第3話、選手選考会で勝てますように、その2
「中村、今日も休みかよ。何があったんだろな」
朝の授業前の時間に、井上が言った。
中村は“あれ”以来、週が明けても登校してきていない。
「今日、後であいつん家、行ってみるか?」
「うん」
俺は井上に同意した。
ただ、我々が行ったからと言って、何が解決する訳でもない。せめてなずなが中村家訪問に付き合ってくれたら、何らかの手は打てるのかもしれないが……。
「岩倉くん、岩倉くん。なずなちゃん大丈夫?」
突然、普段あまり会話をしない小原という女子が俺に話しかけてきた。今日、同じ質問を二人目の女子である。普段自信たっぷりに構えてるやつが落ち込んでいると逆に目立つらしい。
そんな感じで、今朝のなずなは全く頼りにならなかった。いや、むしろ今日一日はじっくり休ませてやりたい。
「今朝ちょっと何かあったみたいなんだよね。でもあいつなら大丈夫。じきに立ち直るよ」
俺はさっきと同じ答えをした。違うのは井上がそばに居ることぐらい。
「ふうん、そっか。岩倉くん、よろしくね」
そう言って小原は離れていった。
「おい、岩倉、お前いま、若松のことを“あいつ”呼ばわりしなかったか? いつの間に何でそんなに仲良くなってんだよ」
案の定、井上に目を丸くして責められてしまった。
「だいたい、小原は何でお前に若松のこと聞きに来るわけ? どうなってんだよ?」
どうなってるもなにも、もう少なくとも女子の間ではなずなと俺の仲は常識化しちゃってるらしい。
その震源地の一人と思われる柿沼は、俺には目もくれず、今朝から一生懸命なずなに話しかけていた。柿沼も本気でなずなを心配していたようだ。ある意味、神様より頼りになるやつである。
俺は井上に、実は父親が神社の総代で…とかなんとか、苦しい言い訳をしつつ、なずなが心を読んでくれていることを祈ってなずなに心で話しかけた。
……柿沼の知恵を借りたい。柿沼に何もかも打ち明けちゃダメか? 柿沼が頼りになることはおまえも解ってる筈だ。
「でも俺はなず…若松にお茶淹れてもらったことはないぞ」
「そ、そうか。うん。じゃいいや」
井上と変な会話になってきたときに、なずなと柿沼が同時に俺に視線をよこし、そのあと2人で教室を出て行ってしまった。明らかに『あなたも一緒に来なさい』であった。
「ちょっとトイレ」
俺は井上との会話を無理矢理打ち切り、2人の後を追った。
***
一時限目が始まる直前の学校の屋上は、俺達3人しか居なかった。
「で、どこまで説明した?」
と、俺が聞くと
「教室でそんな話できる訳ないでしょ」
と、なずなに怒られてしまった。
「うわ、一時限目まであと5分しかないよ。うまく説明できるかな」
「蒼くんが陽菜ちゃんを呼べって言ったんだよ」
なずなと俺がごちゃごちゃ言い合っていると、柿沼が吹き出した。
「なずなちゃんは岩倉くんと話をすると、とたんに生き生きしてくるね。なんか心配して損したな」
「ちょっと待って陽菜ちゃん」
「ごめん柿沼。最初から説明する。いや結論から言うと、柿沼の力が、いや知恵を借りたい」
「焦らないで大丈夫だよ岩倉くん。一時限目の橋本はどうせ黒板の方を向いてボソボソ喋っているだけだから、途中から入ってもバレないって」
「優等生のセリフとは思えないな」
「ただし、茶化しは無しだからね。私はまだ岩倉くんのことを許してないんだから」
笑顔で『許してない』と言われると、かえって迫力があって怖い。
「解った。まず、この前聞かれたなずなの正体だけど…」
「あ、ずるい蒼くん。蒼くんが言い出したんだから、自分の正体から話しなよ」
「岩倉くんの正体? 何それ?」
柿沼がとたんに怪訝な顔をした。イヤだな、俺の話は避けられないかな。
「前にマックであたしの旧友として紹介したあおいちゃんって子、覚えてる?」
「えーっ! うそだぁ。確かにあの子、カツラだったけど、あの手は女の子の手だったよ。肩幅だって、体の動かし方だって」
柿沼の笑顔がちょっと引きつっているように見えた。
ウィッグ、バレてた……。
それはともかく、でも確かにここを飲んでもらわない限り、いろいろな状況の話ができない。柿沼に気味悪がられ、二度と『友達』と呼んでもらえなくても仕方ない、と俺は腹を括った。
「柿沼…」
名前を呼ぶとこちらを向いてくれたのでその瞬間、目の前で女性化して見せた。
「陽菜ちゃん、久しぶり」
と、“あおい”の声を出してみせると。
「嫌ーっ!」
柿沼は突然うつむいて両手で顔を覆い、泣き出してしまった。
俺は直ぐ女性化を止めた。
「ごめん。悪かった。その……なんだ……」
嫌がられるとは思っていたけど、まさかあの柿沼が泣き出すとは思わなかった。
「ちなみに蒼くんの性染色体はXX、つまり“あおいちゃん”の方が蒼くんの本来の姿。で、何で蒼くんが今男子をやっているかというと、蒼くんのお母さんが男の子を強く望み、それに応えた神様が蒼くんに男の子に変身する能力を与えたから」
泣いている柿沼に、なずなは淡々と説明した。
「ちなみにそのダメ神様があたし」
ん? なんかズルくないか? じぶんだけサラッと。
「蒼くんが自分の本当の姿を見せたから、公平にあたしも本当の姿を陽菜ちゃんに見せとくね」
そう言うと、なずなはセーラー服を着た狼に変身した。
ついさっきまで泣いていた柿沼が、泣いたポーズのまま固まってしまった。さすがの柿沼もここまでは予想しなかったらしい。
なずなもすぐ元の姿に戻った。
「うわ、下着がずれちゃった」
なずながもそもそ始めたので、一応エチケットとして俺は目を逸らした。
「転校初日に蒼くんに喉につかえた骨を取ってもらった話をしたじゃない……」
「ちょっと待って」
柿沼はなずなの話を制止し、涙を拭くと、大きく深呼吸した。
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」
遠くで始業のベルが鳴っていた。
「よーし、いいよ」
***
なずなと二人でこれまで経験した内容をすべて話し終えると、柿沼がつぶやくように言った。
「なーんだ。たいしたことないじゃない」
「そうか?」
「あなた達の正体の話に比べれば、もう全然」
俺には柿沼の感想は納得できないが、物の感じ方は人それぞれなので……。
「で、俺達としては中村も救いたいし、町田聡子って人も救いたい。でもどうしたらいいか判らなくて」
「うーんと。まず二人には、私を信頼してくれてありがとうってお礼を言わないとね。特に岩倉くんには……勇気をもって言いにくい話をしてくれたのに、泣いちゃってゴメン」
「無理しなくていいよ。友達だと思ってた人間が実は化け物だったなんて、気持ち悪いだろ」
「いやいやいや、岩倉くんの女の子キャラも結構好きだよ。それよりなずなちゃん、その岩倉くんの“力”を取り消してみようか」
ちょっと待て、人の人生……というか生き方をそんな簡単に……。
「うん。わかった」
なずなもかよ……。
なずなが俺をじっと見つめた。“力”を取り消されるということは、俺はこの場で女になるということである。柿沼の前でまた女になるのはイヤだなぁ。
「あれ?」
なずなが呟いた。俺には何の変化も起きない。
なずなが俺に近づき、俺の顔を両手で挟んだ。近傍で、真剣な顔で見つめられるとなんかこそばゆい。ただ……改めてじっくり見ると、顔のパーツがカンペキにシンメトリーで……やっぱ綺麗だわ、こいつ。
「あれ? あれ?」
なずなが呟いた。俺は……相変わらず男子のままだった。
「やっぱり取り消せないでしょ」
柿沼が言った。『やっぱり』って?
「なんで? もともとあたしが与えた力なのに?」
「なずなちゃんの話だと、なずなちゃん以上の力を持った存在ってそうそう居ない訳でしょ。と、すると、その町田さんって人の力を消せなかったのは、何かほかに原因がある訳ではなく、元々消せないものだったと考えるのが自然じゃない」
「陽菜ちゃんすごい。もう、神」
なずな、お前が“神”言うな。……俺もそう思ったけど。
***
結局、放課後の中村家訪問は、井上と俺に、柿沼となずなを加えた4人で行くことになった。
当然、井上は上機嫌で、道中ずっとなずな相手に喋りっぱなしであった。
柿沼と俺が、井上となずなの後ろについていく形で歩いていると、柿沼がつぶやくように言った。
「なんだろうな。よく判らなくなっちゃった」
「何が?」
俺は聞いてみた。
「岩倉くんずっと前の二人を見てるじゃない。ちょっと前なら嫉妬してる、可愛いって思ったと思うんだけど、あなたたち、そういう関係じゃないもんね」
「そうかな? 見てたかな? ……でも正直、なずなが他の男と楽しそうにしてると、なんかモヤモヤすんだよね。冷静に考えれば変なんだけど、やっぱり嫉妬かなぁ」
「岩倉くん、こんど2人でお出かけしない? 前にマックで話した手作りアクセサリーの、材料を買えるお店を教えてあげる」
「前にマックでって……」
突然何を……そもそも柿沼とマックに行ったことなんかあったっけ?
ああ、あのなずなが転校してきた日、俺は“あおい”の姿で柿沼達の会話に参加したんだっけ。そういえばあのとき柿沼、なんか可愛いブレスレットしてて、手作りだって話してたな。詳しい話を聞こうとしたら、他の話題になっちゃったんだっけ。
「ああ、あのブレスレット、良かったな。うん、行きたい。……けど、柿沼みたいに上手に作れるかな?」
そう俺が言うと、柿沼は急に後ろを向いた。
「あーあ、やっぱり良く判らないや」
あれ? 俺、なんか変なこと言った?
ふと前を見ると、なずなが怖い顔で俺を睨んでいた。
なんなんだよ、もう。
***
中村は、意外と元気で……いつも通りだった。
中村と井上は、なずなが喜んで見せるもんだから、得意になって俺達3人でこんなバカなことをしてきたという話をなずなにペラペラしゃべりやがった。俺が話題をどんなに変えようとしても、なずなの笑顔の前では無力だった。
キミ達は知らないだろうけど、キミ達が昔のことを思い出しただけでなずなにはバレバレなのだよ。
例えば今、中村が話している、公園の池のそばでふざけてたら、俺が池に落ちてスマホがダメになった話。
中村はここで話を止めとけば、中学生らしいエピソードだと思ってるっぽいのだが、なずながすごい見下した眼差しで俺を見ていることから察して、その後俺が井上と中村を池に引きずり込み、制服のまま水を掛け合って遊んだところまで見えちゃってるんだろうな……という感じ。
飲み物を出してくれた中村のお母さんは、柿沼を知っているようだった。
「あれ? 陽菜ちゃん? 大きくなったね。大智と同じクラスだったの?」
「久しぶりです」
そのあとお母さんはしばらく柿沼を離さなかった。あなたも優秀だったのに、なんで中学受験しなかったんだ、とか、今はどこの塾に行ってるんだ、とか…。
これに対して柿沼はお母さんに、中村は相変わらず優秀な学生で、自分たちは中村を必要としているのだという話を、若干創作も交えて吹き込んでいた。いわく、クラスで困りごとがあると、解決策を提案してくれるのは決まって中村だ、とかなんとか。
見た感じ、普通の優しそうなお母さんであった。とても息子を精神病に追い込んだ母には見えなかった。
中村の家を出る際、井上が、
「明日は学校来いよ」
と、言うと、中村は
「おう」
と、答えた。俺の知っている中村大智であった。
中村家から二区画ほど離れた所まで歩いた所で、突然柿沼が叫んだ。
「ふー。疲れたー」
「柿沼、意外と体力ねえな。ただ歩いてるだけじゃん」
さすがにこんなこと、俺は言わない。言ったのは井上だ。
「人の家を訪問して緊張しない人はいいねー。うらやましい」
「だって中村だせ。なんで緊張すんだよ」
「いい。井上くん、そこがキミのいい所だよ」
「は?」
俺も、井上と一緒で全然疲れてなかった。むしろ見知った側の中村と話ができて楽しかった。今回は女子二人(?)に頼り切ってしまったな、とちょっと反省。
「蒼くんは心の体力がありすぎなの」
なずなが言った。前にも同じこと言われたっけ。面の皮が厚い、の婉曲表現だろ。
「わかってるじゃない」
なずながクスッと笑った。
「あと『女子二人』の後の(?)は要らないから」
「それって……ま、いいや。で、どう?」
「やっぱり陽菜ちゃん神だわ。お母さんの中村くんに対する気持ちが、たった1時間で全然ちがっちゃったもん」
「だからおまえが『神』言うな」
「本物の神ができることなんて限られてる。人間にとって本当の神様って、実は人間なんじゃないかな」
「その発言は、ややこしいことこの上ないな」
***
井上と別れた後、町田聡子の問題が片付くまではなずなを絶対に一人にしてはいけないという柿沼の主張で、なずなを柿沼と俺で家まで送ることになった。
俺はともかく、柿沼は遠回りの筈だ。助力を頼んどいてなんだが、そこまでされると申し訳ない……と、思っていたのは俺だけだったようだ。
「しょうがないな。今日の陽菜には逆らえないや」
「へっへっ」
なんだ、この女子2人の会話。
その後もこの2人は楽しそうに会話をしていたが、傍で聞いていても、まったく何の話をしているのか判らなかった。唯一判ったのは、この2人、えらい気が合うということ。文に主語が無くても、この2人の間では、あれ、それでだいたい通じてしまうようなのだ。
仲間外れは寂しいので俺も会話に加わりたかったのだが、神と神の会話に凡人の入るスキは無かった。
なずなを家に送り届けた後、俺はふとつぶやいた。
「なずなも、最初から柿沼をパートナーに選べば良かったのにな。俺じゃなくて」
「なずなはね、キミがいいんだよ」
……ええと、とりあえず柿沼がなずなに毒されつつあることは判った。
***
翌朝、私は一人で神社の掃除をしていた。もちろん、柿沼の策略である。