3
手紙が来たお客様について、ルカは「討伐軍にいた頃に色々役立つ話を教えてくれたフォードと言う先輩」と教えてくれた。
一応端とはいえ貴族街の中にあるこの屋敷になんの問題もなく来れるのならおそらく貴族の方だと思うのだが、ルカに家名を聞いても覚えていないと言う。
でもこの屋敷や使用人の手配にも関わってくれた人だと言うし、手が足りないのもルカのこういったのんびりした所も分かっているだろうけど……
翌日、つまりお客様が来る当日、私は深く考えるのを諦めてサマンサさんと一緒に準備をしていた。ルカは最初私に仕事をさせるのを何故か渋っていたが、「一緒の家で暮らす家族なんだから家事を分担するのは当然でしょ」と言うと急に嬉しそうにしていた。当たり前の事なのに、それを喜んでくれるなんてルカは可愛い。
サマンサさんは私に使用人になるなんて言い出さないように頼んできたけどこの現状では仕方がない。家主のルカも自分の事は自分でほとんどやっているくらいだ。
しかし人手が揃ったら何をしようか。プロがやってきたら私は足手まといになるだろうし、どこか働き口があるといいのだが。誰でもいいから猫の手でも借りたいってとこは無いかな。
今日来るって言うルカの知り合いのフォードさんに聞いてみよう。
「やぁ、初めまして。君がリュカーシュの『クロエ様』かな?」
「だ、だ、第一王子殿下?!!」
「一昨日の夜会ぶりだね。まぁ挨拶はしてないが、壇上から見ていたよ」
かたくならずに、と言われても当然そうはいかない。サマンサさんなんか膝をついて平伏してしまっている。そうだお顔を直接拝見するなんて畏れ多い……と私も跪こうと思ったらなんでもないと言うように殿下に手で制されて止められてしまった。
確かお名前はラインフォード・ユルハイト・タナヴィア殿下……私が筆頭聖女になる前から軍に身を置き、例の遠征にも参加されていたので実はランスロット殿下の婚約者だったというのにお会いするのはこれが初めてになる。
たびたび国に戻ってはいるなんて話は聞いていたが、基本聖女として忙しくしていた私は予定が合わずお会いした事はなかった。一昨日の夜会でも、壇上に居られるのを見ただけで挨拶もできていない。
しかし王城に飾られていた肖像画は拝見したことがあったのでお会いしたらすぐに分かった。太陽を思わせる力強い金の御髪に、海のような濃い蒼の瞳。全体的にご兄弟とわかるほど似ているがランスロット殿下よりも優しそうな目つき。いやあの肖像画は少し若かった。今はランスロット殿下と同い年だから……いやたしか少しだけ誕生日が早かったはずだから先に22歳になられたのか。
予想外のことに慌てすぎて、今考えなくても良いそんなことばかり思い浮かぶ。やはりご兄弟なだけあって2人とも似てらっしゃる。ラインフォード殿下を前に、面影を見て勝手に傷付くなんて私は愚かだ。
「行き違いがあって大事な話が伝わってなかったとお聞きしました……申し訳ない」
「そんな……殿下にそのような事をおっしゃっていただくわけには……」
「ああ、ラインフォードでいいよ、王族の籍から半分足を抜いてるようなものだし」
真摯な謝罪に私が返すと、パッと表情が変わってすぐ飄々と笑いながらそんな事を言われて一瞬頭がついていかなかった。
あまりに気安く、本当に「ルカの先輩」といった風に振る舞われるせいで現実として認識出来ない。
え、あれ? この方は殿下で……
パチパチ、と何度か瞬きをした私は、本来だったらそう言われても固辞しなければならないと分かっているのに親しみやすい笑みを浮かべるラインフォード殿下に頷いてしまっていた。
まるで妖精に化かされたようだ、でも不思議とこの状態が自然な事だと受け入れている。自分でも理解が追いつかない。
ガチガチに固まっているサマンサさんに頼むのは酷だろう、と私がとりあえず食堂(執務室はまだ機能していない)にラインフォード殿下……とそのお付きの方か、側近か、唯一馬車から離れてこの屋敷の入り口まで付き添ってらっしゃる男性も一緒に屋敷の中に案内をした。
茶の用意だけしてもらって、食事の時の配膳と同じワゴンに乗せて食堂に入る。ティーワゴンも必要かな、後でこれもルカに相談……いえ、家内の管理ができる方を雇えたら足りないものを助言してもらってまとめて揃える方がいいだろう。
「ねぇ、フォード、この屋敷を管理するには人が少なすぎるんだって。どうにかできる?」
私がノックをして応答を待ってから部屋に入った時に、ちょうどそんな話がされていた。私が提案したから早速聞いてくれているのだろう。相手が王子殿下とは予想していなかったので、こんな相談をさせて良かったのか急に罪悪感が湧いてしまう。
でも英雄のルカの屋敷を管理するのだから、街の斡旋所で探した人を採用していいのかすら私には判断がつかないし、ルカもその辺はよくわかっていなかったから。
「いきなり変えたな」
「何のこと?」
「……仕方ない。貸しだぞ」
ニコニコしたルカの前でラインフォード様はテーブルの上に乗っていた書類をまとめて後ろに控えていた男性に渡した。
一応椅子はあるのだが、その姿勢からするにラインフォード様の側近か侍従の立場の方なのだろう。バタバタして自己紹介もしてなかった私は、あらためてそのセドリックさんと挨拶を交わした。
「不足してる使用人が見つかるか心配だったが、この分なら大丈夫そうだなぁ……数日中に城からの紹介で手配できると思う。よしよし。では俺との連絡にはセドリックを置いていくから使ってくれ」
その流れでよろしくお願いします、と頭を下げるセドリックさんに驚いてしまう。ラインフォード殿下の信頼の厚そうな方なのに、ルカに派遣してしまっていいのだろうか。
「王子殿下にする相談ではなかったと思うのですが、手厚くご配慮いただきありがとうございます」
「なに、ずっとではないのでね。そのうち返してもらうから気にしないで。とりあえずいる間は何かあったらセドリックに言うと良い。用事も物も」
その言葉に改めてセドリックさんの方を向いて会釈をすると、隣のルカがなんだか突然不機嫌になっていた。私が何となく気付いたくらいで、顔には出ていないが。
「……ねぇ、フォード。クロエ様のいる家に男を置かないといけないの?」
「お、おいおい、リュカーシュと俺の取り次が出来るのなんてセドくらいだぞ。君、自分が周りにどう思われてるか理解してないわけじゃないんだろう?」
一瞬理解できなくて何のことだか考えるのにしばらくかかってしまった。……え、教会にいたからなるべく同じ環境でって、それで気を遣ってくれてるのかしら……?
しかしラインフォード殿下の言葉に、ルカの夜会でのあの態度や、それを見た周りが咎めもしなかったのに少し納得がいってしまう。
なるほど王子とこんなに仲が良いからあんな態度でも許されたのか。こんなに気安い口調を許してるなんて、余程仲が良いのだろう。でもルカの将来に悪いからちゃんとした場では改めるように話をしないと。
でもとりあえずはルカの誤解を解かなければ、この屋敷で女性しか働けなくなってしまう。
「ルカ、私は別に男の人が苦手ではないからそこまで気にしなくて大丈夫よ」
「え?」
「……あ、もしかして昼前に起きたあの事を気にしてるの? たしかにあの人は前からちょっと苦手だったけど、そうじゃない普通の人に怯えたりしないから」
声が大きいとか少し乱暴だったり、アイシャ様の護衛のあの男の人は前々から少し苦手にしていた。机を叩かれたり、怒鳴られた事があって……あの人が近くにいるとじわっと恐怖が滲んで、怒らせないか気になってうまく動けなくなってしまう。
きっとルカは必要以上に怖がる私を見て、男の人自体が苦手なんだと誤解してしまったのだろう。
「あの男、ああ、そうなんですね。クロエ様に以前からあんな振る舞いをしていたのか」
「そう……だから、あの人だけ特に苦手ってだけで」
「そうだったんですね、わかりました」
「リュカーシュ、ほら……な? 君がいない間にクロエ嬢を守る人手もいるだろう?」
「僕はクロエ様とずっと一緒にいるから、必要なら城から来てください」
「うわ……」
「もう、ルカったら冗談言っちゃって。……ラインフォード殿下、お手数かけますがよろしくお願いします。使用人も警備の人間も、何から何まで、感謝いたします」
「ははは、」
「僕からもお礼を言うよ、ありがとうフォード」
ルカも感謝を告げると、ラインフォード殿下はどこか居心地が悪そうに笑った。友人から改まってお礼を言われると照れくさいとかそういった感情だろうか。男性の友情は私にはわからないけど、ちょっと羨ましくなってしまう。
「ルカ、気を遣ってくれてありがとう」
「……いいえ、僕は僕のしたいようにしてるだけですから」
過保護に感じたけど、その気遣いが嬉しかったと伝えると憂いが晴れたように笑ったルカに、私もつられて笑みを浮かべた。
 




