飛び出す絵本・その1
今年に結婚して子どもが生まれ、幸せかと思いきや奮闘と心労の毎日だとブログに書き綴っている姉から、ある日に『命令』を受けた。
『何でもいいから、絵本買ってきて。子どもに読んであげたいから』
携帯電話越しに、俺は姉からそう頼まれる。姉の名前は美希、生まれて数か月ほど経つ姪は優希といった。まだ高校生である俺は、どうせ部活も、ろくに勉強もしてないんだろうから暇でしょあんた、と、姉のいいように使われたりしている実際どうしようもない健弱ボーイでゴメンナサイだった。密かに毎夜、黒酢を飲んでいる。体にいいだろうと思っていた。
「絵本だぁ……? 何で俺が」
たぶん外出するのが邪魔くさいのだろう、弟の俺がいたら、俺を使って楽をしようとすることが度々にある。姉は口がよく動き頭の回転が早いのだが、考えずに話すので俺が体裁を整えてやることもあった。もう少し落ち着きがあればいいのにと何度でも繰り返し思っている老けた俺。
仕方ないかと、言われた通りで何処の部活にも所属していないしバイトもない、彼女もいない暇な俺は、学校の帰りに本屋へと立ち寄っていた。
児童書コーナーは店の奥だった、非常に助かる。もしコンビニみたいに外から丸見えな所に設置されていたらと思うと背筋が凍るだろうよ、同級生や女の子に見られたりでもしたら……俺は、何て裏で囁かれてしまうんだろうか。「キャー、間島君、ステキ〜」……
そんなはずはない。
恥ずかしくても頑張れ俺、絵本コーナーは突き当たりの角を曲がってすぐだと天井近くの案内看板には書いてある。
幸い、子どもどころか人がひとりも辺りにはいないようだった、もの凄くホッとした。
さっさと適当に見て選んで、買って帰るか。俺は陳列されていた棚と、そばにあった回転式の小さな棚を交互に見ていた。絵本といってもどういうのがいいのだろうか、姪、女の子だから、お姫様や可愛い動物なんかが出てくる方がいいのだろうか。電車や戦隊ものは違うよなあ。
そんなことを考え巡らせながら、順番に棚の本を見ていっていた。するとだった。
『飛び出す絵本シリーズ1』
背表紙に、それだけが書いてある厚さ数ミリの本を見つけていた。「お、こんなのでいいんじゃないか」俺は躊躇わず手にとっていた。
よく工夫されて、切った紙の部分を折り立てて、本を開けばそこに書かれた絵や文字が気持ち少し立体になってまさに『飛び出す』仕様になっているんだ、昔からよくある。俺の小さい頃にも家にあったのではないかな、探せばあると思うが、懐かしい。
立体に見ることができる特殊な眼鏡をかければ、本のなかの住人が本当に動いているように見えるっていう現代的な本を紹介されていたのをテレビで見た覚えがある。あれの類似かもしれない、だったら面白いな、姪も喜んでくれたらいいのだが。
俺はタイトルだけが書かれていて白いその本を、開いてみた。
そういえば絵本のくせに、何で表紙も裏も絵が描いてないんだろうかと疑うのがちょっと遅かったようだった。ばさ、ばさばさばさ。
目の前がいきなり白い世界になり、鳥のような羽音が一斉に響いていた。俺は一度の衝撃で、手元から持っていた本を滑り落としてしまった。
(な、何だ?)
俺は尻もちをついて、今、何が起こったのかを確かめに周囲を見渡した。すぐに分かった、壁際、本棚の上、高い所に『それ』たちはいたからだった。
本だ。
見開いた状態での。
鳥のように自由に、羽ばたいているかのように見えた。
「えええええ」
俺は冷静な判断を下した声を上げた。何だあれ、『本』なのか? ひとつではない、3、4冊はいた。羽に似た紙面は白っぽいが、絵は描かれているようで柄が見える。もしや……。
『飛び出す絵本』
確かに。絵本から絵本は飛び出した。そうだな、それは納得しよう、だが、忘れてはならない事柄がまだあった。
飛び出す絵本シリーズ、『1』。
お気づきの通り、シリーズだということだ。だとしたら、2、3と続くつもりである……俺はどうしたらいいのかがわからないが、とりあえず落とした本を本棚に戻すついでに、背を向けて並んでいるシリーズ数冊をざっと目で流して口に出さずタイトルを読んでみた。
虫、花、動物、家族、小笠原権左衛門……
サブタイトルにそう書かれている。虫、花……動物……本当に飛び出してくるのか、これらが? とても信じられなかった。いや、実際、本のなかから本が飛び出しているのを見ているわけだから、有り得てしまうのではないだろうか、……いずれにせよ。
俺の好奇の手は止まらなかった。まずは『シリーズ2・虫』と背に書かれた本を引っ張り出そうと指にかけていた、だがふと、嫌な予感がしたのでその手は止まってしまったのだった。
虫とはいっても、蝶やトンボの類ならまだいいが、蛾やハエや蜘蛛だったらどうするんだろうか、さらに、羽の生えた蟻やゴのつくあの最強の虫だったりしたのなら……俺は、その隣にある『シリーズ3・花』の方へと指を移していた。
花なら、安全なのではと……だがしかし、棚から取り出しかけて表紙の絵を見た途端、その本をすぐに棚へと戻してしまった。食虫植物、ハエトリグサのイラストが色鮮やかに描かれていたからだった。気味が悪い……。
「ええいもう、何なんだよ、この『シリーズ』は!」
俺はひとりで叫んでいた。みっともないと知りつつ、誰もいないからいいと開き直っていた。ばっさばさばさ……隅の一角で、羽音は聞こえている。
この本屋に来てから数十分が経つが、何でこんな所で頭を使って悩んでいるのだ、この俺は。馬鹿馬鹿しい、そもそも買って姪に与える本だぞ、何かが飛び出してきたなら危ないではないか……俺は自分を落ち着けていた。
俺はシリーズからは遠ざかり、『えがおいっぱい』とタイトルが書かれお母さんと子どもの顔がにこにこと仲良く笑っているイラストが描かれた本を平積みされていた所から抜き取って、持ってレジへと直行して行った。飛び出した本は放置し、後で店員さんが片付けてくれると決めつけて本屋を去って行ったのだった。
その日は姉の住む家に立ち寄って、本を渡して帰宅した。後日に姉から電話がかかってきて、「今度お礼にソーメンでも送るよ、お中元の時期だし」と言われたのだが、「飛び出さないよな?」と聞き返してしまった。案の定、姉は「はあ?」と素直な声を受話器越しに上げた後、「そうそう、買ってきた本だけど」と何かを言いたげに話を持ち出していた。「何?」
姉によると、俺が直感だけで買ったその本には約一万にもなる数の笑顔写真ばかりが掲載されていて、笑顔多すぎなんじゃいと言われてしまった。なるほど。
今どきの絵本は侮れないのだろうか、進化しているのだろうか? ……電話を切った後、俺は思い返していた。
『飛び出す絵本』シリーズには、小笠原権左衛門の次にもう1種あった。その先がないため恐らくそれがシリーズ最終となると思われるのだが、俺は気になっている。
飛び出す絵本シリーズ7・『幽霊』。
開けてはいけないパンドラの箱のような気がしていた。