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第4話、みんなが幸せでありますように、その1

 日本の国の根本意識はこの御製ぎょせい(皇族が書いた文書)にあるように、神代しんだいから、神の血すじを受けた天皇が、神からさずけられた国家として、この国を開き、その伝統をって国家を成立せしめて来たというにある。


 ―――小野祖教「神道の基礎知識と基礎問題」神社新報社(1992、改訂補註第18版)



 ***



挿絵(By みてみん)


「なずなさん、それだと体のキレが良すぎてまるで歌舞伎ですよ。もうすこし動きに打点を作らず、なだらかに動いてください」


「はい」


「あおいちゃん、なずなさんをよく見て。動き出しのタイミングを合わせて」


「はいっ」


 なんかえらいことになってしまった。


 10月中旬に開催される中山神社の秋祭りでは、氏子さん達が各種の芸を奉納する習わしがある。そのトリは近年では八島さんの能、と相場がほぼ決まっていたのだが、今年はなんと、なずなと私の巫女舞がトリを務めることになってしまった。


 売り文句は、50年ぶりに復活される中山神社伝統の巫女舞、だ、そうである。


 動きが複雑な為踊れる人が少なく、神社自体も寂れてしまった為いつの間にか自然消滅していた舞を再現する、というのだが、んなもの、たった一か月の練習で踊りのド素人が習得できるかいっ、と私は言いたい。


 何でも秋祭りの打ち合わせで誰かがふと「あの子達の舞が見たい」と一言漏らしたらしい。すると、次々に賛同の声が挙がり一気に私達の出演が決定。盛り上がりの勢いはそれでは収まらず、どうせやるなら……と、話がどんどん大きくなっていってしまったらしい。


 父親が苦虫を噛み潰したような顔で息子に「巫女……やってくれないか」と依頼する光景はシュールであった。そのとき一瞬喜んだ“俺”は、その直後に社会の不条理を思い知らされた。姉は大笑いしていた。


「悪い。話が盛り上がり過ぎて止められなかった。おまえとなずなちゃん、いつの間にかおじさん達のアイドルになってるぞ」


 ……なんだか、もう。


 指導は50年前実際に巫女舞を舞った八島さんと佐々木さん。この二人、お世辞にも説明が上手いとは言いがたい。


 八島さんは日本舞踊の先生なのだが、普段はもっとレベルの高い人達を相手にしているらしく専門用語を連発するし、佐々木さんは佐々木さんで……“もっと情感を込めた動き”って、どんな動き?


 もっとも、なずながお二人の心象風景を見てその通りに舞って見せるものだから、本人たちは説明が下手なことに全然気が付いていない模様。いつのまにかなずなと私は、デキる姉とダメな妹、扱いになっていた。


 更に私にとってはサイアクなことに、なずなの抜群の運動神経は、たった一か月であの舞は無理、という一部あった反対の声も吹き飛ばしてしまった。


「あおいちゃんもかんばって」


 指導のお二人は私には優しいのだが、いろいろとナットクいかない。


 唯一の救いは、若松さんが私達の練習をビデオ録画し、毎回マメに動画ファイルを送ってくれることぐらいかな。



 ***



挿絵(By みてみん)


 中村が登校拒否の間に俺と井上が挑戦中のゲームを既に攻略してしまっていたので、俺と井上が攻略法をネ堀りハ堀り聞いていると、教室の別の個所に集まっていた女子グループがドッと沸いた。


「えーっ、なずなちゃん、あの中山神社の能舞台に立つの?」


「うん。見に来て! 神社の秋祭りの……」


 人間の耳は巧妙に出来ており、騒音の中でも自分にとって重要な音は聞き取ることができる。現に教室の喧噪の中で、俺はなにやら聞き捨てならないセリフを聞き取ってしまった。


 こらこら、喧伝けんでんするんじゃない。みんなで観に行こうなんて話になったら、俺が困るだろうが。


「何だ、あいつら」


 井上が女子グループを振り返った。


 中村も身を乗り出しており、必然的に俺達は女子グループに合流することになった。


「おっ、来たな色男」


 女子グループに近づくと、この柿沼の一言でパッと俺達の前が空いた。ん? 歓迎されてる? ……いやどちらかというと、飛んで火にいる夏の虫だな。


「ねえ、なずなちゃん、中山神社の秋祭りで巫女舞を踊るんだって。あの能舞台に立つんだってよ。知ってた?」


 須藤あやというやつが俺達に言った。ちなみに須藤はなずなの転校初日にマックで柿沼とかちあったとき、柿沼と一緒に居た一人である。


「えー、すげえ」


 井上が単純に驚いていた。


 中山神社は地方の小さい神社の割に、祖父の趣味で神楽殿だけは立派なものを持っている。近所の子供たちにとってはその上に立つことが許されない、憧れの舞台ではあった。


「あまりにも難しい舞なんで、この50年間、一人も舞う人が現れなかった伝説の舞なんだって」


 ドヤ顔でなずなが言った。


 こらこらこら、無駄にみんなの興味をそそるんじゃない! 単に廃れてただけだろうが。


「うそ、ホントにぃ?」

「なんで? なんで?」

「どんな踊りなの? ちょっと見せてよ」


 ほら、何人かが食いついた。


「ごめん、舞の内容は内緒。秋祭り運営会で、なんか急に舞を復活させたいという話が盛り上がっちゃって、神社の娘だってことであたしが指名されたみたい」


 お、さすがに「あたし、おじさん達のアイドルなの」とは言えなかったか。


「あおいちゃんも出るよ」


 なずなが中村を見て言った。


 中村の目が輝いた。


 こらこらこらこら。おまえ、絶対先々まで考えずにしゃべってんだろ。


 柿沼は目を見開いて俺を見ると、後ろを向いてしまった。が、明らかに笑いをこらえているのが判った。笑いたきゃ笑え。


 なずなの、みんなで観に来て、に、みんなが、行く、行くと盛り上がる中、さっきの須藤が俺に話しかけてきた。


「岩倉くんも当然、観に行くんでしょ」


 ほらきた。


「いや、俺は裏方を頼まれてて……」


 うそである。思いっきり表方を頼まれている。


「うっそー、なすなちゃんの晴れ舞台だよ。あり得ない。ねえなずなちゃん、この男、なずなちゃんのステージを観に行かないなんて言ってるよ」


 そうは言ってない。


「ぶー」


 なずなは行きがかり上膨れて見せていたが、内心は……どう思ってんだろ? 案外、クラスメートに俺と二人で冷やかされるのを楽しんでいるのかもしれない。


「おい、彼女を怒らせちゃったぞ。どうすんだよ」


 中村が言うと、後ろを向いた柿沼の肩がヒクヒク震えた。そんなに人が困るのが……楽しいんだよな。



 ***



挿絵(By みてみん)


 トイレ掃除だけは何度やっても好きになれない。


 最近、私は朝の神社掃除が結構好きになってきた。特別な場所に触れている感じがするし、参拝の方々との会話も楽しい。


 ただ、境内入口の脇にある参拝者用のトイレ掃除だけはちょっと……便器のなかに手を差し入れてゴシゴシ擦ったりする訳で……しかもなずなは絶対に女子用を譲ってくれないので私は毎回男子用だし。私も一応女子なんだけどな。少なくとも今は。


 そんな訳で、嫌だなぁと思いながら3っつある男子小用の3っつ目のやつをゴシゴシしていると、信じられないことにオジサンが入ってきて、1つ目の前に立ち、私の目の前でチャックを下ろし始めた。


 当然、トイレの入口には「ただいま清掃中」の看板を立てている。それどころか目の前で私が清掃をしているのだ。


 何で入って来るの? なんつー無神経。しかもそれはたった今キレイにしたばかりのヤツなのに。


 仕方がないのでオジサンを無視して清掃を続けていると、用を足しながらオジサンがじーっと私を見ていた。キモチワルイ。


「ほう、そんな幼い顔して男を知っているのか」


 チャックを上げながらオジサンが言った。


 何? 何? なんのこと?


 変なことを言うもんだから、ついオジサンの方を見てしまったら、オジサンはにたーっと気持ち悪い笑顔で私を見つめた。しまった、と思いすぐに目を逸らした。


「イチモツを見せても全然動揺しないとは、ずいぶん見慣れてるんだな。はっはっは」


 はっはっは、じゃない。見てないって。もう、何でもいいから出ていって。


「しかし、君のような綺麗な子にトイレ掃除をさせるとは、この神社も贅沢だな」


「今から水で便器を流します。水が跳ねるかもしれないので、出て行った方がいいですよ」


 やばい。私、冷静さを失ってる。


「つれないな、きみは。僕を邪険にしない方が……」


 出てけっ!


 ちょっとオジサンの方に水を跳ねさせて脅かすつもりがつい感情的になり、ホース出口のレバーを強く引きすぎてしまった。


 便器背面に当たった水は強く反射し、アサガオの側面で方向を整え、洗剤の泡を巻き込んで私を集中的に襲った。最低……。


「汚ねぇ。知恵遅れかよ」


 オジサンは捨て台詞を吐きながらようやく出て行ってくれたのだが、髪もブラウスもスカートもびしょびしょで私は泣きたかった。


「あおいちゃん」


 オジサンと入れ替わりに顔を出したなずなが、優しく手招きしてくれた。


「うちのシャワー使いな」


「うん……」


 汚い水を浴びたことそのものもイヤだったが、そんなことをしでかしてしまった自分が恥ずかしく、居たたまれない感じだった。せめてなずながバカにしてくれれば言い訳もできるのに、何も言わずに優しくされると、自分がなずなのずっと格下になった気分だった。


「後で思いっきりバカにしてあげる」


 なずなが言った。もう、お姉さんモードに入りおって。


「いじわる」


 そう言うと、なずなはクスッと笑った。


 なずなについて境内を横切ると、さっきのオジサンが手水舎ちょうずやで手をを清めていた。最後に口を清めると……口から水を噴き出し、手水舎に吹きかけた。


 私は目が点になったが、さすがのなずなも想定外だったらしく目を見張っていた。



 ***



 まさか朝っぱらから若松家のお風呂を借りようとは……。


 とりあえずウイッグは止めてて良かった、と思いながら私は頭を泡立てていた。


 髪が伸び、それなりに見れるようになってきたので、昨日美容院に行って髪型を整えたばかりだった。ただしカットには段を入れてありそのままではかなり女性っぽいので、後で学校に行くときはジェルでべたべたに固める予定。


「あおいちゃん、着替え、洗面台の横に置いとくね」


 お風呂の外からなずなの声がした。


「ありがとう。何から何までごめ~ん」


 ちなみに今日着てきた服は、もらった紙袋にしまった。


「そうかぁ。そうくんがあたしのパンツを穿くのかぁ」


 げ。


「うそ。封を切ってなかったやつがあったから持ってきた。パンツは返さなくていいからね」


 今はどんなにからかわれても言い返せない。


「けどあおいちゃんって意外と子供っぽいね」


「だって……でもまあ、中学生ってこんなものじゃない?」


「男子を基準にしちゃダメだよ」


 あ、そうか。いつのまにか男友達を基準にしていた。う~ん、今日の私はダメダメである。


 とりあえずシャンプーを流そうとシャワーの蛇口をひねると、音はするのになぜかお湯が全然頭に当たらなかった。見上げると、あたかもそこになにか透明な板があるかのように、空中でシャワーの水が一斉に飛ぶ方向を変えていた。


「こら! なずな!」


 そう言うと、途端にお湯が顔に当たった。お風呂の外でなずなが笑っていた。


 あれ?


「さっきトイレで水が跳ねたときにこれやってくれれば良かったじゃない」


「あ、そうか」


 間抜けな神様……と、普段なら言う所なんだけどなぁ。


「そういえば手水舎ちょうずやは?」


「そっちはもう洗ったから大丈夫」


 あの後なずなは私の面倒を美幸さんにバトンタッチすると、すぐに手水舎ちょうずやに向かった。さずかにあのオジサンもなずなに謝る……かと思いきや、逆になずなをしかりつけ、なずなが謝っていた。


「あれは何だったの?」


「作法説明の最後に『本手水舎は井戸水を使用しています。水質検査の結果飲用には問題ありませんが、ピロリ菌が心配な方は口すすぎは省略して結構です』って書いてあるでしょ。あの人はそれを読んで、普通に細菌だらけの水だと思ったみたい。手水舎に不衛生な水を使うなって怒られちゃった」


 ピロリ菌って普通の細菌と違うの?


 だいたい、あのオジサン何者?


「ええと、ピロリ菌の説明は後回しにさせてもらって、さっきの人は〇〇庁役員のN」


「〇〇庁って? そんな省庁聞いたことないけど?」


「庁って言っても、国の組織じゃなくて、単なる宗教法人だからね。ただ、戦前は国の組織だったし、今でも日本中の神社の人事に関しては絶対的な発言力を持ってる。神職の資格もそこが認定してる」


「イヤだなぁ。関わり合いになりたくないなぁ」


「う~ん」


「えっ、『う~ん』なの?」


「実はね……」

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