ささやき
「メリークリスマス!」
と、荻浦さん、てとてと駆け寄ってくる。右手をあげて、わたし、
「はい、メリクリー」
と、てきとうに返してみる。が、どうやら態度が気に入らなかったらしい。厚手のコートに身を包んだ荻浦さんは、不満げに、
「もうちょっとやる気だして、松本さん」と頬を膨らます。「年に一度の聖なる夜だよ」
「そうだね。聖なる夜だね」
空を見上げる。満点の星きらめく夜空――ではなく、澄んだ真冬の青空である。それもまれに見る快晴で、太陽もよく見えるから、ちょっと暖かい。
12月25日、クリスマスの日。駅前は友達連れだとかカップルだとかで賑わって、どこか浮ついた雰囲気だ。
「聖なる夜です」荻浦さん、なぜか繰り返す。「あ、今日はごめんね、急に呼び出したりして」
「あぁ、それはべつに。わたしも暇だったし」
実際、とんでもなく暇だった。冬休みの宿題とかいうやつは今日ぶんのノルマがすでに終わっているし、そうしたら本当に、やることがちっともなかった。
クリスマスといっても、特に用事がないならただの休日に変わりないわけで。暇を持て余し、すごく持て余し、そういったところの呼び出しだったのでむしろありがたい。
「でも」と、わたし。「荻浦さん、今年のクリスマスも忙しいっていってなかった? 子ども会の行事の手伝いとかで」
「うん。午後からはずっとクリスマスパーティーの準備だよ。だからほら、買い出しに行ってた」
荻浦さんが突き出してきた袋を見やる。中に入っているのは――鏡餅だ、正月用の。
「失敬、こっちじゃなかった」
もう一袋、突き出される。こっちにはきちんとパーティーグッズが入っている。
「さっきのはね、実家用。ちなみに荻浦家ではお正月のお雑煮に四角いお餅をいれます。覚えておいてね」
「え、なんで?」
「なんでって……結婚したときのために、覚えておいて損はないでしょ」
「結婚て。付き合ってもいないのに」
「え、わたしたち付き合ってないの!?」
「ないよ!?」
勝手に付き合っていることにされてた……怖すぎる……
「はぁ……素直じゃないな、松本さんは」
「荻浦さんはその捏造癖をはやく直して。で、これがパーティーグッズなの?」
先ほど入れ替わって突き出されたほうを指さす。荻浦さん、大きくうなずいて、
「そうだよ。中身は……えっとね、ビンゴシートでしょ、クラッカーでしょ、オーナメントに……」
「いっぱいだね」
「うん。ちょっと重い」
と、荻浦さん、上目遣いでこちらを見る。ぱちくり。ぱちくり。
数秒の間。荻浦さんは視線を外してこない。すごくなにか訴えかけてくる、情熱的な目で。
「えーっと、荻浦さん、まさかとは思うけど……」わたし、頬を指でかいて、「荷物持ちに呼んだ? このわたしを? まさかね、聖なる夜に限って、そんな」
「鏡餅でいいよ」
「いいよじゃなくって。おい押し付けてくるな」
持たされた。意外にもずっしりくる。気になって鏡餅を取り出してみたら、その下にはおびただしい量のパーティーグッズが。
しまった、はかられた。
「さぁ、いこう~!」
フリーになった右手を突き出して、意気揚々と歩きはじめる荻浦さん。仕方がないのでついていく。
子ども会の行事だから、やっぱり集会所まで歩くことになった。まぁ駅前からならそう遠くない。ゆっくり歩いて十五分くらいのものである。
わたしはクリスマス会だとか、そういう行事にあまり顔を出してこなかったから、集会所に足を運んだことも数えられるていど。一方の荻浦さんは、小学生のころからけっこう楽しんで通っていたクチで、中学校にあがってからはボランティアで参加している。
そういえば、去年は紙芝居を読むことになったとかで、その練習に付き合った記憶がある。たしか『桃太郎』の紙芝居だ。わざわざ教室に持ち込んで、わたしを小学生に見立てて一通りやった。
今年はそういうの、やらないんだろうか。ちょっと気になる。
「あ、そうだ、松本さん」
先を歩いていたのに、急に振りかえって、
「松本さんのところにはサンタさん、来た?」
「え? あー、来たよ。いちおう」
「ほうほう。なにもらったの?」
「とりたてて面白いものでも……本を三冊」
「そうなんだ」
まぁ、サンタさんといっても、もはやうちの両親はやる気がないので、ふつうに今朝手渡しされたし、なんなら一週間前にいっしょに買いに行った。ならその日に渡せ、とは思うのだが、松本家のならわしによってこういう面倒くさいことになる。
「荻浦さんは?」と、問い返す。「なにかめぼしいものでも」
「わたしはねぇ、ウォークマン」
このサブスクの時代に!? とは思ったが、口には出さない。荻浦さん、けっこう満足げなので。
「そっか、よかったね」
とりあえずな対応にとどめておく。
それにウォークマンだって有用なのだ。いちいちスマホの容量を気にしなくたってよくなるし、機種によっては高音質なんだから。それに荻浦さんが満足げなら、それでいいのである。
しばらくして、
「着きました」
と、荻浦さん、集会所の前で立ち止まる。住宅地のなかにある、小さくはないが大きくもない、微妙な規模の集会所である。
玄関をがらりと開けて、広間に入ってすぐのところに荷物を置く。ここまで終わったら、荻浦さんがめずらしくお辞儀して、
「ありがとうございました、松本さん。ひじょうに助かりました」
深々とお礼をしてくる。なんだ、これは。いつもの荻浦さんではない。
いつもの荻浦さんなら、てきとうに「ありがとね~」で済ませてくるのに。こんなていねいなお礼は、かえって怖い。えげつなく怖い。
「なにかすごく失礼なことを思われている気がする」
「どうしてバレた」
「松本さんの考えてることなら、なんだってわかるよ」
「わ、すごい。思考盗聴だね」
「愛の力です」
真顔でいわれた。こっちも怖い。
「あ、そうだ、松本さん。今日はクリスマスだよ」
「え、うん。知ってるけど」
クリスマス関連の話題、すでにけっこう繰り出したのに。
「クリスマスなんです」荻浦さん、なぜか繰り返す。「あ、ちょっと座ってて」
「うん?」
促されるまま、てきとうなところの椅子に腰かける。そうしたら荻浦さん、そそくさと部屋を出ていってしまう。
困った。広間にひとり。まだろくに飾りつけのされていない会場で、わたしひとりだ。ちょっとかなしい構図に思える。
というか、荻浦さん以外のボランティアはまだ来ていないのか。そもそも開始時間っていつなのだろう。そのあたり、よく聞いていない。
と、思ったら、テーブルのうえに一枚のプリントを見つける。ボランティア用の案内らしい。準備のための集合時間は十四時……え、いままだ十一時ですけど。
「お待たせー」
荻浦さんが戻ってきた。ひとまず、プリントを置いて向き直る。
なんと荻浦さん、真っ赤なサンタ帽をかぶっている。で、白い付けひげもちゃんとして、手には紙の包みが。
「それは?」とりあえず、訊いてみる。
「ふっふっふ」たのしげな荻浦さん。「もちろん、クリスマスプレゼントです。ちなみにわたしは荻浦サンタだよ。かわいいでしょ」
「ふつう」
「照れるなって」
似合っている、とは思うのだけれど、付けひげのせいで《かわいい》というより《面白い》になっている。愉快でしょ、といわれたら、「ハハッ、そうだね」と返していた。
「ということで、松本さん。メリークリスマス」
荻浦サンタから包みを手渡しされる。今日のお礼も兼ねてね、なんて小さく付け加えてくる。いや、わざわざ用意してくれてるのに、それをいうか。もうちょっと素直になれよ、と思いつつ、やはり口には出さない。
「ありがとう。開けてもいい?」
「うん。いっぱい開けて」
いっぱい開けて――いっぱい? 中身がマトリョシカみたいになっているのか。
包みを開く。長方形の小柄な箱が出てくる。まさか本当に――と思ったが、杞憂だった。箱を開けると、一葉の栞があった。雪の結晶があしらわれた銀色の栞で、光がきらきらと反射して幻想的だ。
「で、その……」荻浦さんは、不安げにわたしを覗き込む。「どうかな……気に入ってもらえた?」
わたしはうなずいて、
「うん、すごく」安心してもらいたくて、微笑んでみる。「大切にするね」
「そっか、うん。よかった」
ふう、と大きく息を吐いて、荻浦さんはサンタ帽と付けひげを外す。どうやらかなり緊張していたらしいと見える。
「そんなに不安だった?」
「だって、松本さん、よろこんでくれるかわからなかったし……」
「荻浦さんからのプレゼントなら、なんでもうれしいけどな」
「うー、そういうんじゃなくて……本当に、心の底からよろこんでほしかったというか」
ぼそぼそ続ける荻浦さん。そこまで真剣に選んでもらえていたというのは、なんというか、こそばゆいところがある。
銀色の栞に目をやる。本当にきれいで、すてきだ、と思う。
「すごくうれしいよ、荻浦さん」胸の奥があたたかくなる。「あ、でも、これもらったのに……わたし、何にも用意してないや。どうしよう」
「いいよ、そんなの。今日会えただけで、充分うれしいよ」
そういう恥ずかしいセリフは、恥ずかしげもなくいえるらしい。肩をすくめて、
「そっか。でもやっぱりなにかないかな。こんなにすてきなものをもらったのに」
「あ、じゃあさ、松本さんもパーティーのお手伝いしない?」
「え」
ちょっと想定外の提案だった。でも、なるほど。荻浦さんといっしょにパーティーの手伝いか。どうせ暇だし、悪くない。
「……となると、今年のプレゼントはわたしだよ、ってことになるね」
「いつ籍入れる?」
「待って。そういう意味じゃないよ」
あくまでただの肉体労働としてのプレゼントであって、あげるのはわたし自身ではない。労働力である。
「でも、飛び入り参加ってオーケーなの?」
「大丈夫だよ。人手が増えて困ることないでしょ? それに……実をいうと、もうすでに友達をひとり連れてくるっていっちゃってるんだよね」
「おい」
それを先にいえ。いや、そもそも勝手に約束をするな。
「いやはや」と、荻浦さん、苦笑いしながら。「ごめんね、松本さん。でも、そうでもしないと……ダメだったというか」
「ダメって?」
「だからね、その……」
わたしの目を見て、荻浦さんは続ける。
「クリスマス、松本さんと過ごしたかったのに、きっと誘う勇気が出なかったから。だからわざと追い込んで、絶対にいっしょに過ごさせてやるー! みたいな……」
「過ごさせてやるー、って」
なんだそれ。思わず吹き出してしまう。笑わないでよ、と荻浦さん。ごめんごめん、とあやまって、
「そんな、さ。荻浦さんからのお誘いを断るわけないじゃない。わたしだって、うれしいよ。荻浦さんといっしょにいられるの」
これは、本心だ。ふだんはいわないけれど、わたしだって、荻浦さんのことが……いや、ちょっとやめよう。これは恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
「まぁ、その、とにかくだ」まずい急に恥ずかしさが身体中を駆け巡っている。「そういうことで、どうでしょうか? みたいな?」
「……松本さん」
「……なんでしょう」
「一生、幸せにするからね」
「……」
「……」
「わたしたち付き合ってないけどね」
「もー!」
殴られた。わりかし力のこもったグーパンチだった。
「痛いなぁ! 暴力反対! アイ・ラブ・ピース!」
「うるさいよ! いまのはいい感じにうなずいてハッピークリスマスにしとけばよかったじゃん! 松本さんのばか!」
「だから殴るなよ! 殴るならせめて手加減してよ!」
「ばかー!」
これはわたしが悪い。わたしが悪いのだけれど、さすがに痛すぎる。
怒りに身を任せたグーパンチがようやく終わったころ、わたしと荻浦さんはもう疲労困憊といって差し支えなかった。これからクリスマスパーティーの準備にとりかかるやつらの疲れ具合ではない。
「荻浦さん……」わたし、息を切らしながら。
「なに、松本さん……」荻浦さんは、息を整えながら。
「いっしょにいられてうれしいのは、本当だからね」
視線があう。荻浦さんは、すぐににっこりして、
「知ってる」
とかわいくささやいた。