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アディリナの記憶の中では父はいつも笑っていた。
母であるフェリシナと、アディリナのいる宮に来ては、父は母と自分を愛してくれていた。
『優しい優しい家族想いの父』
家族3人一緒にいれば、いつも幸せであった。
―しかし今ドアの向こうにいるのはあの優しかった『父』ではなく、優秀な統治者としての『王』であった―
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第65代国王 イスマエル・ル・イヴァノフは歴史的に見ても優れた王であった。
若くして王位を継いだイスマエルは様々な分野で優れた政策を行い、国を豊かにしてきた。
イスマエルは自身の父、第64代国王の愚かな姿を幼い頃から目にしてきた。
政務を蔑ろにし、女に溺れ、多くの女を後宮に置いていた。
あまつさえ、自身が溺れている女の言う事を間に受け、政務にまで関わらせようとしていたのだ。
国の重役たちはそんな国王を危惧し、幼い頃からイスマエルに王としての教育を厳しく行ってきた。
本人の優秀さと教育のおかげもあり、イスマエルは16歳で王位を継ぎ、優れた統治者として国を納めた。
王位を継いでから、イスマエルはたくさんの妻を迎えた。
『世継ぎを残す』
それは王として大事な責務である事を優秀な彼は理解していた。
そんな彼は、妻や子に対しても、夫や父・家族としてではなく、『王』として接した。
若くして王になった彼に、打算な考えを持って近づいてくる人間があまりに多い。それを強い意志で打ちまかした。
イスマエルの妻として迎えた女たちも身分も育ちも完璧な淑女、イスマエルの寵愛を競い合い、自身の子を世継ぎにと考えるものばかりで、心が休まることはない。
自身に求められているのは『優れた統治者』
そんな重責は少しずつ着実に、心を壊していった
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ある年の建国祭、イスマエルは自身の乳兄弟である護衛のロイと共に城下町へと訪れていた。
ロイはイスマエルの腹心の部下であり、唯一無二の親友でもあった。
幼い頃から、王位教育等で忙しい合間を縫って城から連れ出してくれた。
ロイは、自身の親友が少しの時間でも『王』としてではなく、ただの『イスマエル』として過ごして欲しかったのだ。
そしてこの日は、王として即位してから数年ぶりに城下町へと降りた日だった。
そこでイスマエルは自身の運命と出会う。
―我が愛しのフェリシナ―
王としてではなくイスマエルという男の初めての恋だった。
そんなイスマエルは唯一フェリシナの前でだけ、『王』ではなく、1人の『男』として生きることができた。
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11年前フェリシナが死んでから、イスマエルが笑うことはない。
出会う前のように何に対しても完璧な王として振る舞い続けた。
―ああ、フェリシナ。我が愛しのフェリシナ―
イスマエルは愛するフェリシナの死を受けて、狂ってしまいたかった
全てを投げ出して、すぐにでもフェリシナの後を追って死んでしまいたかった
しかし、イスマエルは優秀だったのだ。
自身がいくら狂いたいと願っても、彼はその感情を抱えたまま、『優れた統治者』として振る舞うことができてしまったのだ。
愛する者のいない世界で、周囲の求める『優れた統治者』としてあり続ける
フェリシナが死んで11年。
そんな、イスマエルの心は限界だった。