新しい日常
教会には私がもう聖女の名前も失ったというのは広まっているらしく、「荷物を引き取りに来た」と言っても不思議そうにすらされなかった。
元々持ち物は少なかったのだが、ルカが私物だというマジックバックを貸してくれたので私が使っていた部屋も問題なく引き払えるだろう。
しかしルカが「ここでクロエ様が過ごしてたんですね」なんてじっくり見ようとするので内心慌ててしまった。不自然ではない程度に遮ってそれとなくドアの外に出てもらったけど……。
散らかってはいないが、誰かを部屋に招くなんて考えた事もなかったから何だか恥ずかしくて。でも追い出すみたいになってしまったのはルカに悪かった気がするが……でも着替えや下着も取り出さなければならないからどの道出てもらわないといけなかったし。
私はタンスの奥にしまってあったへそくりも確認した。部屋の中に誰かが入った形跡は無かったので心配してなかったが、やはりここも手付かずだ。この2年で細々したものを買って少しは減っているが、筆頭聖女だった頃にもらったお手当てがほぼ丸ごと残っている。
公爵家の援助でお祖父さまは今貴族用の豪奢な病院にいるが、市民の使う普通の病院に移ったら私のこの蓄えでも数年は支払いを心配しないで済む。
ここの備え付けだった家具の中が全て空っぽになって、失礼ではない程度に掃除も済んだのを確認すると私はルカを待たせていた廊下に出た。
「ルカ、お待た……せ」
開けて、そこにいたルカ以外の3人を見て体が強張ってしまった。
……アイシャ様の周りによくいる方達……「だしがら」といつも呼ばれているせいで、彼女達を見ただけでお腹がギュッと痛くなってしまう。
「あ、クロエ様。終わりました? 買い物の前にカフェで昼食にしましょうか」
「……何かお話ししてたんじゃないの?」
「一方的に声はかけられましたけど、会話はしてませんよ。僕からは何も用が無いので大丈夫です」
ルカから借りたマジックバックと、自分の鞄を肩にかけて出てきた私を見てすぐさま手を取って歩き出そうとしたルカを、声をかけていたらしい彼女達の視線が追いかける。
その目はなんだかひどく物言いたげなのは分かったが、私からどうしたのかと声をかけるほど彼女達への好意なんてなかったのでつい見なかったフリをしてしまった。
「ねぇ、クロエ様。あの3人の名前は分かりますか?」
問われるがままに先程ルカを囲んで楽しそうに話しかけていた彼女達の名前を告げる。しかし口にしたところでなんだかお腹の奥がモヤモヤしてきてしまった。
「……ルカのお嫁さんはもっと素敵な子にしてほしいかな……」
「えっ? ち、違いますよまったく全然そういう意味で聞いたんじゃないですから!」
例え本当の事だとしても人を「だしがら」なんて呼ばないような……口うるさい母親みたいでルカもいい気はしないだろうと思ってその先は口にしなかったが、慌てて食い気味に否定してきたルカに私もびっくりしてしまった。
「態度……聖女の風紀に問題があるって教会に報告しなきゃって思っただけです! 僕が勇者と知らないとしても……クロエ様のお耳に入れられない程の事を言われたので、それで。聖女として問題がある者を放ってはおけない、でしょう?」
「そうだったの……ルカは真面目ねぇ。でも彼女達は教会の外に奉仕活動に行く聖女じゃないから、聖女としての振る舞いは求められていないしいいんじゃないかしら……」
私を含めて外で活動する聖女は、民衆の見ている前で食事をするな、水を飲むな、笑顔を絶やすな、姿勢は崩さず常に優雅になど色々誓約がある。窮屈だと感じることもあるが、これも必要なことだと教会からは言われている。けど私は教会での公的な仕事の時以外は守っていない。
あとは「依頼は教会が管理するから勝手に報酬を受け取って聖女の力を使ってはならない」というのもあるが、これは「報酬を受け取らなければ良い」と解釈してご存知の通り比較的自由にやっている。
ご実家が裕福な……寄付金を収めた聖女の方々にはそのような決まりはない。だから注意なんてしなくていいとルカに伝えたかったのだが……
「金で買った名前だけの聖女が、クロエ様にあんな口をきくなんて……余計、」
「どうしたの? ルカ」
「……いいえ、何でもありません。でも彼女達のさっきの言葉は、例え教会に関係のない一般人だったとしても決して許される事では無いので。それが正されるように注意だけ伝えておきますね」
ルカの言葉には優しさが満ちていたが、「こんなに穏やかなルカにそこまで言わせるなんて、一体何を言ったのかしら」とむしろ気になってしまった。
「クロエ様と2人でお出かけできる、こんな平和で幸せな時間が過ごせるようになるなんて思ってませんでした」
「ずっと遠征先にいたのだものね。……私には想像もつかないような苦労がたくさんあったのでしょうね。怪我や病気はしなかった?」
私も少し前まで、いえ昨日の夜会まではこんなに穏やかで幸せな時間が過ごせるようになると思っていなかった。
自覚がなかったが、教会にいた頃私は幸せじゃなかったらしい。力を失う前の、筆頭聖女と呼ばれていた頃も含めて。だって力を取り戻したとしてもあそこに戻りたいとは思えない。
街中の、私が存在も知らなかったおしゃれなカフェに入った私達は向かい合って昼食をとっていた。若い女の子に人気のカフェなのか、周りは女性とカップルだらけだ。しかしその中でも、ルカに見惚れる人の多いこと多いこと。
私に向かう嫉妬のような視線も混じるそれに、居心地の悪さを感じながら目の前のランチプレートに意識を戻す。
真正面を見ると、微笑みながら私を見つめるルカを直視する事になる。それは心臓に悪い。
「ふふ、クロエ様、僕のお姉さんみたいですね」
「みたいじゃないわ。私は今でもルカの事、可愛い弟だと思ってるもの」
「僕は……僕もクロエ様とは家族になりたいけど。弟扱いじゃ嫌だな」
ちょっと恥ずかしそうに目を伏せるルカに、私はショックを受けた。
……もしかして私、姉と思えないほど頼りないのかしら。いや、でも心当たりしかないわ……昨日も今日も一方的に守ってもらってしまって。私が歳上のはずなのに、これは妹扱いなのでは。
いやあり得るかもしれない……昔から「クロエ様を守る騎士になる」って言ってたし……
それに昨日なんて人目のある場所で泣いたり、ルカには恥ずかしい所しか見せていない。確かにこれで姉扱いを望むなんて贅沢だった。
私は「ルカが自慢できるような頼りがいのある姉になろう!」と内心決意を新たにすると、ルカの力になれる事について考え始めた。
 




