第4話、みんなが幸せでありますように、その6
私は集会所の引き戸を少し開けてすぐ閉めた。
八島さん、佐々木さんの横に居るのは祖母と母ではないか。
この二人には私が女子をやっていることを話していない。当然ながら二人は、叔父に娘がいないことも知っている。にもかかわらず、八島さん、佐々木さんの前では、孫、姪としてふるまわなければならない。どうしよう……。
なずなに目で助けを求めると、笑顔で頷かれてしまった。
ええい、いっちゃえ。
私は集会所の引き戸を開けた。
「よろしくお願いしまーす」
私はいつものように八島さん、佐々木さんに挨拶した。
***
私達が舞を終え、大輔さん(宮司さん)が横笛を吹き終えると、八島さん、佐々木さんに加え、祖母、母が拍手してくれた。
「あおいちゃん、上手になったね~。がんばったじゃない」
あの八島さんからお褒めの言葉を頂いてしまった。
「これなら大丈夫。本番も自信を持って舞いなさい」
「あおいちゃんは本番に強いタイプだから大丈夫よね」
……なずなのことは誰も心配していない。
「あおいちゃんって春ちゃんの若い頃にそっくりじゃない。私、最初にあおいちゃんに会ったとき、すぐ春ちゃんの孫だって判った」
佐々木さんが祖母に話しかけていた。
「昔の私ってこんな感じだったの?」
祖母が答えた。
「私も思った。顔つきなんかはさすがに今の人なんだけど、人の話を聞くときに小鳥みたいに小首をかしげる動作なんて春ちゃんそのものじゃない」
八島さんが会話に加わった。
「そうかしらねえ」
言い忘れたが、八島さん、佐々木さんと祖母は幼馴染である。
「じゃ、がんぱってね」
八島さん、佐々木さんはそう言い残して集会所を出て行った。
「春ちゃんも一緒にどう?」
佐々木さんが祖母を誘うと、祖母はその誘いを断った。
「ごめんね。私はこの子に話があるから」
げっ。
そのあと、生演奏をしてくれた大輔さん、美幸さんも立ち去り、祖母、母となずなと私の4人が集会所に残された。
さあ、どうしよう。このメンバーで話すことと言えば……。
私が逡巡していると、
「あなた、誰?」
祖母がストレートに切り出してきた。
「私にあなたみたいな孫は居ませんよ」
もう正直に打ち明けるしか、私は返答を思いつかなかった。
ただしその場合、母が受ける精神的ダメージは10年前のあのとき以上のものになるだろう。なぜなら自分には息子がいないことが祖母に判明することで、今まで築き上げてきたいろいろなものを一辺にに失うのだから。
だから……何らかのクッションを用意する必要がある。
「この秋祭りが終わりましたら全て正直にお話しします。今だけ、目をつぶっていて頂けませんでしょうか」
私は祖母に頭を下げた。
「でもあなた、この後ここの神楽殿に立つんでしょ。私の孫の肩書で。
この後私の夫も来ます。私はともかく、私の夫は厳格な人間です。見ず知らずの女の子が自分の孫を名乗って、しかもこの神社の表舞台に立つなんて、絶対に許しませんよ」
来た。
うちの家族……というか血縁は、みんな揃いも揃ってクソマジメなのだ。
お母さんごめんなさい。お母さんにはかなりキツイことになってしまうけど、全部正直に打ち明けちゃいます。
そう心を決め、私が口を開きかけた時、母が言った。
「蒼。あなた、蒼よね」
その瞬間、私の中で何かが壊れた気がした。
「お母さん、ごめんなさい」
そう言うと、涙が一気に噴き出してきてしまった。
これからいろいろと複雑な事情を祖母と母に説明しなきゃいけないのに……。
「蒼ちゃん、おばあちゃんには私から説明するから、泣かなくても大丈夫よ」
母に『蒼ちゃん』と呼ばれたのは何年ぶりだろう。なんでこの人は泣いている娘を更に泣かせにかかるのだろう。
「里美(母の名前です)さん、どういうこと? 蒼ってうちの蒼? あの子は最近声変わりもしたし、この可愛いお嬢さんのどこが蒼なの?」
祖母は混乱していた。……しかし、母はなぜ私だと判ったのだろう。
「あの……ですね、お義母さん。あの……」
母は説明の仕方に困っているようであった。やっぱり私が説明しなきゃ……。
「あの……よろしければ、あたしの方から説明しましょうか?」
なずなが言った。
「……?」
不思議そうな顔で母はなずなを振り替えった。
「あたしは10年前、あなたにバカ神と呼ばれた者です。……覚えていますか? 御嶽山の大口真神です」
今度は母が混乱する番だった。
***
なずなの説明は、長かった。……というか、祖母に事情を理解してもらうのには時間を要した。なにしろ祖母はなずなが自分の左手を狼の前足に変化させて見せただけで、いちいち固まってしまうのだから。……いや、祖母が普通か。
何も無い畳の部屋で向かい合わせに長話をするのも大変なので、私は祖母、母、なずなの間にちゃぶ台を置き、3人分のお茶を淹れた。
「蒼ちゃん、自分の分は?」
「もう私は司会にいかなきゃ。ごめん、本人が抜けちゃって」
母に答えると、私は窓のカーテンを閉じた。
「ここで着替えていいかな」
本当は祖母や母の前で着替えるなど恥ずかして死ぬほどイヤだったが、祖母も、そして母さえも、なずなの話を半信半疑という顔で聞いていたので、証拠を見せる必要があった。
「どうぞ」
祖母が言った。
私は男性服を持ってくると3人に背を向けて立ち、巫女服を脱いだ。次いで下着を脱ぎ、足袋も脱いで一糸まとわぬ状態になると……
……体を男性化した。(さすがに女性の体で男性の下着を身に着けた状態を見られるのはイヤだったので)その瞬間、3人が息を飲んだのが判った。なんでなずなが一緒になって息飲んでるかなぁ。
次いで男性モノの下着を着、シャツを着、ズボンをはくと、脱いだ巫女衣装をきれいに畳みなおし、風呂敷に軽く包んで部屋の隅に置いた。
そして振り返ると、
「じゃ、みなさん。司会、行ってきます」
なるべる言葉が重くならないよう、手を挙げて言った。
……と、祖母に手招きされた。
訳が判らなかったが、祖母の傍に寄ってみると思いっきり抱きしめられた。
「大きくなったね。昔は私より全然小さかったのに」
あたりまえである。祖母に抱きしめられるなど、おそらく赤んぼの時以来である。
「お義母さん、私もいいですか」
次いで、母が俺を抱きしめようとしたのでさすがに止めた。
「母さん、少なくともなずなの前では止めようよ」
「いいじゃない。この人、私には大きな貸があるの」
“貸”かなぁ?
「蒼くん。今だけ目をつぶっててあげる」
なずなが言った。
おまえは目をつぶってても関係ないだろ。
そう心の中でツッコミを入れたが、なずなは無視して俺を突き飛ばし、母の胸に押し込んだ。母は強く俺を抱きしめていたようだが、その力は幼い頃感じたものと比較して、驚くほど弱かった。
「え、ええと、もう時間が無いから……」
とにかく恥ずかしく、俺は早々に母の腕を逃れた。
俺はに集会室を出ようとして、大切なことを一つ聞き忘れていたことに気が付いた。
「母さん、そういえば、何で俺だって判った?」
「何でって……最近、環が絶対に選ばない可愛い服が洗濯物に交じってたから、怪しいとは思ってたのよね。そういえば、この前お父さんと環と3人でこそこそ話してたのも、この話だった?」
……う~ん、ハナからバレバレであった。
***
演目の紹介アナウンスの合間に、オーディオ担当の長谷川さんとキューの確認を行ったり、進行マネジメント担当の田口さんと出演者の都合による演目の入れ替え確認を行なったり、次の出演者に挨拶したりしていると、息をつく暇も無かった。
観客の中にさっきのクラスメートや懐かしい顔が交じっていることは判っていたが、そちらには手を振る余裕も無かった。
「ここで神楽殿の方は15分の休憩を頂きます。次のカラオケご出演予定の方は、午後5時5分前、4:55pmまでに神楽殿裏の出演者控えテントまでお越しください」
そうアナウンスし、俺はマイクのスイッチを切った。ここで俺自身もちょっとだけ休憩をもらおう。少し休んだら、次は田口さんと一緒にカラオケ出演者の出席確認である。
ふー、疲れた。
パイプ椅子に座り込むと、突然、頬に冷たいものが触れた。
「大丈夫? 最後まで体力持ちそう?」
柿沼が水のペットボトルを俺の顔に押し付けていた。疲れのせいか、彼女が近づいてくることに全然気が付かなかった。
「お、柿沼、ありがとう」
俺は柿沼からボトルを受け取ると、一気に半分ほど飲み干しした。
「『陽菜、ありがとう』でもいいよ」
柿沼は俺の耳元でそう言うと、クスクス笑った。久々に柿沼の笑い声を聞いたような気がする。
「ごめん、今、頭が全然回んなくて、洒落た返しができないや」
「洒落た返しなんて、今まであったっけ? ま、いいや、なずなは?」
「俺のばあちゃんと母さん相手に話し込んでる……そろそろ終わったかな?」
「お、蒼くん正念場だね。今日は大変だ」
柿沼の勘の良さはたまにウザい時もあるが、疲れている今日はありがたかった。
俺は柿沼に親指を立てて見せた。
「ところでなずな、私のこと、何か言ってた?」
俺は柿沼ほど勘が良くないのでこの柿沼の質問の意図は正確には判らなかった。が、不意に、ちょっと回答になりそうな記憶を思い出した。
「柿沼のことは直接は特に何も言ってなかったけど、あの後『あたしも普通の人間が良かった』って呟いてたよ」
どうやらちゃんと回答になっていたらしい。柿沼がうれしそうに頷いた。
「蒼くんも、頑張って」
柿沼が可愛くガッツポーズをして見せた。
「なにそれ? さっきの須藤のマネ?」
「えーと、さっき一緒にやりたかったんだけどしそこねちゃったから」
「なんか陽菜には似合わねー」
俺がそう言うと、柿沼は俺の後頭部を軽く叩いた。
「バカモノ。じゃ、ホントに頑張ってね」
そう言うと、柿沼は手を振りながら去っていった。
***
「ありがとうございました」
俺は、福田さんが歌い終わり、観衆が拍手をする中、伴奏が終了するタイミングで拝殿前のカラオケステージに立った。
「福田さんは今年の夏、神社TVアンテナの調整をご奉仕でしてくれたんですよね」
会場からパチパチと拍手が沸いた。
「いえいえ、いつもお世話になってますので。それより君、司会上手いね」
「ありがとうございます」
会場にVサインを向けると、誰かか「あんま、調子乗んなよ」と声をかけてくれた。井上だろうか。
「みなさんも何か電気のことでお困りでしたら、ぜひ福田さんにご相談ください。小学校前電気屋さんの福田さんでしたー。もう一度、拍手をお願いします」
観衆の拍手の中、福田さんがステージを降りていった。
観客が温かいと司会は結構楽しいことを今回俺は学んだ。知り合いに手を振る余裕も出てきた。
ただ、ようやく慣れてきた司会も、これで終了であった。
「次は、この秋祭りでの最後の芸能奉納になります。巫女舞です。この巫女舞は……」
俺が簡単に経緯と意義を説明している間に、神楽殿の奥では若松夫妻が演奏の用意をしていた。
「本日舞を奉納する巫女は、当神社の宮司の長女、若松なずなさんと、そのお友達の岩倉あおいさんです。それではお願いします」
そう言いながら俺はステージを降りた。
実は、ここからが今日一番のアクロバットである。舞台裏では進行担当の田口さん始め関係者みんながが時間になってもまだ来ない“岩倉あおい”という娘を心配そうに待っていた。“岩倉あおい”は私用で一度家の方に戻っていることになっている。
また、設定上、到着のおそい“岩倉あおい”を心配してなすなが迎えに行っていることになっている。
一方俺は、この後友達との用事があり、急いで帰宅することになっている。
「お先に失礼します」
俺は皆さんに声をかけながら舞台裏テントの横を走り抜けた
「お疲れ様。蒼くん、直会に来れたら来いよ」
佐々木さんがそう声をかけてくれた。
「はい。失礼します」
俺は逃げるようにその場を走り去ると集会所の裏に回り、窓から集会所に飛び込んた。飛び込むと同時に着ていた服が全て脱げ、巫女装束が体にまとわりついた。
まるで魔法少女の変身シーンである。違うのは、その変身が自力によるものでなく、目の前に立っているなずなの力によるものであることぐらいかな。
同時に化粧道具が飛んできて、ステージ用の化粧、髪のセットが同時に終わった。思った以上の速度であった。さすが神様。
でも女性化しながらの化粧って、大丈夫なんだろうか?
私は飛んで帰ろうとする化粧道具のうち口紅だけ捕まえると鏡を覗き込んだ。意外とちゃんと“ステージ衣装に着替えたあおい”が出来上がっていた。所々雑な所もあるが、遠目には判らないだろう。
唇の紅だけを鏡を見ながら整えると、心の中で「戦闘準備完了!」とつぶやいた。
「ありがと、なずな」
「よし、行こう」
なずなは自分と私の分の鈴と榊を手に持ち、私の雪駄をそろえて玄関で立って待っていた。私と違い、化粧慣れした美幸さんがちゃんと時間をかけて仕上げたなずなは、元が良いこともあいまって、もう非人間的なレベル……お人形さんのようであった。 ……だからVサインは出さなくていいって。
と、外の方から悲鳴、というか、複数の人々が同時に悲痛な叫び声をあげているのが聞こえてきた。
急いで集会所玄関の引き戸を開けると、
「おまえら、何やってんだ!!」
という祖父の怒声が、拝殿の方向から聞こえてきた。
「うわ~、全然気が付かなかった」
横でなずなが呟いていた。