第4話、みんなが幸せでありますように、その9
私達が神楽殿に登場すると、神楽殿前に集まった人々から、割れんばかりの拍手を頂いてしまった。途中、いろいろあったけど、やはり締めに巫女舞はやりましょうという話になったのだ。
ただ、残念ながら巫女装束は焼けてしまったので、服装は八島さんに買って頂いたおそろいの、裾が長めでフレアシルエットの普段着ワンピース。なずながオリーブ色で私が茜色である。
髪飾りもコゲてしまったので、なずなは髪を後ろで束ねただけ、私に至っては単に髪をとかしただけだ。
騒ぎの直後は二人とも髪の毛がチリチリで(なずなに、肌と同じように髪も修復して、と頼んだが、キツい、カンベン、と断られてしまった)悲惨だったが、美幸さんがハサミをいれてくれるとそれなりに見られるようになった。
このカッコでちゃんとした舞台用の化粧をするのも変だし時間も無かったので、化粧はファンデーションと薄い色の口紅だけにした。ちなみにどうでもよい話だが、私はついになずなの下着を借りることになってしまった。なんだろうこの無意味な背徳感……。
大喧嘩が起きているとの通報があった、と、駆けつけてくれた警察官には、ご覧の通り、今ケンカは解決した所だと説明したのだが、調書を作成する必要があるとのことで、10人の男と神社側の代表として若松さんが警察署に連れられて行ってしまった。また、若松さんの補助として佐々木さん(夫)が付き添って行ってくれた。
若松さんと佐々木さんに魔力やら念力やらの話をうまくごまかして説明できるだろうかという若干の不安があったが、あの内藤という男は頭が良さそうなので、そのあたりはなんとかしてくれるだろうと祈りたい。
また、けがをした私の祖父や祖母、井上などは救急車が病院に運んでいった。母も祖父祖母に付き添って救急車に乗ったが、その直前、私を呼び出した。
「おじいちゃんね、あんたの男気に惚れたって」
「何それ? 私、なんかしたっけ?」
「あの女の子を養子にして跡取りにしたいって言うから、おばあちゃんと二人で笑っちゃった」
「???」
「蒼ちゃんがもし女の子になりたいんだったら堂々とそう言いなさい。もう何も問題ないから」
「……あの、お母さん昔……というか、たぶんつい最近まで、私のこと気味悪がってたよね」
もう何も問題ない、と言われてつい反抗心が沸き上がってきてしまった。母と私が本当の親子になるために、避けて通れない問題がまだ残ってんでしょうが、という思いが口をついて出た。
ただ、今はこの話を切り出すべきタイミングでは無かった。母の後ろでは、出発の準備を終えた救急隊員が、母の搭乗を待っていた。
母は急に後ろを向くと、救急車に向かって歩き始めた。
しまった。怒らせた。
そう思い、私はとっさに後ろから母に抱き着いた。
「ごめんなさい、お母さん。大好きです」
母は立ち止まり、鼻をすすった。
「あんまり急に大人にならないで。もう少しだけ、子供でいてよ」
母は涙をハンカチで拭くと、更に鼻をすすった。
「じゃあね、蒼ちゃん。また後で」
母は振り返りそう言った。……のだと思う。半分泣き声で良く判らなかったけど。
さて、横笛の演奏者である若松宮司が警察に連行されてしまったので、伴奏は練習用に採った録音により行うことになった。手の空いた美幸さんが、何故か私用で帰ってしまった(ことになっている)岩倉蒼に代わり、司会を務めてくれることになった。
「みなさ~ん。長らくお待たせしました。今日は、え~いろいろありましたが、最後は当神社のアイドル2人に〆てもらおうとおもいま~す」
正式な神職の衣装を身に着けた人のセリフではない。
が、会場はワーッと盛り上がった。なんとかハイってやつだろうか? 境内全体が不思議な一体感で温かく包まれていた。
「おかあさん!」
なずなが美幸さんをたしなめたが、それすら盛り上がりのネタにされてしまった。
今、ワイヤレスマイクは舞台端の美幸さんと舞台中央のなずなが一本ずつ持っている。
「おかあさん……って、もう少しの間だけ呼ばせて頂いていいですか?」
「当たり前でしょ。あんたは私の娘だもん」
いいなぁ美幸さん。私もあんな軽いノリのお母さんが良かった……って言ったらまた泣かれちゃうかな。
「おかあさん、舞の前にみなさんに挨拶させてもらっていい?」
「もちろん」
会場がみたび、盛り上がった。
「なずなー」
クラスメートグループの方から、女子集団の掛け声があがった。
「えーと。改めまして、若松なすなです」
言いながらなずなは、静まって、というゼスチャーをした。会場が少し静かになった。
「みなさんを騙していてごめんなさい。あたしは人間ではありません。先ほど言いました通り、御岳山山頂の神社で神様をやっている狼です」
なずなが右腕だけを狼の前足に変化させて見せると、会場がどよめいた。
「さっきはカッコ付けて『自分はあまりに何も知らないことを自覚しまして、我儘言ってこちらで勉強させて頂いています』なんて言っちゃいましたが、ホントはそんなカッコいい動機で山を降りてきたのではありません。
自分の施した恩寵が、かえって人を不幸にしている、とある方に指摘されまして、慌てて確認の為、山を降りてきました」
いつの間にか会場は静まり、みなさん熱心になずなの話を聞いてくれていた。
「実際に見て回りますと、本当に自分が不幸を振りまいていたことを知りまして、反省している所です。
本当はもう少しこちらに居て自分なりの答えを見つけたかったのですが、こんな形で正体を明かしてしまいましたので、明日にでも山に帰ろうと思います。
今日まで私を人間として優しく接して下さった方々、ありがとうございました。とくにここにいるおかあさんとあおいちゃん、二人にはあたしは甘えっぱなしでした」
「もう少し居れば?」
美幸さんが言葉を挟んた。
「なっ……だってあたしは狼の化け物なんだけど? 化け物が自分の家を出入りしていて、気持ち悪くないの?」
「化け物って言ってもなずなちゃんでしょ。私はなずなちゃんがすっと私の娘で居てくれたらうれしいけど、なずなちゃんにはなずなちゃんの都合があるものね。でもせめてもう一年、それが無理ならもう数か月でもあなたの母で居させてもらえたらうれしいな」
会場から拍手が沸いた。
「なずなー、まだ文化祭も終わってないよー」
彩ちゃんの声がした。
私も何か声をかけたいと思ったが、やめた。どうせ私の気持ちはなずなにはバレバレだし。
「ありがとうございます。この街を選んで良かったです。では、もう少しお邪魔させてください」
なずながそう言うと、歓声があがり、拍手が一段と強まった。私も思わず拍手をしていた。
やった。なずなともう少し一緒に遊べる。なずなと一緒にどこ行こう?
もしかしたらこの子、まだ海を見たことないんじゃないかな?
江の島に連れてったら、何て言うだろう。
鎌倉の神社群をなずな目線で解説してもらうのも面白そう。
いや、それよりそろそろ山の方が紅葉している。お母さん車出してくれないかな。宮ケ瀬、道志村……
家でだらだらするのもいいかも。正月にはなずなの家に入り浸っちゃおうかな? あ、ダメだ。正月の神社は死ぬほど忙しいんだっけ。
くだらない妄想に入り浸っていると、突然目の前にマイクが現れた。なずなが私にマイクを差し出していた。
「え? 私も何か言うの?」
「あおいちゃんもついでにカミングアウトしちゃおうか。どうせいつかはしなきゃいけないんだし。だったらこんな機会、もうそうそう無いよ」
げ。いっぺんに目が覚めた。
中村がビデオを回しながら、心配そうな顔でこちらを見ているのが目に入った。
「せーの」
あれ? 彩ちゃんの声?
「岩倉くーん」
女子集団の掛け声があがった。
私は陽菜ちゃんを睨んだ。おぬし、バラしたな。
陽菜ちゃんは、私じゃないよ、という風に顔の前で細かく手を振っていた。
「なずなの為に火の中に飛び込むやつなんて、あんたぐらいしか居ないでしょ」
陽菜ちゃんに言われてしまった。
しょうがない。
私はなずなからマイクを受け取った。
中村がうろたえているのをもう一度確認すると、私は話しはじめた。
「えーと。今から一瞬だけお見苦しいものをお見せします。苦手な方はごめんなさい」
そう言うと、私はその場で男性化して見せた。
歓声と……やっぱり悲鳴も交じってたかな。ひらひらのワンピースを着て口紅を塗った少年が突然現れたんだから、やっぱりキモチワルイよね。
「岩倉くん、かわいいー」
彩ちゃん……須藤が声をかけてくれた。
中村は……やっぱりショックだったらしい。コチコチに凍り付いていた。
「えーと。改めまして、先ほどまでこちらで司会をしていました岩倉蒼です」
スピーカーから響く自分の声は、完全に声変わりした男の声だった。
会場が完全に静まり返っていた。
どうもショックを受けたのは中村だけでは無かったようで、氏子の、おもにオジサン達も固まっていた。美幸さんにも後ろを向かれてしまったし、舞の師匠の佐々木さんも困った顔をしていた。
雰囲気に耐えきれず、俺は直ぐに女性化した。
念のため手鏡を取り出し、ちゃんと元の女子に戻っていることを確認した。あ、ちょっと前髪が乱れてるかな。
「さすが、蒼くん。心臓に毛が生えてるよね」
横でなずながつぶやいていた。おまえなー、誰がやらせたんだよ。
「みなさんを騙していてごめんなさい。今お見せしましたように、岩倉蒼という人間は、自由に性別を変えられます。
もしかしたら、自分は化け物なんじゃないか、とか、ずっと悩んでいたのですが、つい先月、ひょんなきっかけである神様と仲良くなりまして、そしたらそいつが言うんですよ『女の子を宿した妊婦が神社に来て、男の子をお授けくださいって無茶を言うもんだから、その胎児にいつでも自由に男の子になれる能力をあげちゃった』って。そんな軽いノリだったの? 私が悩み続けた14年を返せっ! って思いましたよ。どこの神様とは言いませんけど」
頑張って笑いを取りに行ってみたのだが、驚いたことにみなさん真剣に私の話を聞いてくれていた。茶化すのはもう止めようと思った。
「これまでも実は時々こっそり女子をやっていたのですが、なずなと一緒にいると何故か女子でいる時間が増えまして、色々な方が女子の私とお話しをしてくださったり、ついにはこんな舞台に乗るような機会まで頂きまして、皆様には心から感謝しています。
残念ながらお礼を言う機会は無いだろうと思っていたのですが、まさか今日、こんなことになりましたので、思いっきりお礼を言わせて頂きます。
この一か月ほど、私はホントに幸せでした。ありがとうございました」
マイクを離して頭を下げると、盛大な拍手を頂いてしまった。
「おかあさん、マイク貸してー」
なずなが美幸さんに叫んでいた。
美幸さんはマイクのスイッチを切らずになずなにマイクを投げ渡したので、マイクが空中にある間、すごい風切り音がスピーカーから流れた。
「で、あおいちゃん。これからどうするの?」
なずながマイクを使って私に質問した。二人でマイク握って会話なんて、私達は漫才師かっ。
「どう、って?」
いいのかな、こんな普通の会話をわざわざマイクを使ってアナウンスしちゃって。
「あおいちゃんが今後、岩倉蒼……別に他の名前でもいいけど、女子として生きていきたいなら、今ここでそう言っちゃうってどう? ここに居る人達はみんな、きっと協力してくれるよ」
またも、どーっと拍手が沸いた。
あれ? 最近私、涙もろいな。私は涙をぐっとかまんした。
「なずな、ありがとう。でも岩倉蒼はこれからも男子として生きてくことにします」
「え? どうして?」
なずなが本気で驚いているようだったので、逆に私の方が驚いた。あんなにいっつもべったり私の心を覗いていたヤツが、今日は見てなかったのかな? エチケットを覚えた? それとも陽菜ちゃんに叱られた? ……あ、たぶんこっちだな。
「なずなといると時々自分の中で『この女は俺が守る』って声がするワケよ。たぶん将来は、なずなだけじゃなくて他の女性と居るときも同じ声が聞こえてくる場合があるだろうことは自分でなんとなく判る。自分の中であんな声がする以上、男子は止められないかなって」
またも会場が静かになってしまった。
「くっさ~」
なんだかなずなが珍しいうろたえ方をしているように見えた。
「誰が言わせたの?」
「ぶー」
久々になずなの「ぶー」が出た。
誰かが指笛を吹いた。
それをきっかけに、会場がもう一度盛り上がった。
美幸さんがなずなに近寄り、なずなはマイクを美幸さんに返した。
「なずなの母としましては、このなずなの横に居る女の子を一度、徹底的にとっちめなきゃいけないようです」
言いながら美幸さんは私に右手を差し出して来たので、私はその手にマイクを乗せた。美幸さんの目は優しかった。
「さて、ではそろそろ巫女舞を始めましょうか。二人とも準備はいい?」
私達は鈴と榊を手に取り、黙ってうなずいた。
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