第1話、男の子をお授けください、その3
姉が少々コダワったせいで、少々遅刻気味になってしまった。
私は駅へ向かう道を少し速足で歩いていた。それでも、私の足取りに合わせてスカートが揺れるのはなんとなく楽しかった。
街ですれ違う人達が、みんなちらちら私を見ているような気がした。考えてみれば、一人で街を歩くのは初めてだった。女性化して外出するときはいつも姉と一緒で、他の人の視線を気にしたことは無かった。
高齢の男性は、私と視線が合うと明らかにぱっと目をそらした。
いっつもこんなに見られてたっけ? もしかしたら、ウィッグ、ずれてる?
通りすがりの洋服屋の入り口付近に姿見が置いてあり、そこに自分の姿が映っていたので、ちょっと立ち止まった。
よし、ウィッグ、ずれてない。髪型、キープできてる。スカートとシャツの色のバランスも良し。靴と靴下も雰囲気が合ってる。カバンもかわいい。あとはできれば帽子が欲しいな、今度買いに ……あれ? なんか目的がずれた?
いかん、いかん。と、頭では考えつつも、ふと思い出して鏡に向かってウインクをしてみた。しかし、一生懸命片目をつぶっているガキのウインクで、なんだかもう……。
どうやったらあんなカッコ良いウインクができるのだ? 化け物のくせにずるいぞ。
気を取り直して再び歩き始めると、私と一緒に歩き始めた男がいることに気が付いた。ネクラそうな、あまり感じの良くない小太りの、20歳前後の男だ。ずっと数メートル後ろをついてくる。
最初は偶然かな、と思ったが、歩調を変えても私のペースに合わせて一定の間隔を保ってついてくる。
いやだ。キモい。
途中、曲がると建物の影になる角で曲がり、私は駆けだした。とりあえずまいてしまおうと思ったのだ。
ところが男はすぐに気が付き、あっという間に私に追いついた。
後ろから右手首をつかまれたので、私はその手を振り払おうとした。が、右腕はぴくりとも動かなかった。見た目筋肉など無さそうなのに、意外なほど男は力が強かった。いや、女性化の際、私は筋肉が落ちるのかもしれない。
力ではかなわない、と思った瞬間、急に男が怖くなった。
「ねえ君、この辺で一番近い郵便局はどこかな?」
とにかく、ここは毅然と「やめてください」とビシッと言ってナメられないようにしなくては。と、思ったのだが……。
「やめて…」
恐怖で蚊の鳴くような声しか出なかった。
「み、道を聞いているだけだよ」
男が更に左肩を掴んできた。
「きみ、かわいいね」
……もう声も出なかった。男をまくつもりでわざわざ細い道に曲がってしまったので、人通りも無かった。
もうダメ! 誰か助けて!
心の中で悲鳴を上げると……。
突然、男が3メートルぐらい後ろに吹っ飛んだ。
たぶん、しりもちをついていたと思う。網膜の片隅に男の茫然とした表情が映ったような気もするが、じっくり状況を観察する心の余裕は無かった。私はとにかくその場から逃れたくて必死に駆けだした。
***
なんだかんだで結局マックには遅刻してしまった。少しでも妖怪に対して心理的に優位に立てるよう、遅刻は絶対にしたくなかったのにな。ばか姉貴め。
取り急ぎ店の前で手鏡を出し汗で化粧が崩れていないことを確認、前髪を整えると私は店に入った。
一階に若松なずなは居なかったので、購入したコーヒーとアップルパイを持って二階に上がると……私はコケそうになった。なずなは柿沼グループに入って談笑……すっごく楽しそうであった。
この状況で私が男のまま現れたら、この子はどう説明するつもりだっんだろう。まったく。
とりあえず、彼女たちの後ろに空席がある。そこに座って聞き耳を立てよう……と、歩き出すと、驚いたことになずなは私に向かって手を振ってきた。
「あおいちゃん! こっちこっち」
そう言いながら、また例の「話を合わせろ」ウインクを送ってきた。私は視力が2.0あるから見えたものの、普通なら見落とすって……と、いうか、外観はカンペキに別人の筈なのに、なぜ私だと分かった? しかも“あおいちゃん”って名前、どっから出た?
相手はどこまでも化け物である。かなう筈はない。もう……あなたの手のひらの上で踊ればいいんでしょ……と、私は腹をくくった。
「なずなぁ、久しぶりぃ」
私は笑顔を作り、手を振り返した。さあ、どうする犬の化け物。
「この子が元々待ち合わせてた前の学校のクラスメートのあおいちゃん」
なずなは私を柿沼達にそう紹介した。
「あおいちゃん、この人たちあたしの新しいクラスメートで、○○さん、××さん…」
なずなは逆に柿沼達を私に紹介した。うん、全員知ってる。たぶんあなたより……というか、名前覚えるの早くない? みんな、あなたが今日会ったばっかりの子だよね?
「あおいちゃん、ここ座って」
なずなは私を自分と柿沼の間の席に座らせた。
「あの物覚えの悪いなずながもうみんなの名前覚えちゃったんだ。すごいね」
そう言って、さあ、どう出る犬の化け物、と思っていたら、腿を思いっきり抓られた。何でも対応できるわけではないらしい。
あれ? もしかして私を柿沼と自分の間に座らせたのも、柿沼のカンの鋭さに気が付いたからだったり? 一見、自信たっぷりのお姉さんキャラなのに、こやつ、意外とダメダメかも……。
そんな訳で、誰かの「なずなちゃんって前の学校ではどんな子だった」という質問に対しては、なるべく彼女が後で困らないよう、無難に話を作って回答した。とっさにその場で作って回答している割に結構つじつまが合っていたりして、私にはサギ師の才能があるかもしれない、なんて思いながら。
逆に、なずなにとっての新しいクラスはどういうクラスか、という話は面白かった。特に女子の男子一人一人に対する評価は辛辣で。
例えば井上の評価は、ある程度予想はしていたが、予想以上に一律低かった。ただ、女子トークに笑いを提供するネタの供給源として、井上の名前は何度か繰り返し出て来た。これを彼は「俺は結構女子に人気がある」と思っている訳だ。
私自身の評価も、思ったより低かった。柿沼とは結構仲良く、対等にやっているつもりでいたが、柿沼に言わせれば「ダメな弟」だそうな。
「その、岩倉くんって、もしかして蒼ってなまえじゃない?」
「そうそう、なんであおいちゃんが知ってるの?」
「それ、私の従弟だよ。うそ、すごい偶然!」
なんでそんな際どい設定を……と、なずなが嫌がりそうな気もしたが、私の話題が出たタイミングで従弟設定をネジ込んだ。姉と二人で出かける際、従妹ということにしているので、ここで岩倉という名前に反応しないと、たぶんあとで辻褄が合わなくなると思ったのだ。
ちょっと怖いな、と思いながら出した話であったが、私の心配は杞憂だったようで、むしろ共通の知り合い(……本人だけど)が居ることで話が弾んだ。なんとなくみんなとの距離が縮まった気がした。つい、普段の“俺”が話しもしない岩倉蒼の家庭事情なんかもぺらぺらしゃべってしまった。
なずなの反応をちらっと確認したが、特に気にもしていないようであった。
あと、普段大人しいと思ってた藤田さんからバンバン人の悪口が飛び出してくることにも驚いた。
「この子、男子の前ではネコ被ってるんだよ」
「えー、そんなことないよ」
ただし本人に自覚なし。
なんだかんだ、あのマックの堅い椅子で3時間ぐらい話し込んでしまい、いつの間にか私もその場に馴染んでいた(ような気がする)。
柿沼達4人は最後に、
「また会おうね」
と言い残して帰っていった。
時間が少々遅くなり、他の客の年齢層が上がってきたマックに、なずなと私の二人だけが残された。
「あの子達、楽しいね」
なずなが言った。
「うん。よかったねなずな。新しい学校、楽しそうで……って、友達設定はここまで」
3時間も友達のふりを続けると、本当に昔からの友達のような気がしてくるから不思議だ。ノリでその設定のまま返事を返してしまってから、私は急ハンドルを切った。なぜか一抹の寂しさがあった。
「さて、まずは、あなたの正体から話してもらいましょうか?」
「頑張ってるね、蒼くん。話し方も立ち振る舞いも、ちゃんと女の子できてるじゃない」
「こら、蒼くんって言わない」
私は唇に人差し指をあてた。
他人にはさんざんウインクで話を合わせろと言ってくるくせに。岩倉蒼が女子をやってるって近所にバレたらまずいだろうぐらい、気を回しなさい。
……考えてみると、この時点では、なずなは私にとって正体不明の化け物であった筈なのだが、不思議と最初から警戒感は湧かなかった。
「じゃあさっきの続きで、あおいちゃんでいいかな」
「蒼だから? 短絡的だなぁ。いつか陽菜ちゃんにはバレそう」
あ、断っておくが、“俺”は普段、柿沼を“陽菜ちゃん”なんて呼ばない。これも勢いだ。
「あの子頭いいね。びっくりしちゃった」
「なずなちゃん。話題、それてるよ」
「そうだね。まず最初にあおいちゃんに謝らないと。元々女の子だったあおいちゃんに、男の子になる能力を与えたのはあたしです。喜ばれると思ったんだけど、あなたのお母さんにこっぴどく怒られちゃった。ごめんね」
ごめんね、じゃないんですけど。私がこの14年間悩み続けてきた問題を、たった14秒で説明するなっての。
というか、このなずながあの神社に祭られている神様? 神様にしちゃちょっと、頼りないというか、あふなっかしいというか……。
あと、聞き捨てならないセリフが。
「元々女の子ってどういうこと? 私は生まれた時、男子だった筈なんだけど」
「あおいちゃんのお母さんが私の所にお百度参りに来た時は、女性の遺伝子を持った受精卵が既に着床していて『男の子をください』と祈られても、もうどうしようも無い状態だったわけ」
「うん」 ……いや、納得はしてないけど。
「女の子を表面上男の子に化けさせることはできるけど、その場合将来その子が心と体の不一致に苦しむ場合があるから、この祈りは受けちゃダメ、が母の助言だった」
「うん」
「でも、途中うずくまりながらも祈りつづける参拝者を見て、あたしは可能性だけでも与えてあげたいと思った。恩寵を与える力には自信もあったし」
「うん」
「そこであたしはその受精卵に自分で自分の性別を選ばせることにしたの。だからその4年後にその人が男の子を連れて来た時は嬉しかったな。なんていい子なんだろうって」
「……」
……いろいろと一気に腑に落ちた。
あのねえ。子供が母親に気に入られようとするのは、ほぼ本能でしょうが。
「そうだよね。あおいちゃんのお怒り、ごもっとです。だから埋め合わせはさせて。それがあたしが山から降りて来た目的の一つだから」
「で? 『その4年後』に私の母が要求していた、私を普通の男子に戻す話は?」
「あおいちゃんを普通の人間……というか、今あおいちゃんが持っている力を消すことはいつでもできるし、男の子の外観がよければ男子に固定することもできる。なんなら、今までの埋め合わせでもっと違う能力をあげてもいい。何でも言って」
「うっ……」
……逆に、ややこしくなってきた。
「……ちょっと考えさせて」
「うん。待ってる」
と、いう訳で本件は保留。さてええと、あと、なずなに確認しなきゃいけないことは……。
「あと……」
「あ!」
私が話し始めようとするのを遮り、なずなは突然ニタッといじわるな笑顔を浮かべた。
「ねえ君、この辺で一番近い郵便局はどこかな?」「やめて…」
“ねえ君…"は太く作った声で、“やめて"は蚊の鳴くような情けない声で、なずなが演じた。
「あーっ」
顔がほてるのが判った。私は両手で顔を覆った。あれをこやつに見られてたのか……。
「やっぱりなずなだったんだ。ありがとう……助かりました……」
あの時あの男が吹っ飛んだのは、神の力であったのだ。
そこは納得しながらも、私は恥ずかしくてうつむいてしまった。あの時何を女の子になりきっていたのだろう……。
「君はあたしのヒーローなんだから、しっかりしてよね」
「へ?」
私は顔を上げた。
「あの後、何べんも喉に骨を引っかけたけど、結局オオカミの口に腕を差し入れる勇気と優しさを併せ持った人間は、後にも先にも蒼くんだけだった」
何べんも引っかけるな! あんたはどういう食事の仕方をしてる?
「もっともあの後骨は自分で取れるようになったから人に取ってもらう必要は無かったんだけど、まあ遊びというか……で、あの子は特別な子だったんだ、と、気が付いたというか……」
なずなが珍しく目をそらしてしゃべっていた。
やめよ、なずな。たぶんお互いこういう会話は慣れてない。
「で、そのヒーローにお願いなんだけど」
なずなの視線がまた私にピタリと合った。
「蒼くん以外にあたしが恩寵を施した人達にも会って回ろうと思うんだけど、付き合って」
……もしかして、私の母の罵詈雑言、気にしてた?
「やっぱりあれが山を降りようと思った一番のきっかけかな? 本当にあたしは人間を幸せにしているのか、判らなくなっちゃって。なら、直接確認しようかと。
ただ、今日一日で自信無くなっちゃって……でも、蒼くんが居てくれたら大丈夫。今日もいろいろ助けてもらったし」
ん? 助けたっけ?
「あ、そうだもう一つ。犬じゃないから。あたしは狼。ニホンオオカミは確かに見た目が優しくて、一見犬に見えるし、山犬なんて呼ばれ方もしてたけど、人間に従属する犬とは根本的に生き方がちがうの。一緒にしないで」
……そこ、大事?
「犬の妖怪とか、犬の化け物とか、失礼の極みでしょ。ずっとがまんしてたんだからね」
あのー、さっきから声出してないのに会話が成り立ってるんですが……。
うすうす気が付いては居たんだけど、『ずっとがまんしてた』って、もしかして結構最初からべったりと私の心覗いてた? 私がこの姿でここに来ることも知ってた?
「蒼くん、 ずっと女の子として社会デビューしたがってたでしょ」
「それでわざとあの子達とかち合わせたの? そこまで計算できるのに、なんで転校生として紹介された挨拶の時、私を見て表情崩しちゃったかな? あれでいろいろと話がおかしくなったよね」
「人間の体って難しいね。あんな簡単に気持ちが表に出ちゃうなんて思わなかった」
やっぱりこの子は神としてはどうかと……。なずなの『付き合って』ってお願い、どうしようかな?
あーっ!! いつの間にか、マックで“蒼くん”を連呼されてる!
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