第4話、みんなが幸せでありますように、その7
美幸さんが演奏の準備を整えてなずなと私の登殿を待っていると、大勢の悲鳴が、ついで祖父の「おまえら、何やってんだ!!」という怒声が聞こえてきた。
思わず立ち上がると、神楽殿の前に集まった人々の向こうに、拝殿を10人程度のいかつい男達が取り囲み、それぞれが火の着いた木片を拝殿に投げ入れているのが見えた。
美幸さんは悲鳴を上げた。
「美幸、おまえはそこにある消火器を持ってこい」
若松さんは神楽殿用の消火器を指さすと、神楽殿を駆け下りていった。
***
陽菜ちゃんは、拝殿を取り囲んだ男達が火の着いた木片を拝殿に投げ入れているのに気が付くと、神楽殿に向けてビデオカメラをセットしていた中村を、カメラごと引っ張った。
「中村、それよりこっち」
「え? え?」
「あの放火犯達のやってることと、顔をしっかり撮って」
「あ、了解」
***
「おまえら、何やってんだ!!」
祖父は、車椅子の上から男達を怒鳴りつけた。
「誰か、こいつらを抑えてくれんか」
祖父が言うと、傍にいた何人かの観客や出店の店主が男達に飛び掛かった。しかし男達は強く、飛び掛かった者達は直ぐに殴り倒されてしまった。
男達はそれぞれ大きな手提げ袋を腕に吊るしていた。男達はそこから一辺づつ木片――護摩木を取り出すとその護摩木を睨みつけた。するとその護摩木が炎をあげながら燃え出した。
男達はその護摩木が十分に燃えるとそれを拝殿の奥に投げ込んだ。
拝殿の木の床の上で、何個もの護摩木が燃えていた。拝殿本体に火が燃え移るのは時間の問題であった。
消火器を持った神主――若松さん達が駆けつけ、消火液を護摩木に吹き付けた。しかし消火液は護摩木を避けて飛び、どうしても燃え盛る炎に消火液をかけることはできなかった。
「おまえら、何者だ!」
祖父が叫んだ。
「この神社には魔物が住んでいる。いや、お前たちが神だとして崇めているやつそのものが魔物かもしれない。
我々はこの神社ごと、魔物を焼き尽す」
男達の中央に立っていたヤツが答えた。彼らはポロシャツやカットソーなど、なんでもない日常着を着た一般人を装ってはいたが、その太い腕、筋肉の盛り上がった背中は一般人を威圧するものであった。又、10人中8人は髪を剃り上げており、仏教系の僧侶のようであった。
「ふざけるな! 我々の神社にそんなものは住んでいない。早々に立ち去れ!」
対する祖父は、元々背も低く貧相な体格であったものが、足を悪くして車椅子生活に入ることで筋肉が衰え、吹けば飛ぶような貧相な体であった。しかしながら気力だけは男達に負けていなかった。
「そうだ、立ち去れ!」
「そうだそうだ」
「どっかいけ」
男達を取り巻いた群衆から声が上がった。さっきまで神楽殿の前に集まっていた人々の大半は、拝殿前の広場の方に移動してきていた。
男のうちの一人がつかつかと祖父に立ち寄ると胸倉をつかみ、祖父を引き上げ、祖父を思いっきり殴った。祖父はその場で倒れ込んだ。
「何するんですか!」
車椅子の横に立っていた祖母が祖父に駆け寄り、男を睨みつけると男は祖母も殴り倒した。老人も女も容赦なかった。
同時に、群衆のなかからさっき声を上げた者達も男達に殴り倒されていた。ちなみに、殴り倒されたうちの一人は井上だったりする。
暴力を恐れ、群衆が静まり返った。
車椅子を押していた普段気の強い母も、今は黙って祖父と祖母の傍に寄り添っていた。
……と、突然、拝殿に散らばっていた火の着いた護摩木が一斉に浮き上がった。床の一部は既に燃え始めていたが、その火も同時に消えた。
護摩木は燃えたまま、中央の男の足元に集まった。
「内藤さん、ゴミはちゃんと持って帰りなさい。拝殿床の修理費は後ほど別途、あなたのお寺に請求します」
群衆の後ろからなずなが良く通る声で中央の男に言った。
「来たな、魔物め」
内藤と呼ばれた男が言った。
***
「蒼くん、まずいよ。あいつら本気で強いよ。どうしよう」
実はなずなは直前まで、私の千早を掴んでおろおろしていた。もちろん私は男性化していない。二人とも巫女舞用衣装のままである。
どうも本音ではなずなにとって私は、男だろうが女だろうが“蒼くん”であるらしかった。……いまさら、かな。
「やっぱり蒼くんが言った通り『力に対して力で対抗するのは、問題の本質的な解決にならない』ってことかな」
「逃げてもいい、と思う。相手が明らかに自分より強いんならしょうがないじゃない」
「えーっ、蒼くんらしくない。あ、蒼くん女子化している時はものの考え方も違うんだっけ」
「それは良く判らないけど、とにかく私はなずなが傷つく所を見たくないや」
「でも、ここで逃げたら蒼くんあたしのこと軽蔑するでしょ」
「しないしない。っていうか、そもそも尊敬してないから大丈夫」
「はぁ?」
「友達の一人としか思ってないから、尊敬も軽蔑ないって」
「その割に良く『神様のくせに』ってツッコミ入れてなかったっけ?」
「それはなずながツッコミ所だらけだからでしょうが」
「ありがと。なんか元気出てきた。よし、行くぞ」
?
文脈が良く判らない。何がどうしたら最後のセリフが出てくるのだろう。
***
「来たな、魔物め」
内藤が言った。
私達と男達の間の人々がざわざわと動き出し、出エジプト記の海のように群衆が割れた。 ……割れなくていいのに。
なずなが割れた人々の間を男に向かって真っすぐ歩き始めたので、私もその後をついて行こうとしたら、なずなが私を手で止めた。なんかカッコいいんですけど。
「退治してくれる」
内藤が言うと、彼の足元にあった燃えかけの護摩木の山が再び勢いよく燃え上がり、一斉に浮き上がった。なずなはかまわず、つかつかと内藤に歩み寄って行った。
周りを見ると、何人かが電話をかけていた。そのうち何人かは110番か119番に通話しているようであった。
私は、祖父、祖母の傍に座り込んでいる母の元に駆け寄った。
「おかあさん……」
大丈夫? と言おうとして、その言葉の間抜けさに気が付いた。
「蒼ちゃん、二人とも脳震盪を起こしてるから揺すっちゃダメよ」
「119番は?」
「呼んだけど……他にも倒れてる人が居るし、立場上こっちを優先してくれとは言えないから……事情を察して救急車が沢山来てくれるといいんだけど」
振り返ると、火の着いた大量の護摩木がなずなを取り囲んでいた。表面上、平然とした顔をしてるけど、内心むちゃくちゃ動揺しているであろうことは容易に想像がついた。
「人を傷つけ、人が大切にしているものを傷つけておいて、魔物退治じゃないでしょ」
なずなが啖呵を切ると、10人中最も端にいた2人が順番に倒れた。
なずなは護摩木が巫女装束を燃やすのを構わず突っ立っているだけでに見えるが、なずなが倒したことは間違えない。なぜなら、ついさっきなずなに伝えた通りの戦術だったから。
「RPGだと、大人数でヤバい敵が出てきた場合、とにかく先ずその中で一番弱い奴を確実に倒して人数を減らすのがセオリーかな」
「この状況でゲームなの?」
なずなはその時はため息をついていたが、結局他に良い戦術は思いつかなかったらしい。
「やばい、こいつ、強いぞ」
男たちが動揺していた。
内藤が指で合図をすると、残り7人が内藤の周りに密集した。密集するとなにやら防御力が上がるらしく、誰も倒れなくなった。
膠着状態が続き、ただひたすらなずなの巫女装束が燃えて、ボロボロになっていった。男達は火の着いた護摩木を次々になずなの周りに投げ加えた。その度に炎の勢いが増しているように見えた。
私は茫然と状況を見ている美幸さんに駆け寄った。
「消火器、お借りします」
私は美幸さんから若干強引に消火器を奪い取った。
「あおいちゃん、これ、どういうこと?」
美幸さんは事態が呑み込めていないようだった。
「後で説明します」
説明って? ……いや、後で考えよう。
とにかく私はその消火器を、男達の中でも若くて気の短そうなヤツに向けて噴射した。怒って私を殴る為に集団を離れてくれれば、なずながもう一人倒せるだろうと考えたのだ。
しかし、消火器の泡は途中ではじき返された。一種の結界のようなものが男達の周りに張られているようであった。
私が狙った男は私に対してニタリと笑って見せた。その瞬間男の頬に傷が入り、血が流れた。余裕を見せた隙に少しだけ結界に綻びが生じたのだろう。なずなもただ突っ立っているだけに見えて、必死に攻撃をしかけているのだ。
なずなを囲った炎の隙間から、なずなの髪に付けていた冠が落ちるのが見えた。炎が激しくて首から下は良く見えないが、元々身に着けていたものはほとんど燃えてしまっているように見えた。あの優雅にカーブを描いた綺麗な髪も、結いがほどけて燃え始めていた。
……まさか、あの文脈が良く判らない一言って、『死ぬ覚悟はできた』と言っていたのでは?
そう気が付くと矢も楯もたまらず、私は消火器を投げ捨てた。