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約束していた治療を終えると、付かず離れずの距離でずっとついてきている護衛の方2人も私の歩調に合わせてゆっくりと移動する。
最初は挨拶と一緒に世間話もしてみたのだが、いやに青い顔で「自分は職務中でありますので!」と断られてしまい、確かに仕事中に余計な話をするのは悪かったなと反省して事務的な会話だけに留めている。それも私が何かを伝えて彼らが頷くと言う、ほとんど会話にはなっていないのだが。
お祖父さまの入院している病院に着くと、先日のルカのように「部外者の立ち入りは出来ない」と止められそうになっていた。ここでのルールだから仕方ないと私はなんとも思わなかったのだが、護衛の方達は「自分は第一王子の直属の部隊の騎士だ」「この方の護衛を仰せつかっている、王子の勅命があるのでこの病院の規則は適用されない」と鬼気迫る勢いで受付から承諾をもぎ取っていて戸惑ってしまった。
……とても、任務に責任をお持ちなのだろう。まるで私から一瞬でも目を離したら誰かにとんでもないお仕置きをされるとか、そのくらいの焦りようだったわ。
でも騎士様が身分を明かしてああして要求しただけですぐに承諾されるなら先日のルカの時ももう少し何とかならないか聞いてみたらよかったかしら。ううん、やっぱりルカに勇者の立場を使わせて特別扱いを要求するとか、しちゃいけないわね。
「先日お伝えした通り、病院の事務に書類は提出したんですけど退院はいつになるか分からないと言われてしまって……」
「もう私はピンピンしとると言うのに、なんだか面倒くさい話だな」
「でも度々容態が急変していたのは確かですから。それになんでも、ここの入院に後見となったフローレンス公爵家に話をしないといけないとか」
「確かにお世話にはなったからな……元々派閥も違うのに、聖女としてつとめていたクロエを知っていたと言うだけで本当に良くしていただいたらしいな」
「ええ、感謝しております」
お父様が突然亡くなって、お祖父さまも倒れて。私は教会の中で筆頭聖女として自由に連絡も取れなかったため、手を挙げて助力を買って出てくださったフローレンス公爵家にお祖母さまはずいぶん助けられたとおっしゃっていた。
今日は時間を合わせて病室で待っていたお祖母さまも、感謝の言葉を口にしている。
しかし、「クロエが筆頭聖女ではなくなった時に転院させてくれてれば、平民として細々暮らして、クロエにも平民相手に持参金を持たせるくらいの資産はあったのだけれど」と弱々しく嘆いていたのを知っている。
いつの間にか家族の知らない借金をしていた父だが、貧乏とはいえ伯爵家の財産を整理したら最終的にはプラスとなったらしい。けどこの病院に無理なく通える地域の部屋の家賃は高く、この2年あまりでそのお祖父さまとお祖母さまの老後の生活費となったはずのものは大分目減りしてしまっている。
私のお給金はここの入院治療費と相殺……どころか本来なら私では払えないようなもので、これ以上フローレンス公爵家に借りを作るわけにはいかないとお祖母さまも頑張ってはくれたのだが、どうにもならなかった。でもアイシャ様の付き人ではなくなった今、このままにしておくわけにはいかない。
聖女として、幼い頃のアイシャ様が何度か体調を崩すたびに治療をしたが、その時のお礼にしては過分にすら感じてしまう。だしがらになった後も公爵令嬢の付き人として働かせていただけるなんてとても光栄な事なのに、「お祖父さまが回復した時に、平民として解放されたかった」なんて思ってしまっていた。ああ、我ながらなんて恩知らずなんだろう。
これまで何度も転院については相談したことはあったのだが、病院側から「まだご家族の容態は安定していないから転院で負担をかけない方が良い」と言われること。後、転院について話をしているとお祖父さまが体調を崩されることが多くて、バタバタしているうちに話が流れてしまう。その後はしばらく私もお祖父さまの体を優先して、体調が安定したお祖父さまが負担をかけていると心苦しくなって転院を話に出して、また少しすると体調が……というのをここ2年4回ほど繰り返していた。
病院の方達に、「あなたのお祖父様はここだったから助かったんですよ」「最高の医療が受けられるここから動かすのはお勧めしません、聖女の力があったなら引き取る事も出来たでしょうが、治療が間に合わず亡くなったらどうするのですか?」と言われて……。
ここにいたら死ななくて済むんじゃないかと家族が亡くなる事に怯えていた私は「病院はもういいから余生をのびのび過ごしたい」というお祖父さまの希望から逃げて病院の中に閉じ込めていたのではないか。
最近、ルカのおかげで自分を振り返る時間のできた私はそうやって内省するようになっていた。
でもやはり心配だから、移るにしても病院にはかかって欲しい。歳のわりに健康そうに見えるし喋り口もハキハキしている祖父が、いつまた容態が急変するかと私はそれが怖かった。ああ、本当に聖女の力を失ってしまって申し訳ない。
転院についての手続きは、問い合わせても私ではお祖父さまの転院や退院はできないと突っぱねられるだけで進展がなかったので、手を煩わせて申し訳ないが帰ったらセドリックさんに相談しよう。
鬱々とした気分を抱えた私は教会を訪れていた。
先日荷物は取りに来たが、その時はここで働いていた関係者として通用門を使った。今日はただの信徒として、他の方と一緒に正門を潜る。
「クロエ様ではないですか」
「あ……ゼクさん、お久しぶりです」
「突然聖女様の付き人をやめて、いなくなられたので心配しました」
礼拝堂に向かおうとしていた私は、突然声をかけられてそちらを向くと顔見知りの神官を見つけて立ち止まって挨拶をした。お世話になった人はたくさんいたのに、急だったので別れの言葉も告げられていない。
この方は、私がよく身にそぐわない物を運ぼうとしている時に「クロエ様の細腕では重いでしょうから」と力仕事をよく買って出ていただいた。
ゼクさんの言葉からは、私が過去縁があったという関係からアイシャ様の付き人を辞めて押しかけて勇者リュカーシュの世話になっているような話ぶりで、でも実際そこまでは間違っていないので反論もできず、他の話にも「その節ではご迷惑をおかけしました」と言うしかなかった。
次期王妃の侍女を見込んだポストを用意されて、あんなにお世話になったのにそれを蹴る形で出て行った恩知らずに見えているのだろう。いや、現にそうではないか。
「いや、でもクロエ様の心中はお察しします。逃げたくなるのもなんとなく分かりますよ」
「え?」
私のわがままのせいで大勢の方にたくさん迷惑をかけているなぁと思い知って痛くなってきたお腹を気にしていると不意にそんな言葉を言われてびっくりした。
「でも英雄とはいえ遠縁の年下の男の家に居候するなんて気を使うでしょうから、私で良かったら相談に乗りますよ」
「……相談?」
「ええ、クロエ様は手に職もありませんし、ちゃんと身を寄せる場所が必要でしょう。私もそろそろ家庭を持つことを考えていますので」
お腹の前でぎゅっと指を組んでいた手を握られて、反射でびくりと体が強張ってしまう。ルカに突然手を繋がれても何ともなかったのに……拒絶するような反応をしてしまって気分を悪くさせただろうかと顔を窺うと怒ってはいないようで安堵する。
けどその笑顔が何だか怖くて、「今度この件について話を進めましょう」と私が了承した体で会話をされてしまい、それを否定する前にゼクさんは離れてしまった。
……次に会った時にきちんとお断りしないと……
なんだか疲れたし、どうしてああなってしまったんだろう。
礼拝堂で周りに人のいない席を選ぶと、そこに腰掛けて手を組んで目を閉じた。祈りは神との対話と言うが、自分の内面を見つめる時間でもあると思う。
素晴らしい人になりたいとは贅沢は言わないから、どうかもう少し何かの役に立って生きたい。こんな私に優しい声をかけてくださった方達のことが頭をよぎる。
自戒の言葉を胸の内で呟いた後に、教会が掲げるアルゥアェ神の描かれた絵画の優しい眼差しに包まれながら、私は祈りを捧げた。
「あら、ルカ……いつから居たの?」
「ん? 結構前から……けど、クロエ様が真剣にお祈りしてる姿を眺めてたらあっと言う間だったよ」
私が自分の深くまで沈んで祈っていた間に、いつの間にか長椅子の隣にはルカが座っていた。礼拝堂に差し込む光は赤みを帯びていて、いつの間にか夕方になっている事を知らせている。
いつの間に、こんなに時間が……けど、こんなに真剣に祈ったのは筆頭聖女ではなくなってから久しぶりかもしれない。付き人として忙しくて真摯な祈りをおこなえていなかった気がする。安息日はささやかな治療を行うために教会の外に出ていたし……
胸の内でよどんでいたようなものが、何だか少しスッキリしたような気がした。
向き合うのを怖がって逃げていたけど、きっと現状を維持しようとしても良い結果にならない。情けないが、ルカを頼らせてもらおう。
長椅子を立つと、他の人もまばらだ。私と一緒に居たはずの護衛の方は、ルカが来たから不要だと解散してもらったらしい。ゆっくり買い物しながら帰ろうと誘われる。
「……クロエ様、それにも祈るの?」
「それ、って……ルカはここで祀られているのがどなたか知っているの?」
「知ってるよ、神様を裏切って生まれた子供も捨てたクソ女でしょう」
また手を繋いで教会を出る途中、敷地内にある浄罪の泉に向かおうとしてルカが握った手に軽く引き止められた。浄罪の泉……そこで祀られているのは本来はアルゥアェ神の奥方として神の片割れになるはずだった女神だ。
人間の少女に恋をしたアルゥアェ神を引き止めるために夫婦の子ができたと偽り、人間の男と寝ていた。産まれてきた子供が神ではなかったため不実がバレて罰として神としての名前を剥奪され現世に落とされた、通称「名前を奪われたもの」だ。
悪いものとして扱うと人々の恐れから力をつけてしまうので、教会でこうして「この存在が罪を償って善きものとなれますように」と祀られている。不実は神でも裁かれる大罪としつつも男神であるアルゥアェ神の少女への恋は「真実の愛」とされてるのはなんだか不平等に思うけど。
そうやって罪を犯して神界から落ちてきたもの達は神話で他にも語られていて、それらが姿を変えて今も残る「魔」になり、中でもこの「名前を奪われたもの」が「魔」の最古の存在だとされている。
神話と関係なく今も新しい「魔」が生まれているため皆これはお伽話だと知ってはいるが。
「クロエ様にはこんなやつのために祈って欲しくない」
ルカにしては珍しい、ゾッとするくらい冷たい口調に私は驚きながらももしかしてと思う事があった。
うちに来るまでの話はしたがらずにほとんどいきさつについて聞いたことはなかったけど、この「名前を奪われたもの」がしたのと同じようにルカもこの神話で語られる赤子の話で思い出すような辛い目にあったのでは、と。
捨てられたとは神話には書いていないが、もし実際の話ならこの赤子にとって幸せな環境でなかったことは分かる。もしかして自分を重ねて見たのだろうか。ならルカは親に捨てられた記憶が残っているのか……聞くのは酷で、私はただ握った手に力を込めるしかできない。
教会でした勉強で「名前を奪われたもの」を祀る事の重要さは習ったけど、聖女でなくなった私はそれがルカを傷付けてまで祈るほどの事に感じられなくなっていて。
そのままルカに手を引かれて市場をまわり、ルカの笑顔を見て幸せを感じながら帰った。




