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アディリナに甘え、慰められ、愛されたヨハンは自室へと続く廊下を進む。
自分より幼い妹相手に醜態を見せたというのに、その心はどこか満ち足りていた。
アディリナはあんな醜く縋った俺を見ても、変わらない微笑みを向けてくれた。
大丈夫、大丈夫なのだ。
俺はアディリナの側にいることを許されているのだ。
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「ヨハン?」
自身を呼ぶ声にヨハンは振り向いた。
「やはりヨハンか。こうやって会うのは久しぶりだな。」
「…セドリック兄上」
自身を呼んだのは、父と同じ色を持つ王太子であり、実兄のセドリックだった。
ヨハンの欲しかったもの全てを持っている兄だ。
ヨハンは決してセドリックが嫌いではない。
むしろ幼い頃は母よりも自身に優しくしてくれる兄が大好きだった。
しかしある時、気づいてしまった。
兄の存在があるからこそ、自分は誰からも見向きもされないのだと。
『兄と全く同じ血を持ちながら、この違いは何なのだ!
なんで兄上だけ、俺の欲しいもの全部持っているんだ…』
その感情が生まれてからは、兄との関わり方が変わった。
以前のように純粋に兄を慕ってはいられなくなってしまった。
ヨハンは兄を避け書庫に籠り、セドリックは王太子としての教育がさらに忙しくなっていくにつれ、2人の兄弟の溝は深まっていった。
「今日も親睦会の準備の帰りか?」
「…い、いえ。今日は違います。」
「そうか。忙しくしているだろう、何か困ったことがあればいつでも相談に乗ろう。」
セドリックは幼い頃からの変わらずの微笑みでヨハンに話しかける。
ヨハンは兄と話していると自分がどれだけ劣っているかを見せられる様で嫌だった。
それでもここ数年は自分の中で諦めもつき、全てに期待しない自分となっていたのに。
今だってヨハンを気遣い笑みを向ける兄と、冷たく返すことしかできない弟。
分かっている。理解している。
兄は俺なんかより当然のように優れていると
それなのに、今また再びヨハンの中に新たな感情が生まれる。
ヨハンの欲しいもの全て、セドリックは持っていた。
両親も周囲の期待も、身分だって
それに気づいた最初の頃はヨハンだって、セドリックと張り合おうとした。
それでも、セドリックには敵わなかった。
ましてや、第二王子も第三王子にも敵わなかったのだ。
それからだろう、ヨハンが全てを諦めたのは。
しかし今、ヨハンの中に差し込んだたった一筋の光
それこそ、アディリナである。
運良く自分が兄弟の中で、アディリナと一番先に仲を深めることができた。
幸か不幸か、ヨハンは誰よりも先に手に入れてしまったのだ。
今までヨハンは何も持っていなかった。
だからこそ何かを失うという経験は今まで1度もなかった。
アディリナの愛を手に入れてしまった今、ヨハンはそれを失うことが何よりも恐怖だった。
兄たちは自分なんかよりも何倍も優れている。
だからこそヨハンは不安で堪らない。
アディリナの愛が他に移ってしまうことに
ましてやセドリックにだけは奪われたくなかった。
自分の欲しかったもの全て持っているセドリックにだけは、絶対に絶対に取られたくなかった。
「兄上。申し訳ありませんが少し疲れが溜まっているようで、失礼してもよろしいでしょうか?」
ヨハンは自分から発しておきながら、自分から出た冷たい声色に驚いた。
「あっ…ああ。忙しいところすまないな。ゆっくり休んでくれ。」
流石のセドリックも今のヨハンの態度に驚いたようだった。
しかし、その顔の笑みは崩れない。
部屋に戻ったヨハンは再び机に向かう。
もう一度親睦会の段取りを見直す。
昨年のサンチェス国との親睦会の主催はセドリックだった。
だからこそ、今回はそれを絶対に超えてやろうと。
今のヨハンはセドリックに絶対に負けるわけにはいかないのだ。




