#6 一息、だけどまた一難
「じゃあ、あなたはこの部屋を使ってね。一通り掃除はしてあるから――」
「おけー。ありがとうございまーす」
心配げなシスターにひらひら手を振って、レンは案内された部屋のドアを閉めた。
ひとりになって、ふうと一息つく。
ここは町外れの教会。
町で身寄りのなくなった子どもを引き取って、孤児院のようなこともしている。
その2階の一室が、とりあえずレンに与えられた活動拠点の個室だった。
シンプルな部屋だった。
狭いが、造りはしっかりしているようだ。
普通に生活する分には不自由しないだろう。
ベッドには洗濯された清潔な寝具があり、あとは小さな書き物机と、そこに火のついたロウソクが置いてあった。
外はすっかり暗くなっていたので、部屋の灯りはそれだけだ。
それで十分な程度の広さとも言えるが。
「あ゛あ゛あ゛ー……つっかれたー」
うめいて、レンはずっと被っていたフードを引き剥がすように外した。
頭皮に汗の感触を覚える。
息苦しさはあえて意識せずに忘れていたが、脱いだ瞬間にどっと疲れが押し寄せてきた。
すぐにもベッドに突っ伏したい気分だったが、後でシスターが夕食を持ってきてくれる約束だ。
そのベッドの上に着替えが置いてあった。
着替える前に身体を拭きたいな……と思うが、でもそれにしてもこの服は脱がなきゃな……と思い、すっげー面倒くさいな……とまで思う。
まあレンがどう考えたところで、やることは変わらないわけだが。
マントの留具を外して、服の裾に指をかける。
それをまくり上げようとして――直前に思い直し、嘆息した。
身体を窓のほうへ向き直らせると同時、大きく踏み込んで、ばん! と窓を開け放つ。
「こら」
「うげっ!?」
一声かけると、そこにいた小さな人影が飛び上がるように驚いた。
2階の部屋なのだが、窓のすぐ下まで伸びた木の太枝に乗って。
というか、跳ね上がった拍子に足を踏み外して、人影は落っこちかけていた。
レンは素早く腕を伸ばして、その首根っこを捕まえる。
それを目線の高さまで軽く持ち上げると、正体は簡単に知れた。
小さな子供だ。
まあおそらく、教会で面倒を見ている男の子なのだろう。
今は窓の外に片腕一本で吊り下げられて、目を白黒させている。
木を登って枝を伝い、レンの部屋をのぞいていたらしい。
着替えようとしたところで前のめりになったのか、かすかに音がして気づいたのだ。
レンはもうひとつため息をつくと、手の先にぶら下げた少年を半眼で睨んだ。
「こらぁ。駄目でしょうが、女の子の着替えをのぞいたら。シスターに言いつけるよ?」
「ちがっ……あの、俺、どんな人が来たのか気になって」
「違わないでしょうが、のぞき見しようとしたんだから。君も紳士の卵ならだね、そういう時は身を乗り出すんじゃなくて、黙ってそっと背中を向けないと」
「そ、それよりあの、下ろして……」
「それより先に言うことはー?」
じろりと睨むと、少年は観念したらしい。
ぐったりうなだれてつぶやいた。
「ごめんなさい……」
「うん、よし、許す。シスターには黙っておいてしんぜよう」
「ほんと?」
元の木の枝の上に下ろしてやると、少年はぱっと顔を上げた。
ここぞとばかりにニヤリと笑って、レンは告げた。
「ただし、条件があるよ。ひとつ、まずは教会の他のガキんちょどもに、すっごい美人のお姉さんが来たって宣伝してきなさい。もいっこ。私は明日から教会の手伝いをするから、そこで私が天下取るのを手伝うこと」
「なにその変な条件……」
「シースターーーー!」
「わーわー! やりますやります、だからアデーラ先生を呼ぶのはやめて!」
「よろしい」
うなずいて解放すると、少年はさっと身を翻した。
慣れた動きで枝の上を走り、木の幹に飛びついて地面へ降りていく。
「約束、忘れんなよー」
聞こえる程度の声量で夕闇に言い置いて、窓を閉めた。
部屋の気配が自分ひとり分だけ残る。
それを確認してから、改めて服を脱いだ。
穴の空いたシャツに続いて、ショートパンツもベッドの端に放り投げる。
宮殿でこんなことをしていたら、お付きの世話係に叱られているところだが、今はそうではない。
「自由っていいなー……!」
噛み締めながら伸びをして、それから着替えを手に取った。
案内してくれたシスター(アデーラ先生だっけ?)のような手縫いの修道服ではなく、軽い麻布の上下だ。
部屋着、普段着、兼寝巻きということなのだろう、飾り気もないし色も地味で目立たない。
まあこれはこれで楽でいいか、とレンが思った、その時だった。
ばーん、とノックもなしに、部屋のドアが勢いよく開く。
「はー、疲れた疲れたー!」
声とともに、ひとりの男がそこに立っていた。
さっきのような子供ではない。
少なくとも、片手一本で吊るし上げられるような痩せた子供では。
がっちりした身体つきの、少年ではなく青年といった風貌の、あと、大剣と鎧で武装した冒険者然とした格好の――
とにかく男である。
見間違えようがない。
目が合った。
「あれ? 君は……誰だ? ここは俺の部屋、で――」
「ひ――――」
青年が、しまった、という顔をする。
レンは手の中の着替えで胸元を隠しながら、息を引き絞った。
それはほとんど同時のことで。
そして、次に口を開いたのも同時だった。
「すまない、部屋を間違え――!」
「ひぎゃあああああ!?」
青年の釈明を遮って、レンの絶叫が夜気を切り裂き、町教会を震わせた。