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だしがらは捨てられる

 

 だしがらがみっともなく分不相応な立場にしがみついていた罰を受けたのだろうか。

 それとも、何の取り柄もない私が聖女の力を得て、国一番だと持ち上げられて王子様と婚約までした幸運の揺り戻しが起きているのか。


 私は分からなかった。


 久しぶりに2人きりで話をしたあの日からひと月。ランスロット殿下は何度か聖女宮を訪れていたけど、もしかしてその話をしに来ていたのだろうか。

 私には分からない。何も聞いていないから。何も聞かされていなかったから。

 その時が来たら諦めようと思っていたはずなのに、あまりに突然すぎて、ちゃんと受け止められずに目眩までする。


「……クロエにはアイシャが伝えた、そう言っていたよな?」

「あら? 今朝カーラにお話するように伝えたのですけど……言い忘れたのかしら? 申し訳ありません、あとで叱っておきますぅ」

「ひと月前から決定していた話だぞ……?! それを、」


 心臓が、耳の真上にあるのではないかと言うほどバクバク鳴っている。指先は氷のように冷えて、立っているはずの床の感触が無い。

 3年にも及ぶ遠征を終えて、大金星を上げて戻って来た勇者達の凱旋。これは世界規模の災害にまで膨れ上がった魔物の群れを掃討するために派遣された6カ国による連合作戦だった。その華々しい成果を改めて伝える陛下の口から続いて語られた言葉は……ランスロット第二王子と元筆頭聖女クロエの婚約の破棄。

 力を失って永いクロエは聖女の任命を解消し、それに伴い婚約も取り消すと。この契約は破棄されて「無かったこと」にされるらしい。


 何故こんなに急に、と戸惑いしかない。

 唯一の救いは、ランスロット殿下が前もって私に伝えようとしてくれていたのが窺える事だろうか。

 ああ、おかしいと思った……。夜会に参加するようにと今朝急にカーラさんに伝えられたのもそうだが、会場で顔を合わせたランスロット殿下はとても驚いた顔をされていたから。きっと私は今夜ここにいるはずじゃなかったのだ。

 私はとっくに婚約者でも、名ばかりの聖女ですらなかった。

 聖女の礼装で参加している自分があまりにも場違いで、悲しくなる。婚約の証としてもらったイヤリングを思わず手で抑えて隠してしまった。


「だって、こんなに惨めな事、クロエお姉さまにお伝えするのに気が引けちゃって。ギリギリまで幸せな時間を過ごさせてあげたいと思ったの。ごめんなさいね? クロエお姉さま、私がランス様をとっちゃって」


 ……アイシャ様のそのご厚意は、私にとって毒にしかならなかった。

 聖女として、フローレンス公爵家の令嬢として正式な婚約者となったばかりのアイシャ様を直視できない。私に向けた笑みが何故かあざけっているようにしか見えなくて、公爵令嬢として謝罪を口になさっているアイシャ様に返答する声が詰まってしまう。

 凱旋を祝う夜会の開始を告げる陛下の口上は終わったのに誰も動こうとしない。周りから刺さる視線が痛い……わざわざ聞かなければいいのに、私を見て囁いている声が耳に入ってしまう。


「聖女の名前にしがみついてた『だしがら』がやっと身の程を知るのねぇ」「無理を言ってアイシャ様の付き人にまで押しかけて」「迷惑されてるのを理解しない粗野な人だから今まで心配で仕方なかったから良かったわ」


 そんな風に見えていたのかと今更ながら背中が冷たくなるほど血の気が引く。刺すようにお腹が痛い、喉がギュウと締まって、謝罪すら口に出せない。涙がこぼれないように堪えるだけでいっぱいいっぱいになった私は手のひらに爪を立てた。

 じゃあ私はどうすれば良かったのか、何が出来たのか。国が決めた婚約を、不敬であると分かっていながら解消してくれと要求できたのか、自分の身の振り方すらどうにもならなかったのに、病に倒れた祖父の治療費もなかった私に他に選択肢はあったのだろうか。


「……この場で伝える事になってしまったとは把握していなかった。顔を合わせても平静でいたから、動揺すらしていないのかと……」

「いいえ……こちらこそ、連絡に行き違いがあったようで謝罪を……じ、直答を……申し訳ありません! 許可をいただかないうちに……」


 気を抜くと溢れてしまいそうになる涙をやっとの事で抑えながら頭を深々と下げる。取り乱しているただ中の私は言葉を返してから気が付いた。……聖女の名すら失った私はこれからは直接ランスロット殿下と言葉を交わす事も許されない身分になっている。伯爵令嬢だったのは過去の話で、それだってデビュタントをしていないから貴族名鑑にも載っていなかった。

 私は平民ではない、貴族でもない中途半端な存在だ。

 不敬と罰せられたらどうしようと恐れていると、私とは正反対に気色の滲んだ鈴の鳴るような可愛らしい声が目の前からした。


「やだぁ、クロエお姉さま、そんなにかしこまらないで?」

「ですが、」

「私寂しいわ、実の姉のように慕っていたのによその人みたいな口をきかれるなんて……」


 悲しそうな顔をしたアイシャ様が指先でそっと目尻を抑えてくすんと鼻を鳴らす。私に向かう周りの視線が余計に厳しくなり、お腹の痛みが増した私はみぞおちを抑えて俯いてしまった。


「しかし実際、私の身分にはそぐわない厚情は身に余ります……どうか、」

「身分の事なら気にしないで! 私、クロエお姉さまとはこれからもずっとずっと仲良くいたいのよ。私が王家に嫁入りしてからもずっと一緒にいられるように、正式に侍女に雇う事にしたの!」


 その言葉に私は目の前が真っ暗になりそうだった。思いを寄せていた人が別の女性と夫婦になるのを間近で見るばかりか、その言葉の通り「ずっと」なら私はもう他の仕事に就くこともできないし、結婚も子供も諦めなければならない。

 聖女の勤めは好きだったが……私はこれから一生アイシャ様から離れられないのかと絶望が襲ってくる。


 ……こんな失礼な事、思ってはいけないのに。仕事を与えていただいたのを感謝しないと。

 勝手に私が慕っていただけだが、これはランスロット殿下も納得されての事だろうか。固まった首をゆっくり巡らせて隣を見ると、気まずそうな瞳と一瞬目があってすぐ逸らされた。

 やはり承知だったのか、と改めてショックを受ける。これが私にとってどんなに残酷な事かきっと分からないのだろう。行き場がない上に聖女でもなくなった私の居場所を作ってくれようとしただけで、それが名ばかりとはいえ婚約者だった女が妻の侍女になるのは少し気まずい、その程度だろうか。


 惨めで情けなくて、泣き崩れてしまいたい気持ちになった私は細く息を吐いて何とか矜持だけで立っていた。

 その任喜んでお受けします、と答えなければならないのに。声を出したら一緒に涙がこぼれそうで……


「クロエ様を幸せに出来ないなら解放してもらえませんか?」


 はい、と喉の奥から絞り出す寸前にそんな声がかかって私は顔を上げた。

 近付いてきた気配すら感じなかったり隣にはいつの間にか琥珀色の瞳の青年が立っていた。くすんだ金茶の髪に、幼い危うさの同居する美しい青年だった。壇上に見た時は背が高いからもっと上かと思ったが、歳の頃は16、7ほどだろうか。

 そこにいたのは、先程連合軍の中でも群を抜いた活躍を見せたと紹介されて山のような褒美を授かっていた勇者だった。出立のパレードは聖女として忙しかった中直接見ておらず、新聞の画像は粗くて顔まで認識していなかった。彼があの、勇者の中でも特別だと評される人類の英雄……確か名前は、


「勇者リュカーシュ……様」


 私を守るように隣に立って、相対したランスロット殿下とアイシャ様を厳しい目で睨みつけていた横顔が、私に向くとふわりと綻ぶ。

 何故勇者様が、何故私の名前を、

 私は混乱しすぎて涙がひっこんでいた。自分がたった今婚約を破棄された事も忘れて、ぱちくりと目を見開いて固まってしまう。


「そんな……クロエ様……国から付けられた名前じゃなくて、昔みたいに呼んでください」


 悲しそうに潤んだ瞳。雨の日に捨てられた子犬みたいな、私を見つめるその目が記憶の中の男の子と重なった。

 そんな、まさか。丸みを帯びていたふくふくのほっぺたは名残もなく、身長なんて私より大きくなってしまっている。でもシャンデリアの光を受けて本物の琥珀のようにキラキラ輝く瞳を、私は知っていた。


「も、しかして……ルカ?」

「ああ、覚えていてくださったんですね!」


 妖精と褒めそやされるアイシャ様を見慣れている私ですら、勇者リュカーシュ……ルカの満面の笑みに気圧されてしまいそうだったのに。周りの方達の食らった衝撃はいかほどだろうか。

 美しさと可愛さの備わった美青年の笑みに胸を撃ち抜かれた人達の息を飲む声が聞こえる。その気持ちはとても分かる、けど。

 婚約破棄されたショックが麻痺するほどの驚きに、まだついていけない私はルカにギュッと握られた手を請われるように持ち上げられて、口をぽかんと開けたまま見つめるしか出来なかった。

 大きくなって、だなんて親戚のおばさんみたいな言葉しか浮かばない。まさか、あの有名な勇者リュカーシュがルカだったなんて。

 そう言われれば子供の頃の面影が残っている。良かった元気にしてたんだ、英雄として国から表彰されるほどすごいなんて、でもそれだけ危ない場所に行ってたのか、怪我はしてないか。まとまりのない言葉が頭の中を駆け巡る。


「クロエ様……あの時の約束、覚えてますか?」


──ぜったいぜったい帰ってくるから、そしたら僕のことをクロエ様の騎士にしてください──


 聖歌が聞こえる中、お祖父さまと父さんと、ルカも一緒に暮らしていた家のすぐ前でルカと2人たくさん泣いた。約束を覚えていてくれたのかと、鼻の奥がツンと熱くなって、さっきあれだけ我慢できていた涙がとうとう頬を伝った。


「う、ん……覚えてる。忘れるわけないよ……お帰りなさい、ルカ」


 ギュッと、絡めていた指に力がこもる。また嬉しそうに笑ったルカは、蜂蜜みたいな綺麗な色の瞳を細めて唇を緩めた。


「ただいま、クロエ様」

 




次話は15時に投稿されます

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