第1話、男の子をお授けください、その2
ここでちょっとだけ自己紹介を。
岩倉蒼、14歳、男(?)、神奈川県川崎市在住。
川崎市と言うと一般に海沿いの工場地域のイメージだと思うけど、実際の川崎市は結構内陸深くまで食い込んでいる。川崎市が東京都町田市に接している、と言えば、とりあえず関東近郊の人にはその食い込み具合が伝わる……かなぁ。(判らない人、ゴメンナサイ)
俺が住んでいる所もその食い込み部、東名川崎ICのそばである。
性別の横に(?)を付けたのは、自分でもよく判らないからだ。
小さな頃、母親の前でやって大騒ぎになったので、それ以来親の前ではやらないようにしているが、俺はいつでも女になれる。腕を曲げるように、息を吐くように、ごく普通の動作として。……前回と同じ文章になってしまった。
小さな頃はこれをやっても、服を着ていれば外観上の変化はほとんど無かった。友達と遊んでいるときにこっそり性別を変えても全く気が付かれなかったほどだ。そのため、すこし前までは性別などほとんど気にもしなかったのだが、最近……特にここ1年ほどはどうもこのことを意識させられる機会が増えた気がする。
最初に自分の性別を強く意識したのは、中学に入り、制服を着なければならなくなった時だっただろうか。
デパートから帰ってきて、その男物の真新しい制服を見ていたら、何故か涙が出て来た。別に男である自分がイヤだという訳ではない。が、女である自分も自分の中でいつしか大きな部分を占めていたようで、制服はその自分を否定しているように見えた。
目を赤く腫らしたまま、私(以下一人称を変える。以下の文を“俺”で書くと変質者になってしまう。……ま、否定はしないけど)は2才上の姉の部屋のドアをノックした。その時、私の体は完全に女性化していたと思う。姉に制服を着させてほしいと告げると、姉は下着から靴下までフルセットで“女の子の制服”を貸してくれた。
「ふうん」
私が姉から借りた服に着替えてはじめると、姉が話しかけてきた。
「こうやって改めて見ると、本当に女の子の背中ね」
「そ、そう?」
姉は私の前に回り込み、私の下着姿をまじまじと見つめた。
「本当に、女の子だ」
「服を借りといて悪いんだけど、恥ずかしいからあんまり見ないでくれる?」
「ねえ蒼、今このカッコのまんまで男に戻ってみてもらえる?」
「イヤです。絶対にイヤ」
姉は明らかに私をからかって喜んでいた。
制服に着替え終わると姉は全身が写る姿見を出してくれた。鏡の中にはブカブカの制服を着た、垂れ目でセンの細い、小学生の女の子が立っていた。この時点では姉の方が私より背が高かったのだ。
私は鏡の前でくるりと1回転してみた。男としては長髪、女としてはショートの髪が、カンペキな女の子の髪の質感でふわりと舞った。
スカートの両端を少し持ち上げ片足を引き、挨拶をしてみた。両手をグーにして手の甲を鏡の側に向け、口を隠してみた。
自分で言うのも何だが、どんなポーズも可愛かった。今日デパートの制服売り場で見たどの女の子よりも残念ながら幼く、ただその分初々しい感じ。
なんか、自然に笑みがこぼれた。
姉は私の様子を笑って見ていた。
「蒼、あんたそんなキャラだったけ?」
「あれ? あれ?」
確かに普段の“俺”はこんなことしない。なんだこれ?
「蒼、ここに立ってごらん。写真撮ってあげる」
姉は部屋のポスターを外し、背景に壁紙しか写らない空間を作ってくれた。
「そうやって真正面に立つんじゃなくて、少し斜めに立ちなよ。その方が可愛いから」
女の先輩は、さずが、いろいろと知っている。
「今度、あんたの女服を買いに行こうか。予算的にたぶんユニクロになっちゃうけど」
私がネコのポーズをいろいろ工夫していると、スマホの向こうから姉が言った。たまになぜか人の気持ちが手に取るように解っちゃう人がいるけど、私の姉もその一人だ。
「うん。ありがと、お姉ちゃん」
***
ええと、前回は若松なずなが転校生として最初の挨拶をした所まで書いたんだっけ。
その後担任がすぐに1時限目の授業になだれ込んでしまったので、結局俺がその『若松なずな』なる子と最初に会話できたのは、2時限目の直前だった。
休み時間に入ると、彼女はすぐ女子グループに囲まれたし、俺は俺で、井上達に捕まってしまった。
「岩倉、おまえあの子とどういう関係だよ?」
「知らないよ。全然」
「俺、岩倉と友達で良かった」
「だから全然、初対面だって」
「すげーじゃん。あんな子と知り合いだなんて」
おまえら……。
そうこうしていると、若松なずなを囲んでいた女子グループのリーダー格、柿沼陽菜が俺を手招きした。
「岩倉くん、ちょっと来て」
俺が柿沼の方に移動すると、井上達もさりげなくついてきた。
「岩倉くん、小さい頃なずなちゃんを助けたかもしれないんだって。何か覚えてる?」
柿沼が言った。予想通りというか、女子グループの方がまともな会話をしていたようだ。
「ええと…」
知らないよ、と話を切ってしまうのは印象が悪い気がして俺が返答に窮していると、若松なずなが口を開いた。
「人違いだったらごめんね。たぶん君、あの時の男の子じゃないかと思うんだけど……」
そう言いながら、若松なずなはその場に居る全員の目を盗み、俺だけに判るように素早く、さりげないウインクをして見せた。もう何が何だかさっぱり訳が判らなかった。
ただ、そのウインクは……何だろ、妙に大人っぽくて……鼻血が出そうな程であった。
「10年ぐらい前に、御岳山の山頂付近で、喉に引っかかった骨を取ってもらったんだけど、覚えてないかな?」
何を言っているのやら。
俺は生まれてこのかた、女の子の喉の骨を取ったことなんか……。
……ん?
あっ!
え? え~!?
まさかこいつ、あの時の犬~!?
俺は何と言ったらよいのか判らず黙ってしまった。が、たぶん何かが表情に出たのであろう、若松なずなは……フルネームはメンドクサくなってきたので以下苗字略、なずなはクスッと笑った。
「やっぱりあの時の男の子だ。あの時はお礼も言わずにごめんね。本当に助かった。今更だけどありがとう」
なずなはそう言いつつ、目が素早く周囲を見渡していた。たぶんもう一度あのウインクをするタイミングを計っていたのであろう。
大丈夫、君の意図は伝わっているから。要するにそのとき君がどんな生物だったはしゃべるなってことだろ。
なずなはじっと俺を見つめた。その表情は本当に嬉しそうであった。
思い出した。この目だ。このなんだか自信に満ちた目はあの時と全然変わっていない。
「ども。ええと……」
……ええと、この場は何か言わないと不自然だぞ……ただ柿沼辺りはカンが良いから、下手なことは言えない……
「え~! 運命の再会っ」
「お~」
「ひゅーひゅー」
「なになに? どういうこと?」
俺が何か発言しなくても、周りが勝手に盛り上がっていた。
「御岳山ってどこ?}
「骨って喉に刺さるの?」
「青梅の奥にさあ」
「骨を取るってどうやるの?」
「なずなちゃんそのときお互いに3~4歳だよね? いくら岩倉が童顔でも今とは全然違うんじゃない? よく判ったね」
みんなが勝手に発言する中で、鋭い質問をするやつがいた。
柿沼ぁ~、無駄に鋭いと嫌われるぞ。
「ホントだ。あたし、何で判っちゃったんだろ?」
「うわ~、本当に運命なんじゃない」
「そうかな」
この犬の妖怪、やっぱり強いな。
「どうせならもっといい男を選べば良かったのに」
柿沼が言った。こいつはこういうことを言うヤツなのである。
***
午後の授業中、スマホが振動したので先生の目を盗んで確認すると、なずなからメッセージが入っていた。
<今日の午後5:00に駅前のマックで待ってます>
昼休みに何人かで交換したSNSを早速使ってきた。
実はどうしても気になって授業中もちらちら彼女を見ていたのだが、スマホを触っている気配などみじんも無かった。むしろ熱心に授業を聞いているように見えた。いつ打ったんだ?
授業中に女子生徒をちら見……普通ならうんぬん言われそうな行動だが、俺以上にべったりなずなを見つめちゃってる輩が数名いたので、俺などは目立たない筈だった。特に前の席の井上はもう……先生が授業を進めながら何度も井上を睨みつけていた。普段なら教えてやる所だが、今日は隠れ蓑になってもらった。
それにしてもマックはまずい。
元々放課後、何らかの形で話をしようとは思っていた。敵意こそ無さそうであったが、傍に現れた理由が判らないのはあまりにも不気味だからだ。
しかしマックはみんなの溜まり場になっている。必ず誰かしら居る場所で2人で居たら、いろいろと言われかねない。
学校は建前上スマホ持ち込み禁止なので、授業中は返信が打てなかった。帰り道、クラスメートと別れ、一人になってから急いで別の場所の提案を返信したが、いつまで待っても既読は付かなかった。
仕方がないので、俺は奥の手を使うことにした。
***
「お姉ちゃん、化粧品貸して」
着替えを持って姉の部屋のドアをノックすると、姉が慌ててドアを開き、私を部屋へ引き込んだ。
「蒼、あんた自覚なさすぎ」
姉は私を姿見の前に立たせた。そこには男子の制服を着た童顔で線の細い女の子が立っていた。
ちょっと前までは女性化しても元と大差なかったのだが、ここ1年で顔も体もずいぶん変化するようになってしまった。鏡の中の私は、まるでコスプレとでも言うか……特に生地のうすい夏服だと胸のあたりが透けて見え、予想外にいやらしかった。意味もなく、両腕で胸の辺りを隠してしまった。
姉はスマホを私に向けた。
「もう一回、『お姉ちゃん、化粧品貸して』って言ってみ」
「え? なんで?」
姉がスマホを操作した。スマホが綺麗なソプラノで、
「え?なんで?」
と、言った。
「何これ? ボイスチェンジャー?」
「んなことするか」
姉がスマホを操作した。スマホからソプラノとアルトが聞こえてきた。
「何これ? ボイスチェンジャー?」
「んなことするか」
アルトの方は、ついさっき聞いた姉の声そのものであった。
「えー」
自覚としては、女性化しようとしまいと同じ、中性的な声を出しているつもりでいた。
姉が更にスマホを操作した。スマホの中で、私が朗々とカラオケを熱唱していた。ついさっき聞いたのとはまるで質の異なる、音程は高いが明らかに男の声であった。
「判った、判った。判ったからやめて」
「お母さんにバレたらまた大変なことになるでしょ。今度から気を付けな。で、今日は何? また買い物?」
「そうじゃなくて……」
私は姉に事情を説明した。
放課後、柿沼達女子グループが寄り道の相談をしていた。なずなも誘われていたが、先約があるから、と断っていた。先約とは私のことだと思うけど、マックだとたぶん彼女達とかち会う。
私も柿沼に誘われたけど、塾があるからと断った。塾は本当にあったが、今日は休むつもり。
クラスメートがいる店で男女が2人でコソコソ話をしていたら、絶対後でメンドクサいことになる。
そこで、待ち合わせ場所には女子の姿で行く作戦を立てた。たとえ犬の妖怪でも、突然見知らぬ女の子から「はじめまして。犬の妖怪さん」と話しかけられればビビって、会話の主導権はこちらが握れる筈。
ただ、本当は女の子をやりたかっただけなんじゃないの、という内なる声が聞こえなくもない。先日、つい気に入って買ってしまったチュールスカートはなかなか履く機会が無かった。これに白いTシャツを合わせ、姉にネックレスを借りると、私もまんざら捨てたものでは……あ、時間無いや。
髪は、中学校が長髪にうるさく女の子として通用する髪型は選べないためネットでウィッグを購入してあった。
さらに、姉が中学生として不自然じゃない程度の薄い化粧を施してくれると、鏡の中の自分に岩倉蒼の気配は全く残っていなかった。
「かわいい! いいな、あんたは美人で」
姉はノリノリでマスカラを振り回していた。
「あ、あの、あんまり盛らないでね。誰だかバレなきゃいいんだからね」
私は姉のいいおもちゃである模様。