19
事故の日から、ヨハンとアディリナの距離は、机2つ隔てた席から、同じテーブルの向かいの席に変わったのだ。
アディリナが自身の向かいの席に座っても、ヨハンは何も言わなかった。
そして、書庫を訪れるアディリナがかける挨拶へも最初の頃の様な冷たい言い回しはなくなった。
しかし2人の間には、挨拶以外の会話はまだない。
本のページを捲る音、その音が2人の間に響く一番多い音だった。
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アディリナは自身が今読んでいる本は神語理論である。そしてそのある一部分が何度読んでも理解できなかった。
普段は哲学理論等の分野を読むことが多いのだが、目の前に座るヨハンが神語理論を読んでいたので、同じようにアディリナも読み進めてみたのだ。
同じ本を何度も何度も読む。
しかし、いつも同じ部分だけどうしても理解できなかったのだ。
5回目に同じ本を読み終わった後、理解できない部分を再び開いて読み直すがやはり分からない。
アディリナはヨハンの傍で本を読む様になって気づいたことがある。
ヨハンは同じ本を読見返さない。
彼は一度読んだ本の内容をたった一度で理解している様だった。
「………どこか分からないのか」
小さい声であったが、アディリナにはしっかりとヨハンの声が届いていた。
その声にぱっと顔を上げる。
「……何故嬉しそうな顔する…」
ヨハンは狼狽える様に、アディリナに尋ねる。
ただ尋ねただけだ。何も喜ばせる様な言葉ではない。
―分からない、理解できない―
ヨハンは分からなかった。
何故自分に声をかけられてアディリナがこんなに喜んでいるのか。
「だってヨハンお兄様から、初めて私に声をかけてくださいました。」
アディリナは心底嬉しそうに声を明るくして答える。
分からない、分からない。わからない
ヨハンに声をかけられて喜んだ者はいなかった
分からない、分からない。わからない。
理解できない、わからない、わからないのだ。
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ヨハンが生まれた時には、自身を凌ぐ兄が3人もいた。
母上も、周りの期待はいつも、実兄であり王位継承権第一位のセドリック兄上に向くもの。
「ヨハン、母とセドリックは忙しいの。いい子で大人しくしてられるわね。」
セドリックは優秀であったが、それに次ぐ第二王子第三王子もやはり優秀であった。
兄はいつも王位教育に負われていた。
母は実兄セドリックの王位継承権と、当時最も寵愛を受けていた第五妃フェリシナに対する嫉妬心で心が一杯であった。
母も兄も幼いヨハンが寂しくて、構ってもらいたくて、必死に声をかけても、嬉しそうな顔で答えてくれた事は一度として記憶になかった。
何故だ、なぜ、なぜなのか
分からない!理解できない!わからない!
なぜ優しくもしてこなかった自分にたった一度声をかけられて、こんなにも妹が喜ぶのか。