第2話、受験に合格しますように、その2
そんなこんなで神社掃除の後、岩倉蒼に戻るために荷物と着替えを置いた部屋に向かって歩いていると、なずなからスマホにメッセージが入った。
「あおいちゃん、尾けられてるよ」
えっ? 言われても全く判らない。
今歩いているのは住宅街だが、周りを歩いてるのは通勤っぽい人数名、犬の散歩1名ぐらいなものであった。
「中村が建物の影に隠れるんだけど、見えないかな?」
ええっ? どこ? どこ?
しびれを切らしたか、音声通話でなずなが連絡を入れて来た。
「もう。キョロキョロしちゃダメでしょ」
「そんなぁ」
「とりあえず捲いてあげるから、あたしの言う通りに歩いて」
「お願いします」
なんか私、なずなに助けてもらってばっかり。借りばっかり増えていくようでやだな。
「ごめんねあおいちゃん。ちょっと遠くて気持ちがよく見えない。何かあれば今は言葉で伝えて」
「ううん。大丈夫」
ちょっとホッとした。なずなも万能ではないのだ。
「先ずは隠れる場所の少ない大通りにでるよ」
「はい」
しばらく大通りを進み、二回ほど角を曲がった所で
「はい、捲いたよ」
と、なずな。さすが神様。Thank you。
が、私が例の部屋に戻ろうとすると、なずなが呼び止めた。
「ちょっとまって。中村、駅に向かってるよ……あおいちゃん、まさか中村にあざみ野の叔父さんの話、したことないよね?」
あざみ野の叔父さんとは父の弟で、想定上“あおい”の父ということにしている、あざみ野駅の最寄に住む人物のことである。
「なにそれ? 誰と何の話をしたかなんて、普通覚えてないでしょ」
「普通はね。けど中村は覚えてる。あたしがやつの記憶力を上げたから。
中村が駅に向かってるということは、蒼くんが中村の耳に届く範囲で交わした雑談の中に、あざみ野の叔父さんの話が入ってたんだと思う。中村はその記憶と“あおい”ちゃんが蒼くんの従妹だという話を結び付けて“あおい”ちゃんが住んでいる筈の場所のだいたいの目星を付けたんじゃないかな」
やりすぎ! なずなの恩寵って、何でそう極端なの? 私といい、中村といい……。
「……たぶん、今、怒ってるよね?」
「うん。怒ってる」
「ごめん。後で埋め合わせは絶対するから、悪いんだけど、今は中村を止めて」
言われるまでもなく、私は駅に向かって走り出していた。叔父の家までたどり着かれたらいろいろと面倒なことになるのは私だ。
***
駅まで着いても、中村の姿は見当たらなかった。
「中村は?」
通話でなずなに聞くと
「今、ホームで電車待ってる」
とのこと。
スマホ内スイカには十分なチャージがあった筈。
改札を抜けると、丁度下り電車がホームに入ってきた所であった。私は階段を駆け降り、電車に飛び乗った。たぶん、中村も同じ電車に乗っている。
さて、とりあえず追いついたが、これからどうしよう……。
スマホを見ると、なずなから大量のメッセージが届いていた。
そこにはたぶん、“俺”には言いにくかったんだろうなと思われる、醜悪な事実が大量に書き連ねてあった。
***
中村は、車両内のあざみ野駅改札に最も近いドアの前に立ち、電車が駅に着くと一番に改札を抜けた。その後すぐに物影に隠れ私が改札から出てくるのを待った。
途中尾行を捲かれてしまったが、私の足から考えて自分が乗った車両より前の電車に乗ったとは考えられず、また私も学校に行かなければならないことから、自分が乗った車両より3本以上遅い電車に乗ることも考えられない。ここで待っていればすぐに私を捉えることができる筈……が、中村の推理だった。(……と、後でなずなに教えてもらった)
待ち合わせを装いつつ、改札口に全神経をとがらす中村に、私は背後から静かに近づき、1mほどに近づいたところで、なるべくドスの効いた怒って聞こえる筈の声を出した。
「私に何か用? 中村君……だっけ」
ひっ、と小さな悲鳴を上げ、中村は座り込んだ。いわゆる腰を抜かしたというヤツだ。
「他の女の子にもこんなことしてるんでしょ。最低。くず。人間のくず」
なずな情報によれば、ほかにも6人ほど、こっそり追い回している女性がいるとのことであった。そのうちの一人で、一人暮らしの女性については、ついに部屋の合鍵を入手し、彼女の留守の間に部屋に出入りまでしているらしい。
中村は、私の口から汚い言葉が出てくるのが信じられない、という表情をしていた。
「コソコソと、気持ち悪いのよ。この世から消えてくれないかな、このゴキブリ、生ごみ」
中村は座り込んだまま、泣き出してしまった。
「うわぁ、生ごみが泣いてる。気色悪い」
と、言うと、中村は恥も外聞も無く大声で泣きだした。
まだ朝の少し早い時間とはいえ、東京や横浜への通勤圏内にある住宅街の駅である。改札へ向かう人通りは結構多かった。
そんな所で女の子が男の子を泣かしているのである。立ち止まる人こそ居なかったが、濃密な視線を感じざるを得なかった。
私はポーチからハンカチを取り出すと、泣いている中村の前にかがみこみ、涙を拭いてやった。
中村は何が起きたのか判らない様子で、焦点の合わない目で私を見つめた。
「そこの喫茶店で少し話そうか、タカノリくん」
中村の本当の名前は大智である。タカノリは普段隠れている、そして今表に出ている第二人格に中村が勝手に付けた名前である。当然本人しか知らない筈の名前だ。
その名前で呼ぶと、中村はおとなしく私に従った。母に従う子のように。
***
なずなの情報によれば、中村の第一人格、大智は、中村がそうありたい姿、第二人格、タカノリは可哀そうなので何をしても許される人物(当然、本人がそう思っているだけ)、なのだそうだ。
タカノリは普段は中村の奥に押し込められているが、“優しい母”を喉から手が出るほど渇望しており、優しそうな女性を見つけると出てくるらしい。
ただ、これまでタカノリがストーカー行為を行った女性は全員年上で、同い年は私が初めてとのこと。
「あんたが甘いマスクしてるからいけないの」
なんか無責任な言葉がなずなのメッセージに混じっていた。
なずなの提案は、とにかく私が“優しい母”でないことを示す為、タカノリに罵詈雑言を浴びせてそのまま立ち去る、というものであった。
「中村と話しをしなくていいの?」
「バカ! あんたはまず自分の身を守ることを考えなさい」
とのことで、途中まではなずなの提案に従っていたのだが、子供のように泣きじゃくる中村を見ていたら可哀そうになってしまった。なずな、怒ってんだろうな。
ついでにここで、中村の裏に回り込んだ方法のタネ明かしをすると、私は電車を降りた後、ホームの隅でウイッグを外し、服のリボンを解いたのだった。ウエストの絞りを無くし、髪型を男の子カットにするだけで、垢抜けない田舎娘が出来上がった。
「だっさ…」
ガラスに映った自分の姿を見てつい呟いてしまった。やっぱり前髪はもう少し伸ばそう。普段はムースで固めておけばごまかせる筈だ。
この格好で改札を抜けても中村は私だとは気が付かなった。そこで、十分に通り過ぎた後、元のスタイルに戻って中村の背後から近づいたという次第。
***
コーヒー代は私が払い(ついでにお腹が空いたので、サンドイッチも二人分購入)、なるべく他の客から離れた隅の席に二人で座ると、私はたぶん一番危険な個所から話を始めた。
「川村明日香さんの部屋の合鍵を出しなさい」
中村タカノリは、なぜか素直に私の言葉に従った。
中村のストーカー行為は、すべてまだ足が付いていない。こいつの優れた記憶力が、証拠の消し忘れを防いでいるのであろう。これで私がこの鍵を処分し、中村がピタリとストーカー行為を止めれば、事件は無かったことにできる。
……これで完全に共犯者だが、仕方ない。
「中学受験、キツかった?」
私はサンドイッチの封を切りながら言った。
「いえ、全然」
タカノリはコーヒーにもサンドイッチにも手を付けず、両手を腿に置いてコチコチに固まっていた。
「じゃ、なんで試験受けなかったの?」
そう聞いた後、私はサンドイッチを口にした。もぐもぐ。
「受けましたよ。全部白紙で返しましたけど。……あなた、誰ですか?」
さあ困った。このタカノリの目の前でサンドイッチを食べている、タカノリと同い年の少女は何者なんだろう。もぐもぐ。
「私は君に完全犯罪を成功させるために君の記憶力を上げたんじゃない。君の記憶力は本日をもって取り上げるけど、いいよね」
と、私が言うと、タカノリは顔色を変えた。
「やめてください。それじゃ、井上や岩倉と一緒の本当のバカになっちゃうじゃないですか」
バカで悪かったね。……このセリフ、中村の口から聞きたくなかったな。
「それじゃ、大智くんじゃなくてタカノリくんが本当の君だと認める訳だ」
私はコーヒーを口にした。
「それは……大智は大智、僕は僕です」
「なら、記憶力を取り上げない代わりに、今後一切、女性を付け回さないと約束できる? 特に今、私が憑代にしているあおいちゃんについては、この街自体にも来ないこと」
「はい。もちろん。……あの……今後も時々僕と会ってもらえますか?」
うーん、どうしよう。
私はサンドイッチを咀嚼しながら考えた。もぐもぐ。
私の中ではさっきの言葉で中村がすでに友達リストから外れておりあまり会いたくなかったが、なにもかもを取り上げてしまうと、もっと人格が分裂していってしまいそうだ。
「また朝、中山神社に来なさい。気が向けば会ってあげる。ただし、あおいちゃん本人はこの会話の記憶がないから、キョトンとされたらあきらめてね」
「はい。ありがとうございます」
「サンドイッチ、食べきれないや。一個食べる?」
「はい。ありがとうございます」
私はサンドイッチの最後の一切れを中村に渡し、コーヒーを飲み干すと店を出た。中村は私が席を立つとようやくコーヒーに手を伸ばした。
***
店を出て駅に向かうと、なずなが待っていた。なんともう、制服に……セーラー服に着替えていた。
「女神様、おつかれ様でした」
「もう…、傍に居たなら来てくれも良かったんじゃない? なずなは本物の女神様なんだから」
「あれは入れないでしょ。さすが蒼くんって感じ」
「だから私は今は、蒼です」
「ところであおいちゃん、このまま電車で帰ると学校遅刻するよ。部屋まで送ってあげる」
なずなは私に背中をむけてしゃがみ込み、背中に乗るよう促した。
うそ、おんぶ?
神様だったら、この場でドロンと消えて別の場所にドロンと現れるぐらいできるんじゃ……。
「そんな非現実的ことできないって」
というと、なずなは私をおぶって走り出し、駅に隣接する民家の屋根へジャンプした。こっちは非現実的じゃないんかい。
なずなは、屋根から屋根へ、時には大通りを挟んで数十メートルの大ジャンプを繰り出した。こっちはなずなの細い体しかつかまる所がないのである。怖いなんでもんじゃなかった。ひぃ。
悪いとは思ったが、なずなの胸の前で腕を交差し、両肩をがっしり掴ませてもらった。なずなが跳ねるたびになずなの長い髪が遠慮なく私の顔にバサバサ当たった。いい香りがした。たぶん、野獣のものとは異なる、何か気持ちが落ち着く香り。
***
岩倉蒼に戻る間、部屋の外で待ってもらうのは悪いので、なすなには部屋の中で待ってもらった。
「あのー、いちおうあたしも女子なんだけど。蒼くん良く目の前で着替えられるね」
「どうせどこに居てもなずなには丸見えだろ。意味ないじゃん」
「ぶー」
この神様、なにを考えていらっしゃるのやら。
「中村くんのご両親ね、中村くんがあまりにも出来るんで、どんどん目標を上げていっちゃったみたい」
俺が制服に着替えている間、なずなはひたすら喋っていた。俺が長い時間、タカノリを……中村の第二人格を引き出していたので、かなり深くまで心象風景が見えたのだそうだ。
「中村くんにしてみれば、べつに私立中学に行きたい訳じゃなく、単にお母さんの喜ぶ顔が見たかっただけなのに、模試を受けるたび、今度こそ喜んでくれるだろう、今度こそ喜んでくれるだろう、と思っても、全然喜んでくれない。それどころか、もっとがんばれ、もっと出来る筈だ、と、どんどんゴールを先延ばしにされちゃう」
「で、入試直前に中村くん、切れちゃったみたい。こう、ぷっつんと」
なずなはカニのゼスチャーをしていた。
「そうしたら今度はご両親の方が狂っちゃった。今までの私達の苦労は何だったんだって。努力してたのは中村くんの方なのにね」
「大好きなお母さんがあまりにも中村くんをイジメるんで、中村くんはこのイジメられてるヤツは俺じゃない、タカノリっていう別のヤツだと思うことにした……」
「反省してる?」
俺は女物の服を「岩倉不動産、備品」と書いた衣装ケースにしまいながらなずなに聞いてみた。
おまえが元凶じゃん。やっぱり中村には優しくしてやろう。
「あたしが悪いのかな?」
「力を持つ者は、それに応じた責任を持っている、と思うよ。道路上では歩行者より車の方が責任が重いように。
ある県で災害が発生して、そこの県知事が国に『ちゃんと対策を打ってください』なんて言ってたら引くでしょ。
……ま、中二坊主の屁理屈かもしれないけど」
「う~ん」
まあ、悩んでくれ。俺も正解は判らん。
「さて、じゃあ後は自分の足で学校まで走るから、なずなは先に行っていいよ。ここまでありがとう」
俺は荷物をまとめて立ち上がった。
「ダメ。蒼くんの足じゃ遅刻しちゃうでしょ」
いや、それはそうなんだけど、考えてみると女子におんぶされている男子ってのは、あまりにカッコ悪いというか……。
「ほら、早く」
俺は部屋の鍵を閉めると、促されるまま、もうままよっとなずなの背中に乗った。なずなの体はさっきよりもさらに細く感じたが、屋根の上を飛び跳ねられてもさっきほどの恐怖は感じなかった。性別が変わると、物の感じ方が変わるようであった。
相変わらずなずなの長い髪がバサバサ当たり、なずなの香りがした。さっきは落ち着く香りとしか表現できなかったが、今は一言でこの香りを表現できる。
女の子の匂い、だ。
「幸せって、難しいね」
なずながつぶやいた。
***
始業時間ギリギリに二人で教室に飛び込むと、井上が妙にハイテンションだった。
「おっす、若松!」
「おはよう」
「おっす、岩倉!」
「おう」
にやけた井上が俺に話しかけてきた。
「俺、今朝、若松にお茶淹れてもらっちゃった」
「えっ、何? どういう事だよ」
柿沼、ちゃんと君の『ほら、そこで驚かないと』って教え、生かしてるよ。
「俺ら今朝、中山神社行ったじゃん。そしたら……あ、お前の従妹、すげー可愛いじゃん。うそつくなよ。中村なんか、あの若松そっちのけでお前の従妹に夢中……あれ、そういえば中村、まだ来てないな」
中村は……今日、来るかな? 来るといいな。
井上が話している途中で柿沼がこっちを見ている気がしたので、右手を上げて
「よっ」
と言ってみたが、咄嗟に視線を外されてしまった。
幸せよりも、俺にはこっちの方が難しいんですけど。
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