりガサガサしだした太一の背中に、

「俺、煙草買ってくるわ」

と言って、結実の反応も見ずに淳史は布団を出たのだった。


結実がいなくなったことで変わったことと言えば、それまで頻繁に話題に上っていた彼女の名前が少しずつなくなっていったということだけだった。

それでも太一は結実の実家を横切るときは決まって彼女の部屋を見上げるのだった。

初冬の夜空の空気は済みきっていて、布団の中の息苦しさを取り戻すように淳史は深呼吸した。

そして自転車に跨ると、ペダルを漕ぎ始めた。

ゆったり往復して三十分。そのくらい時間をとれば十分だろう。

やはりいっそこのまま帰ってもいいのかもしれない。

考えとは裏腹に、淳史の漕ぐ足はその速度を徐々に早めていった。

角を曲がり、太一の家が見えなくなったとたん、良い知れぬ焦りが淳史を襲った。

どうしてかはわからないが、とにかく、一刻も早く戻らねばならない気がした。

淳史は息を切らしてもなおペースを緩めず、ペダルを漕ぎ続けたのだった。


部屋のドアを開けると、太一と結実は起き上がって、どういうわけかさっぱりした風だった。

「ずいぶん早かったな」

太一は暗闇の中で笑う。

乱れた息を漏らすまいと淳史は無理に呼吸を抑え込んで平静を装った。

結実はいそいそと衣服の乱れを直し、淳史にどことなくよそよそしかった。

「帰るね」

「わかった、送るよ」

太一は素直にそういうと、自分から玄関へ足を向けた。

「淳史、すぐ戻るから、待ってろよ」

反論の余地のない口調に、淳史はしかたなく布団の上に座り込んだ。


五分で戻ってきたところを見ると、結実との別れはあっさりしたものだったに違いない。

しかし淳史の頭の中では、自分のいなくなった短い時間の中に起こった二人の出来事の想像が膨らんでいた。

「キスした」

平然とした顔で太一は言う。

「よかったな」

「そのままやっちまおうと思ったんだが」

「だめだった?」

「うん、押せばなんとかなったかもしれないけどな」

極めて押しの強い太一があきらめた原因はなんだったのだろうと淳史は思う。

「でも俺、嬉しいんだよ」

「何が」

「強引でも、ずっと好きだった女とキスできたんだもん」

太一の言葉に、淳史は微笑む。

はったりばかりの太一の、これが本音なのだろうと思った。

「よかったじゃん」

淳史が声を掛ける。

深夜の静けさが部屋を包み込んだ。

「お前は親友だよ」

月明かりで白くなった太一の目は、だが燃え上がるようにギラギラしていた。



三ヵ月後、淳史はその親友を失うことになる。


「お待たせ、待った?」


腕を無邪気に掴んでくる結実に、淳史は満面の笑みを浮かべたのだった。





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