飛び出す絵本・その3
七不思議、と聞くと大概は舞台を学校だと思うだろう。ところがそうではない場合もある。
最寄の駅から徒歩25分かかる、市内からは外れた場所に存在している、築13年にもなる木造建ての一軒屋があった、そこは。
何を隠そう、本屋だった。
店員は常時2人、アイボリー地に『HONYA』とシンプルにプリントされたエプロンを着ており、1人は必ずレジで待機、もう1人は売り場で何かの作業をしていた。客が片付けていない本をまた本棚に戻すのも、仕事だった。
あるカラッと乾き晴れたいい天気の、暑さが襲う昼間だった。ウェスタン風の麦わら帽子を被った若いひとりの女性が、白い入口のドアを開けて入ってきたのだった。「こんにちは」
先に声をかけたのはドアのそばのレジに座っていた端整な顔面の店員で、読みかけていた文庫本から顔を上げて接客が始まっている。「どうも……」簡単な相槌だけをして、その女性客は奥へと静かに進んで行った。
一度女性を見送った後、レジの店員は再び読んでいた本の世界へと戻っていった、後は奥で棚の整理をしているはずのもう1人の店員にお任せである。
女性は、辺りを見渡しながら児童書のコーナーに辿り着いた。そこに行くまでに寄り道、関心を惹いた本などはなかった。最初から、このコーナーに来ることが目的だったようである。
「やっと見つけたね……」
陳列されていた本を前にして、女性の口からはそんな呟きが発せられていた。麦わら帽子から胸元にまで垂れ流されているウェーブがかった茶色の長い髪が、顔を小さく見せていた。さらに小さく見える口元には、これまた小さなホクロがついていた。
「あっちの世界では元気にしてる? ……もうこれで最後にしてよ」
言いながら、女性は1冊、棚から絵本を抜き出していた。その本の表題には、『飛び出す絵本シリーズ……』と書かれていた。そして、シリーズはもう1冊、本棚に残っていた。
女性は、少し緊張気味で本を開けている。
するとなかから飛び出したのは、手のひらに載るくらいのサイズの、小さなネズミのような動物だった。「キョ、キョ……?」不安そうに女性の方を向いていた。「ネズミ!?」
思わず叫び、手から本を落としてしまって大きな音がしてしまった。慌てたのか、店員の1人が棚の角に体をぶつけながら大急ぎで駆けつけて来ていた。「どうしました!?」「あ、いえ、あのその……」女性も慌ててしまっていた。
「すみません。この『飛び出す絵本シリーズ』、動物のを見たら、びっくりしてしまって」
女性の言い訳は、駆けつけた店員を安心させていった。「なんだ、そうでしたか。てっきり事故でも遭われたのかと」短髪で、正義感あふれそうな体格の店員は額についていた汗をたくましい腕で拭っていた。女性は俯き加減で微笑みながら、平積みされた本の上に落としてしまった『飛び出す絵本』を拾い上げ、まだ開いたままの本の上に載っかっている動物に視線を合わせていた。「ごめんなさい、まさかネズミが飛び出すなんて……」
それを聞いた店員が、「ああ、違いますよ、ネズミじゃないです」と言い出していた。
「ネズミじゃない? そっくりなのに?」
「エゾナキといって、ウサギです、こう見えて。イリオモテヤマネコみたいに、絶滅されると言われている日本の動物です」
「ええっ、そうなんですか」
耳は丸く、とてもウサギには見えない小動物だった。北海道などの雪深い場所に生息し、キツネなどに捕まって食べられてしまうが、春から夏にかけて1〜5匹ほどの子を産むという。観光開発などが影響しているのか、絶滅の危機に遭っていた。
「しかしあなたは」
店員は、体から息を吐き出して落ち着き、見直したのか、女性を観察し出していた。
「何でしょうか」
「この本の著者の関係者の方ですか? ……どうもそのような気になってしまって」
店員がそう思ってしまったのも、慌てたとはいえ、女性の驚きがあまりにも一瞬のことだったように感じてしまったせいだろう、つい思っただけのことを聞いてしまっていた。「ええ、そうです。一応、婚約していました」女性は隠すことなく明るく返していた。
「亡くなられて、もう5年になりますか……」
「はい。馬鹿の失態と後始末に大変です」
目を細めながらの毒舌は、店員の度肝を抜いていた。傍目から見た限りでは、恐らく彼のなかの女性に対して持っていたイメージにヒビが入ったせいだろう。彼はたじろいでいた。「そ、そうですか……大変ですね。ここで何軒目なんでしょう、はは……」
「1098軒目です。売り切れだったとか、ハズレもあります。家まで押しかけて行ったこともあります。絵本を回収するのも、本当に苦労だわー。あの馬鹿やろう」
女性は段々と、怒りがこみ上げていっていた。店員は触れてはならない領域に踏み込んでしまってシマッタと恐怖におののいていた。
女性が怒るのも無理はなかった。
『飛び出す絵本』シリーズの著者、横島演三郎の人生について振り返る。
彼は始め、シリーズにするつもりは全く考えてはおらず、『飛び出す絵本』を作り上げていた。それは折り紙程度のチャチな物が本から飛び出すだけのもので、鳥や本など特定されたものが飛び出すわけではなく、気まぐれランダムにとにかく『何か』が飛び出す仕組みの……例えるなら、『びっくり箱』だった。
横島演三郎の技術を生かした、斬新な絵本だった。出版し購入した人々からは、毎日数通の好評内容の手紙が届いていた、それが彼の人生の操縦を狂わせることになっていくのである。
彼は調子にのって、第2弾、第3弾と出版していった。
初版は在庫が無くなったので、『シリーズ』と改題し、動物まで再出版を繰り返していった。
……
「僕はそのシリーズ好きのひとりでしてね。例えばその本、『動物』。飛び出してくるのは、絶滅危機の動物も含まれていますからね。こいつは何だろうって、調べたくもなります」
溌剌と店員は、自信たっぷりにそう言っていた。「ええ、そうね……あの人の、そんなヤンチャな所というか、子どもみたいな素直さと真面目さが好きだったんだけど……」
昔を思い出す女性の顔上げた頭から、麦わら帽子が滑り落ちていった。彼の転落人生を表すかのように、ゆっくりと、底へ……
話は戻る。
第4弾を世に送り出した後、彼はスランプに陥っていた。次のをと思うが、アイディアが浮かばない、焦りで追い詰められていくようで、日に日に彼は痩せこけていっていた。
その時に出会ったのが、後々に婚約者となった藤枝さち香、彼女である。
彼はさち香と結婚をしたいと思った、温かい家庭を持ちたいと思い始めていた。そのため、彼の創作は続きのようだが新しく発起することになった。『家族』……
自分のために、創作をするようになっていった。
だが、この本も好評を得る。読者の心をガッチリと掴む結果となった。
読者からの手紙によれば、「寂しくなくなりました」「大事なことを、見つけられました」「アイラブホーム」「目が覚めました、地獄へイッテキマス」……
一体、どんな家族が本からランダムで飛び出してくるかはしれないが、演三郎は手紙のなかでこんな文面を見つけてしまうのである……
『死んだパパに会いたい』
瞬間に、彼の次に開発するシリーズのタイトルが決まったのだった。そうだ、幽霊にしようと……彼の、試行錯誤が始まっていた。何しろ、幽霊を扱うのは初めてで実験は失敗の繰り返しだった。そんななかで実験的に出版されたのがシリーズ6作目となる、『小笠原権左衛門』である。
実は小笠原権左衛門、彼の御先祖様だった。初めて特定の人物が飛び出される、だが問題はすぐに浮上してしまった。彼は、御先祖様の許可を得てはいなかったのだった。
そして、激情の怒りを買ってしまうことになり、『我の眠りを妨げるとは不届き千万』と、刀で一刀両断にされてしまったという。これが彼の最期になった。
七不思議も、ここで誕生することになった。