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ラインフォード殿下は何かあったらセドリックに、と伝えてそそくさと帰っていった。貴族の訪問のようなものを考えていたので思ったより滞在時間がずっと少なくて意外に思ったが、それだけお忙しいのだろう。
なるべくお手を煩わせないようにルカとセドリックさんと相談したい。
バタバタとお城に帰っていったラインフォード殿下を見送ると、ルカが「予定はもう済んだから出かけよう」と私の手を取って無邪気に話しかけてきた。まったくもう、王子殿下がいらっしゃるなら教えて欲しかったわ……でも、「フォード」と呼んで家名も忘れていたルカは本気で分かってなかったのだから、過ぎたことを言っても仕方がないのだが。
これから学んでそのあたりが出来る様になればいいと思うのは甘いだろうか。
「出かけるって、どこに?」
「どこにでも! クロエ様の行きたいところに。ねぇセドリックさん、使用人とかこの家に必要な物の話とか、全部任せていいですよね?」
ルカはきっと私と再会できてはしゃいでいるんだろう。だってこんなに子供みたいな事を言って、軽く話してるけどこれで動くお金や責任のことを考えるとセドリックさんに全部任せるままになんて出来ない。
「ルカの家なんだから、全部やってもらうなんて……面倒なら、私がセドリックさんと話して必要そうなものを揃えましょうか? ルカにもちゃんと確認してもらうけど」
たしかに戦地から戻ったばかりだし。しばらくゆっくりしてもらおうかとルカを甘やかしたい気持ちになってしまう。
しかし私がそう言うと、ルカの背後に立っていたセドリックさんの顔が明らかに引きつった。やはりセドリックさんの負担が多すぎると感じてるのだろうか。でもラインフォード殿下の後ろに立っていた時は無表情で冷たそうに思ったけど、こうして感情をお顔に出すのを見ると実は親しみやすい方なのだろうか。
「いえ! そちらは私が全て1人で処理しておきますので……アクライア様は是非リュカーシュ様と過ごされてください!!」
「でも、さすがにお願いする量が多くて……」
「じ、実は私、仕事が大好きなので! もう好きでたまらなくて喜んで任せていただきたいくらいなんです。ですので!」
「そ、そうなんですか? ……じゃあ、よろしくお願いします。ほら、ルカ、自分の事なんだから」
「はい、ありがとうございますセドリックさん。僕は全然わからない事ばかりなので、お任せしますね」
じゃあ早速出かけよう、とばかりに気持ちが先走るルカに、私もとっくにほだされていたので「準備してくるから少し待ってて」と告げて部屋に戻った。
昨日の、私にひたすらプレゼントしたがるルカを思うと気を抜いたら今日も同じことになりそうだと苦笑いしてしまう。今日はちょうどルカを連れて行きたいところもあったから、私のためにとあまりお金を使わせずに済むと思うのだが。
「じゃあ、僕達出かけますねセドリックさん。夕飯は食べて戻りますから、それまでにクロエ様が何も不便なく暮らせるように整えてもらえると嬉しいな」
「は、い。かしこまりました」
用意できたよとルカを呼びに来ると、ちょうど2人は顔を寄せ合って何やら話していたようだった。早速仲が良くなったらしい。
馬車を呼ぼうと手配しようとしたのを止めて、昨日みたいに手を繋いで歩き出した。目的地は貴族街の中にあるし、馬車が通れない道を最短距離で行く方が簡単だ。
それに、馬車で向かいに座るよりも、ルカと手を繋ぎながら並んで歩く方が良いから。そう言ったら真っ赤になったルカが「だめです、そんなの反則ですクロエ様」ととても狼狽えていた。
「まぁたしかに……近道は貴族としてはマナー違反だけど、今日は家族に会いに行くだけだから反則にまではならないわ。大丈夫」
「反則ってそういう事じゃないんですけど……いえ、何でもありません」
手に絡むルカの指に力がこもる。
私よりも大きな手、長い指、「ああ小さいルカはもういないんだ」と事あるごとに改めてそう思う。成長を見守れなかった寂しさと、こんなに立派になったんだなぁと感慨が半分ずつ。
きっと今から会いに行く人も今のルカの姿を見たらとても喜ぶだろう。
「え? ルカは入れないんですか? どうして……」
お祖父さまが入院している豪奢な病院の職員に、そんな事を言われて止められてしまった。
私は今まで一人でしか来た事がなかったから知らなかったが、ここの出入りは見舞客とはいえど厳しく管理されているらしい。病院側に身元をはっきりさせないとならないし、家族ではない人間はそれでも許可が降りない事もあるのだと。
……家族同然だが、たしかに法的には何の繋がりもない。ルカが伯爵家の騎士見習いのままだったとしても難しかったのだろう。
「……ねぇ、僕は一応勇者の身分を持ってるんだけどそれでもクロエ様と一緒に中に入れないのかな?」
「へ、は? 勇者様?」
「ルカ、職員さんに無茶を言っちゃダメよ。ルカのお見舞いの申請を出して、今日はお祖父さまに挨拶だけしてすぐ出てくるから待っててくれる?」
きっと無茶を言ったらそれが通ってしまう立場、それが英雄リュカーシュだ。
けど私は強引にそんな事をさせる気はなく、正規の手続きで家族を……ルカとお祖父さま達を会わせるつもり。次は一緒にお祖父さまに会ってあげてね、と待たせて私だけ中に入らせてもらった。
「勇者となって連れていかれたルカがそんなにすごい英雄になっていたのか」
「うん。私もよく知らないんだけどね、英雄リュカーシュって凱旋パーティーでも一番に表彰されるくらいにすごい勇者になってたよ」
「あの悪ガキがなぁ」
「すっかり大きくなってもう小さいルカの面影は全然残ってないけど、可愛いルカのままよ。はやくお祖父さまにも会わせたいな」
お見舞いの予定よりも早く訪れた私にお祖父さまはたいそう喜んでくれた。私とお祖母さまがお見舞いに来るくらいしか予定が無いため退屈なのだろう。
食べ物は差し入れできないので本をまた数冊置いていく。いつもの中古の本で、交換に読み終わって置いてあった本を引き取りそれ売ってまた次回の差し入れを買う足しにしているものだ。
そこで私はとうとう聖女の肩書きも失ってしまった事、その行き場のなくなった私をルカが恩返しにと屋敷に居候させてくれる事になった話を伝えた。
「残念だったな。王子殿下の事はクロエもお慕いしていたのに……」
「……聖女の力を求めての婚約でしたから、失った時に当然こうなる事はわかってましたもの。思ったより遅かっただけで。お祖父さまもそうでしょう?」
私の質問に答えづらそうになさっているが、それが答えだ。
「……それで、こちらの病院には公爵家のご厚情で紹介していただきましたけど。近々お祖父さまには貴族街の外の市民病院に転院していただこうと思っております」
「ああ、いいな。ここは監獄みたいで気が滅入る」
「監獄だなんて。患者のために警備が厳重なだけですよ」
「そういう事になってはいるな」
窓には鉄格子、出入り口は二重扉。警備の人間があちこちに立っていて、庭どころか廊下にも自由な出入りはできない。
たしかに窮屈に感じるだろう、けどここに入院するのはやんごとない身分の方ばかりだから、お守りするのに必要だと言われている。
公爵家の援助がなくなった私にここの支払いは続けられないのが一番の理由だが、家族の私でさえ毎回ちょっと面倒な手続きをしないと見舞いにも気軽に入れないし……なんだか看護師も医者も皆壁があってこの病院自体を好きじゃなかったのも大きいかもしれない。
次は転院手続きに来ると伝えるとお祖父さまは嬉しそうにしていた。
これで、お祖父さまの様子を見るためにと近くにある貴族街の家賃の高い……管理人付きのアパルトメントで暮らしていたお祖母さまも引っ越せる。
お祖父さまが入る先の病院の近辺で、治安が良い所を探してもらおう。そうすれば差額で通いの使用人を雇える。没落してからは慣れない家事もご自分でされていたが、近頃はお年のせいでなかなか思うように動けなくなっていたから。
お祖父さまにもお祖母さまにも、もうゆったりした老後を過ごしていただきたい。
転院に関わる書面をもらってから病院から出ると、ルカと一緒にお祖母さまの住まうお部屋に向かった。
「立派になって」とルカとの再会にひどく喜ぶお祖母さま。ここに来る途中も「大奥様のことも心配しないで」と何でもないようにサラッと言って……恩返しだと言うけれど、私がこの子にしてあげた事なんてささやかすぎてとっくに上回ってしまっている。
きっと私がこれからしてあげられる事では返しきれないけど、このルカの優しさに見合うように精一杯出来ることをしたいと思った。




