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情報量が限界を超えた私は、どこか現実感のないままほわほわとした頭でルカが手を引くのに任せて連れて行かれていた。
ルカのものらしい馬車の中に入ってから、やっと「何か言わなければ」と思い当たった私は声を出す。
「あの……ルカ、久しぶりだね」
「……! はい、お久しぶりですクロエ様……こうしてまた会えて、クロエ様にルカって呼んでもらえて嬉しい」
繋いだ手はそのままで、絡んだ指が甘えるように私の手の甲を撫でてどこか気恥ずかしいような、むずがゆい気持ちになってしまう。
ルカはあの時のまま甘えてるつもりなのだろうし、私も嬉しい。
けど外見は間違いなくキラキラした美青年でしかないルカにまっすぐ見つめられてちょっと落ち着かなくなってしまう。だって面影はあるけど顔だけ見たら知らない人にしか思えなくて……。
「……ルカ、なのよね……?」
「うん、そうですよ。ただいま……クロエ様」
「おかえり……でも、びっくりしちゃった。全部突然すぎて……ルカが勇者リュカーシュ様だったなんて、知らなかったから……」
「……親も分からないスラム街のガキが勇者じゃ都合が悪かったんでしょうね、教会がそう名付けたんです」
確かにルカはうちに来るまでの素性は分からない。ルカ自身にも当然物心つく前の記憶なんてないから、親の名前も顔も、生きているかどうかすら分からない。ルカという名前もいつ誰が付けたのかすらも。
しかしもし同じ名前を変わらず名乗らせたら、万が一ルカの本当の親や親族が名乗り出るかもと思われていたのだろう。きっとその警戒対象には家族同然だった私達も含まれていたのではないか。
推測でしかない話で教会を批判するような事を、この偶然の再開を喜ぶルカに伝える事はできずにそっと胸の奥に置いた。
「そ……れより、クロエ様! すいません、お返事も聞かずに強引に連れてきてしまって……」
「いいの。私こそ……ありがとう、あの場から連れ出してくれて。前もって何も聞かされてなくて、頭が真っ白になって……こうして静かな場所で考える時間ができて、助かったから」
「クロエ様……あの女の侍女って、なりたいと思ってるんですか……?」
「……なりたいとは、ちょっと思わない、かな……でも私の立場では断れないから、心の整理がしたくて」
聖女になった時に実家から離され、その後没落して家は取り潰されたので正式な貴族籍はなくなっていたと思う。さきほど聖女の肩書きも失ったため、自分の身分が公的にはどうなっているのか私もよく分からない。
平民に準じた立場になっていると思われるが、公爵令嬢の侍女になることを拒める立場には到底無い。
「そんな……クロエ様が望まないなら僕が何とかしてみせます!」
「ふふ……ルカはしばらく会わない間に、すごく頼りがいのある事を言うようになったのね」
「はい、クロエ様の騎士になるために頑張りましたから」
「約束、ずっと覚えてたんだね……すごい英雄になっちゃって、私も鼻が高いな」
弟の成長を見るようで、感激してしまった私は再度涙が滲んでいた。すっかり背が伸びて「男の人」になってしまったが、でも間違いなく私の可愛い弟分のルカだった。
それに比べて私は、なんて情けない姿を見せてしまったんだろう。恥じる気持ちはあったが、口に出したところで気を使わせてしまうだけだ。
「ルカ……確かに感謝してるけど、よく考えて欲しいの。3年以上かかった大討伐の褒賞を私の身柄と引き換えに全て国に返還してしまうなんて……打ち合わせもなく宣言しただけなら正式には認められていないはずだから、すぐにでも……」
「クロエ様は迷惑でしたか?」
「ううん、迷惑だなんてそんな。ただルカが急にあんな事を言い出したから、びっくりしたのと後悔して欲しくなくて……」
「僕を心配してくれてるんですね」
悲しそうにされたのが一転満面の笑みになって、依然手を握られたままの私は至近距離でそれを目にして息を呑んだ。
すごいキレイな子になっちゃって、でも戦場に長期間いたせいか無防備すぎて不安になってしまう。数千人の乙女のハートを知らずに射抜いていそうだ。
「だったらクロエ様……僕を助けると思って、協力してください」
「助ける?」
「はい。僕は、褒美なんていらなかったんです。人々が安心して暮らすために大討伐に参加しただけで、正直領地も爵位もいらなかったんです」
そう言われて確かに、と納得する。私の知ってるルカは、地位や褒賞を目当てに働くような子ではなかった。
「むしろ領地も爵位も、大変そうでいらなかったのに。お金だって3年も使うあてがなかったからその間の手当てが丸っと残ってます。これ以上は必要ないって言ったのに、無理矢理押し付けられたんです」
「そうだったのね」
国としては英雄に何も褒美を与えないわけにもいかない。
それに領地にも爵位にも責任と義務が伴う。国はむしろそうして枷を付けてルカを縛りつけたかったのだろうけど、ルカはそれを望まなかった。
優しくて欲のない子だから、本心からそう思っているのがよく分かる。私の騎士を目指していた子供の頃も、「ごほうびはクッキーじゃなくてクロエ様、頭なでなでして」って
言ってたくらいだもの。
「だから僕は大変そうな役目から逃げられたし、お金がかからなくなったから偉い人達だって喜んでると思うんですよね」
国は英雄を貴族に迎える思惑があったのだと思うが、ルカが望まない立場を断る口実になれたのならよかったの、だろうか。
国の中枢よりも、つい可愛いルカの気持ちを優先して考えてしまう。素晴らしい成果をあげて褒められるルカは見ているだけで誇らしいが、本人がいらないと言うものを自分達の都合で押し付けるのはやめていただきたい。
でも予定外の事に混乱はしているだろうから、ちゃんと話をしてくるように伝えないと。
「クロエ様、本当に、僕の事を頼ってくださいね。何も持ってなかった僕にたくさん与えてくれた恩返しがしたいんです」
「ルカ……」
「立派な人間になれたって、クロエ様に見てもらいたい……だからどうか、僕の好きなようにさせてください」
私の重荷にならないように、言葉を選んでいるルカの優しさがじわりと胸に広がった。
あの小さかったルカが、こんな気遣いができるほど大人になったんだなぁ。
「あのね……知ってるかもしれないけど、父さんは……亡くなったの」
「はい、伯爵家がなくなってしまったのは、聞きました……けど遠征から戻ってきてから知って……あんなにお世話になったのに、お葬式にも出られなくてすいません」
「ルカは大変だったもの、仕方ないわ」
「他の方は……?」
「使用人だった方達はみんな、紹介状を書いたりして次の仕事が何とか見つかって……お祖父さまは、体を壊してしまって入院してるの」
「先代様が」
「ルカはお祖父さまに懐いてたものね」
久しぶりにゆっくり家族を思い出してしんみりしてしまう。今度お祖父さまの病院にも一緒に行こうと約束しながら、私達は馬車の中にいる間ずっと……今まで会えなかった穴埋めをするように話をしていた。