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秘書官は勇者の本性を知っている

 


「リュカーシュのところでしばらく秘書官として勤めて欲しいんだが」

「リュカーシュ……英雄リュカーシュ?」

「そう、英雄リュカーシュ。勇者の」

「なるほど」


 私は我が主人あるじの実務机の前に立って辞令を聞いていた。物分かりが良さそうにうんうんと頷いて見せると、躊躇なく返答を口にする。


「嫌ですが」

「は、はぁあっ?! いや、ちょっと待ってくれよセド! お前に断られたらもう他に人がいないんだよ!」

「他の人間に断られるような案件を第一王子の筆頭秘書官に振らないでいただきたい」


 頭の固い老害、いや考えの古い方々に見られたら処分を受けそうな物言いをする。そんな私に「たのむよぉ」なんてすがって見せるラインフォード殿下に頭痛を感じてつい睨んでしまった。

 ただでさえ、昨日国を挙げて讃えるべき英雄にその場で突然褒賞を辞退された上に、台本にない宣言をぶち上げられて凱旋パーティーをしっちゃかめっちゃかにされた我々には片付けなければならない仕事が多いのに。目の前でヘラヘラしているこの男、第一王子の執務室は年度末の地獄進行デスマーチよりも酷い惨状だった。私もそうだが、当然ラインフォード殿下も夜会の後からろくに休めていないはず。


「よりによってその仕事を増やした英雄様の生贄にされるとは……」

「生贄だなんて人聞きの悪い!」


 用意しようとしたこちらの息のかかった使用人は断られ、何故それで受け入れたのかわからない、建設中の宿屋に火事が起きて住居も職場もなくなり行くあてがないという夫婦しかいないのだから人が足りていないのは当然だろう。

 それを考えると彼らも生贄か。リュカーシュの本性を知らされた彼等は借金を抱えていたせいでこの話を飲まざるを得なかったのだから。


 勇者リュカーシュ、人類の英雄。たしかに、彼の存在なしには今回の遠征の大成功はなかった。縮小し続けていた人類の生存圏を取り戻した歴史的な戦い。リュカーシュがいなければ同じ成果を得るのにどれだけの犠牲が出ていたか。いや果たしてあそこにあった「魔」を掃討しきれていなかっただろう。

 国をひとつ滅ぼした「魔」はあふれ、そこと接する国々の領土にまで脅威が及んでいた。そこには連合軍を組んだ我が国も入る。肉の体を持たずにこの世にいでて、命あるものからそれを奪う事を目的に行動し、人の悪意か澱みを食らって育ち、殺す事の出来ない存在。

 例外は、勇者と聖女。いや順序が逆だ、その「魔」を滅する力を持つ特別な存在を勇者や聖女と呼ぶ。


 勇者リュカーシュは、第一王子の秘書官として数多くの勇者や聖女を実際に見てきて、伝説と呼ばれるような過去の英雄の偉業も制限なく閲覧できた私から見てもさらに特別な存在だった。

 いや、そんな生やさしい言葉で遠回しに言い表すのはやめよう。


 あの男は、異常だ。


 誰が呼び始めたのか、「怪物リュカーシュ」と、その名前が的を射すぎていてあの遠征軍の中で「怪物」と言えばあの男の事だと誰しもが理解していた。

 自分とかけ離れた……自分の理解が及ぶ限界の、そこからさらに大きく外れた存在に人間は恐怖を抱くしかできないと私は初めて知った。人が何も成す術もない大災害と同じ、いやそれよりも。暗雲から大地に向けて逃れる事の出来ない速さで裂けるように貫く稲光よりも、噴火した火山の噴煙と溶岩が森を街を焼く光景よりも圧倒的で、その矛先の向け方が災害に等しいほど理不尽で、ただ恐ろしかった。


 都市をひとつ飲み込むような大きさの、龍の形をした「魔」。それを易々と倒したリュカーシュの力は色濃く強烈におそれを刻みつけた。

 街ひとつ離れた距離から視認できる山のような体躯。みじろぎひとつで大木が薙ぎ倒され、地はならされる、質量という名の暴力。あれを人間の力だけでどうにかしようと思ったら国のひとつやふたつ簡単に滅びていただろう。

 それをたった一人でほふれるあの男は、脅威が去ったと喜ぶ事が出来ないほど異質だった。

 たしかに勇者や聖女と呼ばれる者たちは普通ではない身体能力や魔法の才能を持っているが、リュカーシュの圧倒的な力と比べるとそんなもの誤差でしかない。獅子を前にした鼠の中のちょっとした差だ。

 その救世主と扱われるべきリュカーシュを我々が恐れているのは……「理解ができないから」……言葉は通じるがそれだけ、人らしい感情が見えないから私はこんなにもあの男が怖い。


 人々のために戦うなんて高尚な動機は求めていない。褒賞や名誉、目的があれば良かったのに。「自分が生きてる世界だからしぶしぶ戦う」や、いっそ「魔物を殺すのが好き」でもいい。

 私が見ている中で、人間に対しての好意や情が一切見えないあの男が何故人間の利益になるよう指示に従い動いてくれるのか、その理由が分からないからあの力がふとした気まぐれで私達人間に向くかもしれない事が、私はこんなにも怖い。

 ラインフォード殿下からあの男の「特別」な存在の話は聞いているが、私はそれを信用していない。

 リュカーシュにそんな感情があるのか?


 


 今回の掃討はリュカーシュによって為された。それが3年もかかったのは広大な国の跡地に意思を持ってリュカーシュに怯えて逃げ惑う「魔」を追い詰めるのにかかった時間だ。民衆には知らされていないが、連合軍の他の人間達がやった事なんてせいぜいがリュカーシュの取りこぼしの後始末と魔物の追い込みくらい。

 むしろ国のプライドで組まれた大軍の移動速度で足を引っ張っていたのではないか。


 それ故に連合軍内部や国の上層部、貴族、リュカーシュをまともに「知って」いる者ほど恐怖は大きい。毎回「わかった」とだけ答えて無茶な任務も顔色を変えずにこなす英雄を、よほど考えが浅いものは便利な道具扱いしたがるが……命知らずとしか。


「生贄でなければなんなのでしょうか。口うるさい私が怪物に半死半生にされればいいとでも思っているのでしょうか」

「おい、怪物はやめろ」

「私は英雄リュカーシュの事だとは一言も言っていませんが」

「…………。」


 実際間違いなく人類を救った勇者に対して怪物なんて二つ名を広めるわけにはいかないと、国策で英雄と呼ばれるようになったリュカーシュは、その活躍を伝聞でしか聞いていない民衆にはとてつもない人気を得ている。

 私も無関係の民であったらその英雄譚に心躍らせていただろう。

 活躍だけを並べて書けばまさしく救世主なのだから。そう、活躍だけを。


「連合軍に所属していた勇者達でさえ瀕死になるんですよ、私なんて消し飛んでしまうかもしれませんね」

「……接し方さえ間違えなければ無害だ」

「なるほど、行方不明者はそうやって跡形もなく姿を消したのでしょう」

「いや、ほら、現に俺は今まであいつに怪我をさせられたことすら無いぞ? それに被害者は普段から評判の悪い奴が多いし……」

「被害者の中に周りから評判の良い者も、そうでないのも、少ないが女性もいるし調査した限り原因らしい原因が分からないのが問題なんでしょうが」


 戦地なので聞き取りくらいで詳細な調査はできていないが、あの怪物がなぜ度々被害を出すのか我々には分からない。

 リュカーシュ本人への聴取は寝ている獣を起こす恐れから実行されていない。誰も関わりたくないのだ。さすがにラインフォード殿下も触れていない。

 事件について裁くよりもリュカーシュの機嫌を損ねない事の方が重要だ。その法則がわからないからこそ。


 リュカーシュが得るべき報奨金の横領が発覚した時も、事の重大さを分かっていないバカが酒を顔にかけた時も何も起きなかった。

 しかしそう思えば勇者の中でも友人が多く社交的な男が突然叩きのめされて、その被害者も「何かをした心当たりはない」と答えていたり、リュカーシュの周りで不審な失踪者が相次いだりしている。死者は計上されていないが、先程言った通り発見されていないだけではと思っている。

 ああそう言えば、子供はいないな。被害者に。だからと言って使う訳にはいかないが。


 ラインフォード殿下は王位継承権争いから逃れて軍属になった頃からリュカーシュと面識があり、唯一あの怪物とまともに会話ができる存在だと思われているが、そんなものきっとただの運でしかない。たしかにラインフォード殿下は人心を掌握するのが魔法のように上手いが、あの男にそれが通じていたとも思えない。

 褒美を出さないわけにもいかない、でも欲しがっているかも分からない褒美を押し付けたとそれで怒りに触れないか、しかしパレードの時のように今回ばかりは影武者を使う訳にもいかないと各所の調整に苦労されていたのを知っている。

 その私の上司を軽々しく危険人物への仲介に使わないで欲しいのだが。


 それに私を怪物リュカーシュのもとへ派遣するとなると、ラインフォード殿下がリュカーシュの後見をしているという話に信憑性が出てしまう。

 噂のように勇者を派閥に引き入れ王位を狙ってるなんて事は一切なく、むしろ押し付けられているだけなのに。

 継承権を捨てると宣言して軍属になってやっと落ち着いたと思ったのにこれではまた勝手に疑心暗鬼になった王妃派閥に目の敵にされるだろう。またこの方の命が脅かされるなんて……


「はぁ、仕方がありません……危険手当はたっぷり弾んでくださいよ」

「いいのか?」

「文句はひとしきり言えましたので。他に任せられる人間がいないのでしょう?」


 でなければ、ラインフォード殿下が私を出向させる訳がない。心情の話ではなく、処理する実務の量の関係で。

 きっと私がいなくなった執務室はさらに悲惨な事になる。しかしここでの私の仕事は3人ほど増員すれば何とかなる見込みがあるが、リュカーシュへの対応は余程信頼できる人間に任せないと最悪死人が出る。そう考えているからこそのこの人事なのだろう。


「そこまで悲観するなって! ホラ例の『クロエ様』が今はいるわけだから。最悪の状況にはならないと思うぞ」

「……リュカーシュの言う『クロエ様』の話が全て事実ならいいのですがね」

「え?」


 当然、ラインフォード殿下から、リュカーシュに聞いたと言う幼少期の話は聞いている。彼が『クロエ様』のために勇者になった話も、その『クロエ様』と過ごした思い出もいくつか。


「孤児、でしたっけ? 過酷な幼少期を過ごしていたリュカーシュが見た夢、じゃないといいのですが」


 実際、幼少期リュカーシュが筆頭聖女だったクロエ・アクライアに拾われたのは事実なのだろう。特別な存在だと思っているらしいのも。

 だがあの、私の知っているリュカーシュという男がそんな……まともな人間みたいな感情を抱くのか? 何が起きたのか、何が起きたらあの男がそうなるのか。その前にそれは果たして現実に起きたことなのだろうか?


「頭の中にしかいない、理想の『クロエ様』と現実の元聖女が乖離していないことを祈りますよ」

「……いや、大丈夫だぞ? その、俺もそう思ってリュカーシュの話と当時の事件を照らし合わせて実際起きた話なのかとかも調べたし、うん」


 挙動不審になったラインフォード殿下にため息をひとつ。


「リュカーシュの言う『クロエ様』とやらに、協力してもらえるよう話します」

「ああ、そうしてくれ」


 滅びた国に広がった「魔」が消え去って、強大な敵に一致団結していた人間同士がこれから争っていくのだろう。

 そんな時に英雄のあの本性が民に広がり動揺が広がるのはまずい。『クロエ様』に演技をしてもらう必要があるだろう。

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