だしがらは聖女と離れる
朗らかに帰宅を告げる声は一瞬で氷を含んだような冷たい響きとなり、聞いただけで腰を抜かして座り込みそうになる。それほど圧倒的な「畏れ」を感じた。
「お前……何故クロエ様に触れていた? 何故ここにいる?」
「ひっ、ひぃ……」
「答えろッ!!」
ビリビリ、と玄関ホールの高い天井に吊るされている、手入れされていないシャンデリアが震えるほどの圧だった。
ハッと気付いて私はルカのために動き出す。護衛の男達は、護衛だというのにアイシャ様を庇うように前に立つ者すらいないのを見てしまった。なんだかちょっと複雑だ。確かに王子の婚約者の護衛がこのレベルでいいなら私が侍女でも許されるのかもしれないが……
「ルカ、だめよ。首がしまってる。離してあげて」
「……クロエ様は、こいつを庇うの?」
「違うわ。ルカに暴力を使わせたくないだけ。……まず話をしましょう」
「……分かりました」
渋々、といった態度だが素直に離してくれたルカにホッとする。ルカの問いに答えるどころか呼吸すらちゃんと出来てなかった男は紫色になった唇で慌てて息を深く吸っていた。
「……何でお前達はここにいるんだ? 招いた覚えも許可を出した事もない」
「わ、私……クロエお姉さまを迎えに来ましたの。突然連れて行かれてしまって、何も持っていないのでお困りでしょう? お部屋に残ってる荷物が要ると思って……」
さっきまでどうしてもと私の身柄をお求めだったのに、そのおっしゃっている事の変わりように私も驚いてしまう。それと同時に嫌な予想もした。ルカと離れて教会に戻ったが最後二度とここに帰ってこれないような。
理由は分からないあの執着を見ると、あながち間違っていないのではと思った。
しかしその言葉を聞いて黙り込んだルカは私の反応を窺うように振り返った。アイシャ様の言葉が疑わしいと伝えて拒絶したい気持ちもあったが、悪意が確信できずにやはりためらってしまう。
「たしかに、着替えも無いし、少ないけど私物もあるので取りに戻りたいとは思ってるわ」
「そう、ですよね……」
そう伝える私の服の袖を小さい子供みたいに掴んで悲しそうな顔をするルカを見て、ああ話し方を間違ったと焦ってしまう。
「一回取りに行くだけで、すぐ戻ってきたいと思ってるわ。それに……あの、もしルカさえ良ければ、教会までルカも一緒に来てくれないかしら」
「……僕が?」
「ええ、時間がある時に頼みたいのだけど」
「だったら今すぐ行きましょう! クロエ様の気がかりが、そしたら無くなりますよね?」
私と両手をつないでキラキラする笑みを浮かべたルカは、握った手を顔の高さまで持ち上げるとさらに破壊力の高い笑顔を向けて来た。
直撃して、さすがに私でも照れてしまう。きっと私の後ろにいるサマンサさんとジェフリーさんには耐性がなかったのだろう、あの騒ぎの中で静かに控えていたのにこれには勝てずに「うっ」と声が聞こえたくらいだ。
しかし私が勇者と離れずに荷物だけ取りに行ったらよほど困るのか、ルカの後ろからアイシャ様にキツく睨まれた。
何故そこまで私を側に戻したがるのかやはり心当たりはない。
「城から戻って来たら何かしたいって言ってたのに、私こそルカの時間をもらって大丈夫?」
「最初から、クロエ様の買い物に行こうと思ってたのでまったく問題ないです!」
「そんな、わざわざ買わなくても良いのよ?」
「そう言うと思ってたからそこは黙ったたんですけど……うぅ、じゃあ新生活が始まったお祝いにひとつだけプレゼントさせてもらえませんか?」
そんな言い方、「嬉しい」以外の感情がどこかに行ってしまう。私はルカの天使と精霊のはざまのような奇跡的な造形を見上げる。あんな気の利いた事も言えるのにこれでは……私が教育しないととんでもない女たらしになりそうだわ。
自覚がなくてもこれではルカに惚れる乙女が後を絶たないだろう。その全員を侍らせるような事をルカはしないだろうから、今からこう……必要以上に女性の胸をときめかせないようにしっかり言い聞かせておかないと。
「なぁ、聞いてた? お前ら」
一転、また冷たく冷えた声に周りの人たちは息すら潜める。
猛獣と思われているのか、巡らせる視線から逃れるように護衛の男達が顔を伏せる様があまりに護衛としてお粗末だ。
「ルカ?」
「僕はこれからクロエ様の持ち物を取りにいくから。連絡もなしに、僕がいない間に勝手に入ってきたのは許してやるからもう出てってくれないかな」
「も、もう少し丁寧な言葉を使いましょう? ……お相手は公爵令嬢で聖女様よ」
「でも、クロエ様を無理矢理連れて行こうとしてたよ? クロエ様は、望んで無いのに……」
「それでもよ。敬意を払って……私に話すように喋ればお城の中だって通用するくらいちゃんとできてるんだもの。おろそかにしちゃダメよ」
「はぁい」
久しぶりに会えて、注意すら嬉しいのかルカは笑みを崩さない。私も本気で叱っている訳ではなく、ルカがやりすぎないように……ルカの不利益にならないようにと思って伝えていただけだが。
「なあ、これでもう、問題ないよな? 荷物はこちらで取りに行く。それに、さっき城でクロエ様を褒賞として俺に身柄を渡すと言うのは受理された。もう、お前の『お姉さま』でもない」
言葉遣いは多少丁寧になった気もするが、敵意がまったく隠せていない。
妹を名乗るアイシャ様にライバル心があるのか、「そんなつもりは」と涙を浮かべるアイシャ様の可愛らしい仕草に一切心が動いておらず敵意しか見えなかった。
「分かったらすぐ出て行け。クロエ様の優しさに感謝するんだな……お前ら。二度目は無いぞ」
何を言っても即撥ね付けるルカに今は無理だと諦めたのか、アイシャ様は悔しそうに「また来ます」と告げて出て行った。
壁際でへたりこんでいた男は置いて行かれそうになって、慌てて走ってアイシャ様を追いかけていたのだけ少し面白かったけど。
「もう、ルカ……わざとあんな怖い人のフリしたのね。あんな顔もできるなんて」
「フリ? ……ああ、うん、そうなんですよ。だってああ言うのは一回脅かした方が早く済むんで」
「ルカったら」
お祖父さまがルカの事を時々「悪ガキ」と呼んでいた事を思い出す。そうだ、時々度胸があるのかこう言う事をするのよね、ルカは。元の頭が良いから問題に発展することはないんだけど、何度も肝を冷やした覚えがある。
そんな日常の一コマを思い出して2人で笑いあうと、ルカは「着替えてきます」と登城用のきらびやかな装飾のついたジャケットを脱いで肩にかけて足取り軽く階段を駆け上がった。
私も、お借りしたのは室内着だからこれで出かけるわけには行かない。心配して違う服を貸そうとしてくれるサマンサさんに大丈夫だと伝えて、昨日の聖女礼服を使うことにした。
装飾を全部外して、ケープとストラを取ったらただの白いワンピースに見えるだろう。生地が良いから少し不自然かもしれないが、貴族家の聖女様方の礼装と違ってそこまで目立つ品ではないはずだ。
「クロエ様、じゃあ行きましょうか」
「う、ん」
サマンサさん達に外出を伝える声をかけた後、ごく自然に手を握られてしまって私はその手を意識してひたすらドキドキしていた。
きっとルカは昔みたいにしてるだけなのに、私より身長の高くなったルカと手を繋いで歩くなんて……なんだかちょっと不思議だ。
「本当によかったんですか? 馬車を呼ばないで」
「えぇ、だって。大通りを使わず街をまっすぐ突っ切れば教会までそんなにかからないもの」
「僕はクロエ様と一緒にいるだけで幸せだから。馬車より歩きの方が長い時間手を繋いでられるからいいけど」
そんな裏なんて無い顔でニコニコ笑うルカに私は胸を打つものを感じた。私たち家族から離れて、きっとずっと寂しかったんだろう。無意識に触れ合いを求めているように感じた。
これはきっと彼の中の8歳のルカなのだろう。……あんな小さい時に離れ離れになって、ずっと気がかりだった。家に帰ったら抱きしめて、頭も撫でたい。今まで会えなかった分も。
私は上機嫌で隣を歩くルカをこっそり観察しながら、弟を可愛がりたい欲を必死で抑え込んでニマニマしていた。




