倖せな変化(疑似父娘とその周り)
夜。
このシェアハウスでは、共通の観たいテレビがあるときは、居間に人が集まる。
今は、僕と娘のコトリ。家主の百さん。二階の住人・マルさん。そして住人じゃないけど、いつも入り浸っている三宅さんの五人でクイズ番組を観ていた。
百さんの奥さんは、今は実家に帰っており、留守だ。コトリが紅一点、というわけだ。
「クイズは熱くなるねー」
「わかる」
「わからないもんだいは、こたえも気になりますしね」
三宅さんの言葉に、うんうんと僕とマルさんでうなずく。
番組はもう終わり、スタッフロールが流れていた。
今日もなかなか白熱して、テレビの中の出演者より先に自分たちが答えを言おうと熱くなってしまった。
マルさんは、自分のわかる範囲のことをコトリや僕らに解説してくれたりしていた。流石、高校の古文教師だ(外国の人だけど、得意科目は国語なのだ)。
「僕と百さんは、この次のドラマも観ますけど」
「あ、俺も見るー」
三宅さんが、小さく挙手した。
「別にいつまで居てくれてもかまわないけどさ……。三宅さんは、いつまで居る気なの?」
「このドラマ見てから帰る」
これも、いつものことだ。
彼は入り浸ると、たいてい夜遅くまでここにいる。
「じゃあ、私は部屋にかえりましょう」
「あ、あの!」
マルさんが立ち上がったのと、コトリが声をかけたのは同時だった。
「さっき言ってた、えと」
「宇治拾遺物語、ですか?」
「はい。問題になってた物語の、続きが気になって、その」
コトリは、しどろもどろになりながらも、一生懸命、自分の意思を伝える。
マルさんは、その様子ににっこりと笑みを深めた。
「わかりました。おはなししましょう。私の部屋で、いいですか?」
「! はい!」
パッとコトリの顔に笑みが咲く。
見ていた僕も、思わず笑う。
「では、蝶さん。コトリさん、しばしおかりしますね」
「お願いします」
いそいそと部屋を出る二人。
おじいちゃんと孫……だと、ちょっと失礼か。
おじちゃんと姪っ子……くらいだろうか。
「ふふふっ」
「どうしたん、三宅さん」
「ええ? だって、嬉しいなあって思って」
頬杖をついて、三宅さんが楽しそうに上の方に視線をやる。
「嬉しい?」
「コトリちゃん。お願いを、普通に口にしてくれるようになったから」
「ああ……」
百さんが言った。
「確かに。去年までのあの子だったら、気になってもあんな風に話を聞きたいなんて、言い出せなかったかも知れないね」
「そうでしょう、そうでしょう」
コトリは僕の娘やけど、本当の娘ではない。
僕の嫁さんの遠縁の子どもで、嫁さんが引き取った子だ。
それでもこの一年、手探りで親子をやってきた。
このシェアハウスの(三宅さんは常連であって住人ではないけど)皆さんの力もたくさん借りて。
「自分の気持ちや願いを話すことをあれだけ怖がってた子が、今はぎこちなくてもお願いを言える。そういうのを見るのって、とっても、とってもさ」
三宅さんが、視線をこちらに戻す。
「倖せなことだなぁって、思うんだよ」
そして、むしろ三宅さんの方が倖せそうに微笑んで言った。
「そうだね」
「せやなあ」
僕は、そんな風に笑顔で言ってくれる三宅さんと、しみじみとそれに同意してくれる百さんにも、喜びを感じる。
「皆さんのお蔭ですわ。ほんま、ありがとうございます」
そんな皆さんが見守ってくれたからこそ、コトリもあんな風に馴染んでくれた。
「皆さんがいてくれたから、何とか僕らも家族やれてますわ」
僕は、感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
……コトリが笑うと、嫁さんを亡くした傷が、少し和らぐ。
だから、救われたのはコトリだけではない。
僕もなのだ。
「でも、いちばん大きいのは、蝶さんの働きだと僕は思うよ」
「それね。俺もそう思う」
顔を上げて、ぱちくりと目を瞬かせた。
「……せやろか?」
「そうだよ。蝶さんが、ちゃんとたびたび立ち止まってコトリちゃんに『どないしたん?』『どうしたい?』って、聞いてるから」
三宅さんが言った。
「だから、周りの俺たちも信じてもらえるようになったんじゃないかなあって」
百さんもうなずく。
僕の胸が、何だかくすぐったく疼く。
「せやったら、ええけど」
自分の拙いあれそれが、少しはコトリのためになっているなら、それはとても嬉しいことだけど。
「何にせよ、あれだね」
また上の方に視線をやりつつ、三宅さんが言った。
「周りの大人が、一人の子どもを大事に出来る。……そんな光景が見られて、その中に自分がいられて、俺はとにかく嬉しいよ」
百さんが、
「……そうだね」
と言って、肩を竦めた。
お二人が心底そう思っていると分かる笑顔なのが、やっぱり僕は一番嬉しかった。
「さて。ドラマの前にお茶でもいれなおそうか」
「あ、紅茶がいいなー!」
「手伝いましょか?」
「お願いするよ」
美味しい紅茶が入ったら、二階の二人にも持って行こうか。
自然にそう思った自分にも、僕は微笑んだ。
END.