88.報酬を貰おうか……
少し時間は遡る。
狼が心結の元へ行こうと廊下を歩いている時だった。
「銀氷の悪魔、ちょっといいかい」
シレーヌがラウルをよびとめた。
「明日の昼頃には、港に着く予定だ。
そろそろ報酬についての話を決めようじゃないか」
「承知しました」
二人はいつもの部屋へとやってきた。
ラウルは獣体から獣人へと戻り、シレーヌの真意がどこに
あるのかと思案しながら立っていた。
そんなシレーヌはソファーに横たわり、ラウルに言った。
「さて、何をくれる?」
「…………」
ラウルはうまく答えることができなかった。
いや、答えが見つからなかったといった方が正解だろうか。
(せっかく掴んだチャンスだったが……
ここで交渉は決裂だろうか……)
ラウルは絶望にも似た感情があふれ、指先から血の気がひいた。
さらに目の前が真っ暗になるのをひしひしと感じかけていた。
しかし何かしら答えなければ、本当に潰えてしまうだろう。
ラウルは意を決して口を開いた。
「色々考えましたが、シレーヌ様のお眼鏡に叶うものを
現時点では用意することができません。
もし可能ならば、この身を差し出すことくらいでしょうか
何かのお役には立つかと存じます」
シレーヌはハッと鼻をならした。
「交渉とはあくまでも等価交換。
もしくはそれ以上の物を差し出すというのが……
この世界の理だ。
銀氷の悪魔よ、お前自身にその価値があるとでもいうのか?」
お前にはがっかりしたと言われたような気分だった。
ラウルは浅はかな事を言った自分を恥じた。
「いえ、決してそのようなことは思っておりません。
しかし、恥ずかしながらこの身一つしかないのです」
暫くの間、沈黙の時が二人の間に流れた。
「男に二言はないかい」
「はい……」
ラウルは絞り出すように言った。
「ほう……。
そこまで決意が固いのならよかろう……。
今夜一晩、私の相手をしてもらおうか……フフ」
「…………!!」
ラウルは返す言葉を失った。
まさかそういう意味で自分を差し出す選択肢はなかったからだ。
コウモリのように諜報活動や敵の殲滅などを依頼されるかと
ばかり思っていたので思考が停止した。
驚きと戸惑いで衝撃をうけた表情で固まるラウルをみながら
楽しそうにシレーヌは口角をあげた。
「さぁ……、一晩中私を楽しませておくれ色男さん」
妖艶な微笑みを浮かべながら、ラウルを自分の方に引き寄せた。
数時間後……
ラウルの目は死んでいた。
「やはり被写体がいいと最高だな……。
よし、次はこの衣装をきてくれ!!」
ラウルは着せ替え人形と化していた。
シレーヌの密かな楽しみの一つである
“いい男写真集”の一端にラウルも参加させられていた。
今までどれだけの衣装を着せられ、ポーズを取らされ
写真を撮られたかわからない程だ。
衣装替えの手伝いをしてくれている
おつきの執事らしき魚人の生暖かい視線も地味に辛い。
あくまでもシレーヌが楽しむだけとの事なので
世に出ることはないとのことだが……
ラウルにとっては、ある意味かなり屈辱的な事だった。
(勘弁してくれ……)
「ほら、表情が死んでいるぞ。
そこは切ない感じで微笑してくれ」
「………………」
ラウルはどんどん表情筋が死んでいくのを感じていた。
「貴族の衣装も捨てがたいが……
やはり執事姿のお前が一番グッとくるな
現役の戦闘服に勝るものはないか……」
「そうですか……」
ラウルはたまらず深いため息を吐いた。
そんな折にシレーヌは爆弾発言を投下した。
「ジェラールはもっと上手だったぞ。
部下のお前が頑張らなくてどうする!
まぁ、あの男はノリノリで撮られていたくちだが……。
後でその時の写真をみせてやろう」
(ジェラール様!!
あなたもこれをやって情報をもらったのですか!?
嘘ですよね、嘘だと言ってくれ……)
主人の知りたくない過去を知って、ますます遠い目になった。
そんなラウルをよそめに、シレーヌは絶好調だった。
「近年稀にみるいい男だねぇ。
この際写真集をださないか!!ブロマイドでもいいなぁ。
かなり儲けが見込めそうだ!
そうだ、後でミユウにも最高の一枚あげよう」
悪い顔でシレーヌは微笑んだ。
「…………!! 勘弁してください」
海賊風の衣装を着たラウルが、膝から崩れおちた。
「しかし、あの時のお前の顔は傑作だったぞ。
本当に夜の相手をさせられるとでも思ったか」
今度はうって変わって、揶揄うように目を細めた。
「シレーヌ様は、本当にお人が悪い」
ラウルは耳元まで真っ赤に染まって、軽く睨んだ。
「フフ……。
見目麗しい男は好きだが、私はこう見えても……
旦那一筋でね……」
そう言ってシレーヌは胸元にあるロケットの中の写真を
愛おしそうに見つめた。
(そういえば……
マール王国の国王は数年前、病死で他界したと聞いているが)
「さて、まだまだ衣装はあるからな!」
恐ろしいことに……
この狂気の宴は、朝方まで続いた。
「約束通り、情報を渡すよ。
これがここ一年の資料だ
コウモリがうちの契約船を使った経路が記されている。
ここに置いておくから、好きに読んでくれ」
「ありがとうございます」
ラウルは丁寧に一礼をした。
「そうそう、これはおまけだ」
シレーヌは宝石箱の中から何かを取り出した。
それをそっとラウルの掌に落とした。
それは百合の透かし模様の入った古いロケットペンダントだった。
「私が若いころに出会った親友のものだ。
お前に託すよ……」
ラウルは震えながらそのロケットを開けると……
美しい女性の写真が入っていた。
「…………」
ラウルはそれを見た途端、泣きだしそうに顔をゆがませた。
「素敵な人だったよ。
はじめて銀氷の悪魔に会った時にわかったよ……。
そっくりな瞳をしていたからね……
今度はお前が大事にしておくれ」
そう言って、シレーヌは部屋を出ようとして扉をあけると
ラウルを呼んで手招きをした。
「…………?」
ラウルが不思議そうにシレーヌの元へ近づくと……
シレーヌはラウルの襟元つかみ、自分の方へ引き寄せて耳元で囁いた。
「ミユウを本気で守りたいのなら覚悟を決めることだ。
お前が本気で信じなければ、ミユウもお前を信じない。
真実を話すことだな。
そうしないと欲しいものは指の間からすり抜けるぞ
お前がそれを一番わかっているだろう?」
そう言うと、シレーヌは去っていった。
(真実か……)
暫くその場で立ち竦むラウルであった。




