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開くのに時間がかかる茶葉だったようで、だいぶ時間がかかってしまった。お待たせしてしまったと焦る心を抑えつつワゴンを押してサロンに戻ると、なぜかそこには来訪を聞かされていなかったランスロット殿下がいらっしゃったのだ。
「あ、クロエお姉さまやっと戻って来たぁ」
「……お待たせ、してしまって、申し訳ありません」
深々と頭を下げながら、私にとって気まずい視線から目を逸らす。国一番の聖女の力に期待されて結ばれた婚約なのに、私はその力をほとんど失ってしまった。
前例にないが私から聖女の位を剥奪しようという声もある。しかし日によって使える力に強弱があるため、またある日私の力が戻るかもしれないと考えている神殿の人間も多い。それに加えて、軽々しく王族の婚約者を代える訳にはいかない事も口実にしてランスロット殿下のご厚意でまだ婚約者の立場に置いていただいている。
こうなると、式を挙げていなくて良かった。だしがらになったとは言え元の力を思うと私を国は手放せなかった、それほど魔物の脅威が凄まじかったという事なので良い話では無いのだが。夫婦になっていたら周りにかけていた迷惑はどれほどのものだったか分からないから。
しかし婚約者でいる現在も私のせいで殿下のお立場を悪くしている。それが申し訳なくてならない……はやく国が落ち着いて、正式な婚約者が殿下に立てられたらいいのだけど。
ずっと近くで見ていた人だ、幸せになってもらいたい。
ランスロット殿下は王妃様の御子だが第二王子で、王位継承権などの絡む繊細なお立場にある。元々聖女の名前だけが目的の政略的な婚約で、国に力の強い聖女の血を混ぜる事が目的で妃として実際に隣に立つ方は別に求められるとお城の方から教えられていたのでその覚悟はしていたが……
始まりは政略でも、今の私はランスロット殿下の事を確かに愛してしまっていた。力を失った私がこのまま婚約者でいる事はできないと当然理解している。
ランスロット殿下は、身分だけでなくご本人も大変な人気がある。お優しいだけでなく人の上に立つものとしての優れた能力をお持ちの上に、武人としても名高く、輝く金の御髪も青空のような透き通った瞳も、すべてのパーツが理想的な位置に配置された美の女神が嫉妬しそうな整ったお顔も全てが世の女性達を惹きつけてやまない。
でも私は、二人きりの時はわりと無口になったり、私の前では不機嫌そうな顔もしたり、心配性なところや意外と甘党だったりとか、私が知ってる彼を好きなのだ。
他の聖女様方の言うように、虫除けを兼ねてそのままにしているだけで状況が整ったらすぐにでも解消されるのは分かっている。
でも私は自分の恋心を諦める事はできず、せめて国が、ランスロット殿下から何か言われるまではと立場だけでもこの人の婚約者でいたかった。
「……クロエ、今日時間を取ってくれと伝えていたはずだが……」
「えっ、……も、申し訳ございません、ランスロット殿下」
「ランス様、怒らないであげて? クロエお姉さまはよっぽどランス様にお茶を淹れてさしあげたかったのよ。だって来訪のご予定はお伝えしていたはずなのに、直前に出て行ってしまうのだもの」
ランスロット殿下がいらっしゃるなんて私は聞いていなかった。なぜこんな齟齬が起きているのかと混乱していると、私と目があったカーラ様が意味ありげに笑って見せた。
また……? やはりわざと私に黙っていたのかと胸の中に苦いものが広がる。……いえ、きっと偶然伝え忘れただけに違いない。それか、聞いた私が忘れていたのだろう。
「クロエ、君は私の婚約者で聖女の肩書もあるのだから、あまり無理を言って下々の仕事を奪うものではない。立場を考えてくれ」
私が無理を言って紅茶を淹れた事になっていたのになんとなく納得のいかなさを感じるが、でも確かに「喜んで」と言ったのは自分なので否定も出来なかった。
「申し訳ありません、気を付けます」
「そんな、ひどいわランス様。今のクロエお姉さまは何も出来ることが無いから焦っているのよ。優しくしてあげて」
政情次第でどうとでもなると分かっていたはずなのに。
立場だけを求められて婚約者になった私とは違い、アイシャ様は公爵家のご実家と聖女の力両方を持つ……まさに王妃に相応しいお方だ。
ランスロット殿下の従姉妹にあたり、私が力の強い聖女でなかったら、病弱だったアイシャ様の健康問題が解決し次第婚約が結ばれていたはずだと聞いた。だから割り込んだのは私の方なのに。
すでに次の婚約者と交流を取るランスロット殿下に傷付かない訳ではないが、だしがらの私は何も言えない。
……ランスロット殿下とご結婚する方が、私をお姉さまと慕ってくれる彼女で良かったと思うべきか。そうよね、私の捉え方がひねくれているだけで、アイシャ様は優しいお方だから。
遅れて登場した私が持ってきたお茶は誰も飲まなかった。淹れるのに時間のかかったお茶を待ちわびて、ランスロット殿下の来訪に合わせてカーラ様が手際良く用意してくださったそうだ。
でも捨てるなんてもったいなくて出来ないから、水筒にうつして部屋に持って帰ることにしよう。1日あれば飲み切るだろう。
「クロエ」
「……ランスロット殿下」
手を付けられてない茶器を水場で軽く洗っていると城に帰ったと思っていた殿下に後ろから声をかけられてびくりと肩が跳ねてしまった。作業用の前掛けをしている今の姿が少し恥ずかしくて、思わず濡れた手で裾を掴んで俯いてしまう。
そう言えば、元々私に話があって来訪されたのだ。アイシャ様がここで話せばいいとおっしゃっていたがそれにお応えなさらなかった。きっとそれを話すためにお忙しいのに来てくださったのだろうに。今もこうして王城に戻られる間際に足を運ばせてしまって申し訳ない。
「聖女の力は?」
「……相変わらず、切り傷を治すのがやっとで……。日によっては、少し重い症状にも効くように思いますが、以前のような力はやはり、とても……」
「そうか」
気まずい時間が流れる。申し訳なくて私は彼の顔を見れなかった。
「婚約の解消を受け入れる意思があると、アイシャから聞いた」
「それは……は、い。自分が、不甲斐なくて。今の私はランスロット殿下の足手まといにしかなっていません」
好きな人だからこそ、私のせいで迷惑はかけたくない。例え彼から……ランスロット殿下から同じ思いが返ってこなくても。
だからアイシャ様に「クロエお姉さまはそこまでしてもお妃になりたいの?」と聞かれた時に「……ランスロット殿下の良いようになさるなら、その決定に従います」と答えたのだ。
「クロエはそんな事を気にしないでいい」
むっと不機嫌そうに眉をしかめたランスロット殿下が俯いていた私の手を取る。
「返事は?」
「……かしこまりました」
ああ、失敗した。名ばかりの婚約者で、貴族の社交の教育もまともに受けていない私が勝手に心配することではなかったのだ。
きっと私が気を揉むまでもなく、全てがつつがなく進んでいるのだろうに。
「クロエ、先ほどはアイシャがいて話せなかったが……」
「あっ! ランス様、どうされました? 忘れものですかぁ?」
「……チッ、」
アイシャ様が宮の裏手にいらっしゃるなんて珍しい、と思った私がランスロット殿下に手を握られたまま固まっていると、正面にいる私にしか聞こえない大きさで小さく何か呟いた。
「……手放してやれなくて、すまない」
「殿下……?」
その言葉の意味を問い返す前に、ランスロット殿下の腕をアイシャ様がとって離れてしまう。
久しぶりに触れた体温にドキドキしている間に、ランスロット殿下もアイシャ様もその場からいなくなっていた。