飛び出す絵本・その5
灰色のコートを着た、背の高い男が立って迎え入れている。
「やあ。苦労をかけたね、さち香。それと、購入ありがとう君」
部屋のなかだが黒いブーツを履き、始め背を向けていたその男は振り向きざまに声をかけていた。
「横島さん……」
さち香の涙声は、男の微笑で救われていた。「本のおかげでまた会えたね……さち香」
男の足元には、シリーズ7である絵本が開いて、置いてあった。
……祐一は男の言葉に、タイヨウに関するまた新たな可能性を見つけ出していた。タイヨウが、本を制作しようとした理由である。
彼は近い将来、自分も幽霊になることを『知って』いて、この世とあの世を繋ぐ媒介を作ったのではないのかと。いやしかし、単に婚約者同士である2人のためだったのかもしれない。本人にでも聞いたところで嘘偽りなく返ってくるのかどうだかも確かめようもない疑いは、行き場がなかった。
横島――演三郎、と、さち香に呼ばれた、死んでからで初対面となる男に祐一は、固唾を呑んで事先を見守ることにしていた。
「会いたかった……行き場のない怒りは、何処へ行けばいいの? 皆、勝手にいなくなってしまって……そもそも、自分で作った本に殺されるなんて、馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいわ、あなた……馬鹿よ……」
さち香は横島に寄ろうとしたが、横島は両手でそれを制していた。
「……残念ながら、触ることができないね。君はまだ、『こちら』側の人ではないから」
さち香には苦痛だったが、横島はすでに表情から汲み取っていた。「すまない」彼の心中では、詫びの言葉の羅列で埋まりそうだった。
「君が全国じゅうを渡り歩いていたのは知ってる。未練があるのは、生者の方なんだなと痛感していたさ。あの男が私のためにか引き継いで7番目を作ってくれたおかげで、とんだことになってしまって、君に迷惑をかけてしまったようで……申し訳ない。幽霊なんて、会えない方がよかった、君は本を回収している途中、シリーズ7を見つけてしまったために私に会えると期待をかけてしまったんだろう、非常に後悔しているよ、……すまない」
「謝らないで……」
さち香には絞り出したそれが精一杯だったが、横島が謝罪し懇々と諭したおかげでさち香に僅かながらだが生きる希望が湧いてきていた、彼の悲しげな瞳が、絶大な効果を生んだらしかった。
「あなたは素晴らしい本を作ったのに……認められなくてこんなものにあなたがとられて悔しくて……ごめんなさい……」
横島は軽くまた微笑んだ、そして、さあお別れだねと、なだめていた。
「もう本を探してさ迷わなくたっていい。本も私と同様、あるはずのないもの……『幽霊』なのだから」
……
不思議は、7つあった。本来は、6つしかないはずだった。
7つめが存在することが、不思議である。
存在するはずのないものを知ったとしても、それがその人にとっていいものだとは、限らないだろう。不幸も、もしかしたらと待っている。
知りたいか知らなくていいのかは、あなたに任せよう。
『なな』が4つ、あるはずのない『名無し』出版社の、いるはずのない絵本担当の者は、こう語っている。
「不思議は、不思議を生むんだよねえ」
その通り、答えを得た者には、新たな疑問が待っている。それは、宇宙の生まれ始まりが何処かと探すことに似ている。存在しない出版社、担当者から生まれた絵本シリーズは、存在しない。横島演三郎も、存在しなかった、いや、存在『しなかった』ものと『され』た。
タイヨウもいなくなってしまった。では、さち香は?
横島は告げた……「君はまだ、『こちら』側の人ではない」と、教えてくれていた。
幽霊としての情報に書き換えられる前にと、さち香を拒絶していた。
始まりを探す前に、終わりを見つけねばならない。
7つめを探すさち香を、心優しき元人間は、穏やかな微笑を浮かべて、……拒絶した。
……
海にも近い町だった。時々に、潮の香りが風にのってやって来る、そんな田舎の片隅で、その『店』は長年と傾かずに持ち続けていた。
町にひとつか2つしかない本屋は、とても小さく消えそうだった。しかし存在していた。
働く店員たちは、例えばだがこんな会話をしている。……
店員A「店長、明日発注するの、何でしたっけ」
店長「『全国めでたい選手権』『油ぎった乙女110番』『きつねとごんじろう』……えーと、それからだな、……ああ、あれだあれ、『飛び出せ絵本』」
店員A「へーい」
適当に会話をしている2人に、間違いを指摘する者は誰も今はいなかった。本のタイトルは無論、正確に注文されて、本屋へとさ迷わずにやって来る。『飛び出す絵本』……もうじき1000部を突破する。
制作者がいなくなっても売れ続ける、出版社がなくても作られ続ける、本を回収しようと探して歩く幽霊のような女がいるらしい……そして、店員も店長も客もあなたも誰もかれも、これが異常だとは思いもしないのがまた不思議だった。
店の、入口のドアは開けられた。「いらっしゃいませ」
尋ねて来たのは男子高校生とまだ5歳くらいの女の子だった、ただ、女の子の頭には包帯が巻かれていて、消毒液のにおいが微かに漂っていた。2人は、病院帰りである。
「絵本見てきてい? お兄ちゃん」
丸い目で、顔色を窺う女の子の目は期待に満ち溢れているようで、兄らしき男子高校生は女の子の名前を呼んで頷き返していた。「いいよ希奈。好きなの選んどいで」それを聞くと女の子はとても嬉しそうに笑って大きな返事をしていた。「うん!」
飛び出す子ども。女の子の兄である長北芳樹は、退院できてよかったとホッと胸をなでおろしていた。希奈と呼ばれた女の子は、自分の手が届く範囲で気に入りそうな絵本を一生懸命に見定めていた。幸いにも『飛び出す絵本』シリーズは棚の上部の方で、希奈が手を伸ばしてみても届きそうではなかった。
本はひっそりと、数冊が残っている。
《END》
ご読了ありがとうございました。
あとがきは、ブログ(http://ayumanjyuu.blog116.fc2.com/blog-entry-169.html)です(PC用)。
それでは、寝ます。ちーん。