#7 おつかい、それは初クエスト
「俺が悪かったー!」
「…………」
「大事なお客人が来るから、部屋を移ってほしいって言われてて――それを忘れてて、せめて、ドアを開ける前に確認していれば……!」
「…………」
「すまない、すまなかった、許してくれ! 俺にできる償いがあれば――」
謝り倒してくる青年を、レンは髪の毛先をいじりながらゴミを見る目で見下ろしていた。
長かった一日が終わり、一夜明けた日、つまり翌日。
レンの紹介を兼ねた朝の食事会が終わり、シスターたちは教会の仕事に取りかかって、子供らはめいめいに遊び始めていて。
青年がレンに声をかけてきたのはそんな頃合いだった。
赤毛の青年は大きな身体を精一杯に折り曲げ、レンに頭を下げている。
で、謝罪の言葉を繰り返す。
「ほんっっっとうにすまなかったー!」
「…………」
言い訳しないだけ立派だが、それでもレンの眼差しは冷え切ったままだった。
それはそうだろう。
教会の神殿で影武者として育てられたレンは、男という生物と接する機会がほとんどなかった。
身近な男というと一応、師匠がそうだったが……枯れてしょぼくれたあの姿に、頼り甲斐を感じたことは一度もなかったし。
それが一転、宮殿を飛び出したその日の夜に、どこの馬の骨とも知れない男に裸をすっぱ抜かれたのだ。
恥ずかしさもそうだが……なによりレンにとって腹立たしいのは、青年が部屋に向かってくるのに気づけなかったことである。
こんなでかい図体の足音を、油断していたとはいえ聞き逃すとは。
(未熟……っ!)
くうっ、と歯噛みする。
青年の下げた頭のつむじを睨み、続く詫び言を無言で聞きながら。
けれど、その感情が半ば八つ当たりめいていることは、レン自身が分かっていた。
起きてしまったことがコトとはいえ、しょせんは事故だ。
見られて減るものではないと理屈では分かっているし、なにより、彼は非を認めて誠心誠意に謝っている。
その姿を見て言葉を聞いては、怒りも長続きしなかった。
嘆息してレンは口を開いた。
「いいよ、もう。謝りたいって気持ちは伝わったから」
「ほ、本当か!?」
「そのでかい声で言われ続ければね……暑苦しいのは苦手だし、もう勘弁してよ。こっちも勘弁してあげるから」
手を振って告げると、ようやく青年は頭を上げた。
真っ直ぐにこちらを見てくる視線を(それが暑苦しいというのだが)見返して、続ける。
「改めまして、私はレン。今日からこの教会のお世話になる……まあ、見習いってとこ。そっちは?」
「あ、ああ。俺はアポロだ。冒険者のアポロ・ポートランド。ちょっと前からこの教会に宿を借りてて、その代わりに雑用や手伝いなんかをやってる」
「なんだ。じゃあ居候仲間ってことね」
無論、レンの素性と目的については秘密だから、立場はまったく違うが。
それよりもレンが気になったのは、また別の部分だった。
「冒険者なんだ? まあ、その風体ならそれはそうって感じだけど」
「興味があるのか?」
「少しね。というか、そういう類の輩にしてはお行儀がいいな、と」
昨日立ち寄ったギルドにいた連中と、さっきまでレンに頭を下げていた青年のたたずまいには大きな隔たりがある気がする。
アポロのほうも自覚しているらしく、恥ずかしげに頬を掻いた。
「ああ……個人的なこだわりっていうか、信条なんだ。女性には礼儀を尽くす」
「紳士っぽいこと言うねえ。のぞき魔にしては殊勝な心がけだ」
「う、ぬ……」
「冗談冗談。もう怒ってないよ。少ししかね」
からかい混じりに言うと、アポロも嘆息して肩の力を抜いた。
話がついたところで、レンは言った。
「それじゃあ、私はもう行くよ。早速シスターにおつかいを頼まれてさ」
「俺もそろそろ出なきゃな。ギルドで請け負った仕事があるから」
「頑張ってね」
「そっちもな」
お互いに軽く言い合って、別れた。
レンは教会の中へ戻り、アポロはもう出かける準備ができていたのか、そのまま敷地の外に出ていく。
「さて、っと。じゃあ私もお仕事、お仕事ー」
建物の厨房に向かい、そこにいたシスターに改めて話を聞く。
聞けば、教会と縁のある女性が病気をしたので、お見舞いの品を持っていってほしいということだ。
シスターはわざわざ念を押してきた。
「つまみ食いなんかしちゃ駄目よ? 駄目だからね?」
「しませんよ。私のことどういう目で見てるんですか……」
「だって昨日の夕食も、朝食も、すごい量を平らげてしまったから」
「あれは大きな術を使った回復のためで……いえ、いいです。なんでもないです、ちゃんとやります」
と、バスケットとその家までの地図を受け取る。
厨房で料理を続けるシスターに見送られ、レンも外へ出た。
慣れない町並みだが(と、長年近くの神殿に住んでいたのに奇妙な話だが)さほど迷うでもなく、目的地の家に到着する。
家といっても、長屋になっているその一戸だ。
玄関に近づくと、かすかに咳の声が聞こえてくる。
壁は薄そうだ。
そんなことを思いながら、レンがドアをノックすると。
「――ハンナっ!?」
声が響いて、中にいた人物が戸に駆け寄ってくる音がする。
勢いよく開いたドアからは、真っ青な顔をした女性が姿を現した。
一瞬の間。
ぱちくりとレンが目を瞬いていると、女性ががっくりと肩を落とした。
それでも一応、訊ねてくる。
「……あなたは?」
「えーと、町教会のシスターの使いで、これを届けに」
「そ、そうなの。ごめんなさい。てっきり私は、急に飛び出していってしまった娘が帰ってきたのかと」
バスケットを掲げて見せると、彼女は事情を察したらしい。
ただ、納得した以上に余計に気落ちして、顔色がもっと悪くなったようにも見えたが。
レンは言った。
「娘さん――ハンナちゃん? も心配ですけど、あなたも病気で具合が悪いんでしょう。横になっていないと」
「そうですけど、でも、娘は気がかりなことを言い置いていって。よく効く薬草を摘んでくる、って……」
「それは……確かに気になりますね」
その言い方だと、薬草とやらは町中に生えているものではないのだろう。
子供がひとりで町の外へ出たかもしれないとなると、気がかりなのは当然だ。
山や森なら怪我、遭難、そうでなくとも魔物にでも襲われれば、無事に帰れる保証はない。
レンの決断は早かった。
よし、とうなずいて、まずは母親の肩を優しく押した。
「あなたは寝ていてください。今にも倒れそうな顔色ですよ。ハンナちゃんは私が代わりに探してきます」
「あなたが?」
「娘さんの特徴は? 行き先の心当たりとか、なんだろ、よく行く遊び場とか」
手早く質問しながら、女性を簡素なベッドに寝かせる。
その脇に膝をついて、彼女の手に触れた。
そうしてこっそり脈を取り、顔色も伺って、容態のほどを見極める。
――おそらく複雑な病気ではなく、単なる過労と、感冒だろう。
ただ風邪のほうはかなりこじらせているようで、それで寝込んでしまったというところか。
大体のところを見て取ると、レンは口の中で小さくつぶやいた。
「――月の光はうんたら――女神の抱擁ほにゃららら――治癒魔法」
「え?」
聞き取れなかったのだろう、母親が、レンのほうを見やる。
また肩を押してその身体をベッドに押し込むと、レンは立ち上がった。
「なんでもないです。ただのおまじないです。ちゃんと寝ててくださいね、あなたになにかあったら私がシスターに怒られちゃいますから」
「え、ええ……」
釈然としない表情ながら、彼女は大人しく従った。
と、思い出したように言ってくる。
「娘の行きそうなところだけど、西の山の麓に花畑があって、遊び場にしているみたい。いつだったか、露店の薬売りが、その近くには病気によく効く野草が生えてるって噂を……」
「そこの様子を見てきます。いないようなら、ここへ戻って報告。行き違いになるのが一番心配なので、お母さんはここで待っててください」
「でも」
「待機です」
言いつけると、納得はしてくれたらしい。
観念したようにシーツに身を沈める。
「あなたも、無理はしないで」
「はい。まあ、でも、大丈夫ですよ。大丈夫」
根拠はないが言っておいて、レンは立ち上がった。
と、ふと気づいたような口調で、ベッドの母親が小さくつぶやく。
「――あら? 咳が、止まってる? それになんだか眠、く――」
さっきのおまじないが効いた、のだろう。
静かな寝息が聞こえてくるのを待たずに、レンは長屋を後にした。