第4話、みんなが幸せでありますように、その2
その日の夕方は神社のそばの空き部屋が着替えに使えなかったので少々遅刻してしまった。
本番が近いので、最近は学校の後、毎日舞の練習である。
「すみません。遅くなりました」
そう言いながら集会所の玄関を開けると、そこに居たのは八島さんと佐々木さんではなく、父だった。
いつもなら練習用に部屋のテーブルはなずなが片づけてしまっているのだが、今日はテーブルが並べっぱなしになっており、そこで父が、若松さん夫妻、なずなと一緒に書類を広げていた。
「え? おとう……」
いかんいかん。若松さん達は私の正体を知らないんだった。
「ええっ?」
「あ、あおいちゃん。ごめんね、今日は練習中止にさせて」
美幸さんが言うと同時になずなが立ち上がった。
「おかあさん、あおいちゃんにはあたしから説明するよ」
「なずな、もしかして今朝の……」
私が言いかけると、なずなは首を横に振った。
「ううん。まあそうなんだけど、あおいちゃんは関係ないから」
「でもあおいちゃん、なるべく刺激しないでね」
美幸さんに言われてしまった。
「すいませんでしたっ」
若松さんと父が不思議そうにこちらを見た。
***
思った通り(?)、〇〇庁より今日の夕方急に、明日、神社の資格維持審査を行うとの通達があったそうだ。
美幸さんが若松さんに今朝私がしでかしたことを説明すると、一瞬、物凄くイヤそうな顔をされてしまった。これで若松家3人の私の評価が1ランクずつ落ちたことになる。
「ごめんなさい」
私が言うと、、
「おま…きみは、全然悪くない。気にするな」
父が言った。
「お言葉ですが、岩倉さん……」
美幸さんが言った。
「美幸、やめなさい」
若松さんが止めようとしても、美幸さんは止まらなかった。
「岩倉さんは大地主さんだから〇〇庁なんて怖くないかもしれませんが、私達は〇〇庁に認定頂いた階位が全てなんです。
たぶん普通なら権禰宜のまま一生を終えたであろう私達を宮司に取り立ててくださった岩倉さんの恩にはもちろん感謝しています。ですが、今は少しだけ後悔もしています……」
美幸さんが淡々と言った。
「すみません、岩倉さん。美幸、お前は何を言ってるか、判ってるのか」
若松さんは、明らかにうろたえていた。
「私達は別に後ろめたいことはしていません。必要書類だけを正確に用意すれば、維持審査は問題なく通る筈です」
父が言った。
「岩倉さんは、〇〇庁が絶対視している皇室神道をお嫌いですよね」
いつのまにか、なずなが私の横に立っていた。なずなは項垂れる私の手をしっかり握りしめてくれた。美幸さんと父の会話は……怖かった。
「嫌いだと言ったことはありません。ただ、我々氏子が信奉しているこちらの神様は、いわゆる古神道の神様であり、皇室神道とは別物だとご説明しただけです」
若松さんが、なずなと私に『お前たちは席を外せ』とゼスチャーしていた。なずなも私の手を引いて、外に出るよう促していた。しかし、ここは残るべき場面であるような気がした。
「ここの氏子さん達はどなたも絶対に神宮大麻をお納め下さいませんが、このことだけでも発覚したら、審査を通らないのではないですか」
「美幸さん……私達の間で建前を並べても仕方ありませんので、正直な所を申し上げます。
この度は偏屈な神社の管理をお願いしてしまい、申し訳けありません。ご指摘の通り、我々の信仰は〇〇庁の方針とは相いれません。
ただ、若松さんに宮司をお願いした以上、我々としては何があってもそれ以下に待遇を下げることは絶対にしません。
あと、あの子(父は私を指さした)の仕出かしたことの責任は私が全て取ります。
若松大輔さん、美幸さんには、我々を見放さないで頂けますようお願い申し上げます」
そう言うと、父はあぐらを正座に組み替え、両手をついて美幸さんに頭を下げた。
若松さん達はしばらく見つめあっていたが、やがてどちらからともなく頷き合うと、父と同じように両手をついて頭を下げた。
「失礼なことを申し上げてすみませんでした。こちらこそよろしくお願い致します」
美幸さんが言った。
「ありがとうございます。今後とも、何かありましたら今回のように包み隠さずおっしゃって頂けますと助かります。さて、残りを片づけるちゃいましょうか」
「はい」
美幸さんが私を振り返った。
「ごめんね、あおいちゃん。人間ってなかなか大人になれないみたい。ずうずうしいお願いだとは思うけど、今聞いたことは忘れてもらえるかな?」
私はうなずいた。
「なずなちゃんも、もう解放してあげていいですよね?」
父が言った。
「はい。なずなちゃん、先に家の方に戻ってて」
美幸さんが言った。
「うん。じゃあ」
「さようなら」
「さようなら、あおいちゃん。本当に今日はごめんね」
「いえ、全然。じゃ、失礼します」
集会所を出、玄関の扉を閉めると、なずなと私は同時にため息をついた。
「「ふう」」
あまりのタイミングの良さに、二人で笑ってしまった。
「ね、時間余っちゃったし、デートしない?」
なずなが言った。
「デート?」
「あたし、“蒼くんと”ニコタマ行きたいな」
あ、そういうこと。
う~ん、と。
「“私”じゃダメ?」
「だぁめ」
なずながニタリと笑った。
***
翌日の夕方。
さっきまで〇〇庁の維持審査が行われていた集会所では、7:00pmから続けて臨時氏子総会が開かれ、そこで維持審査の指摘事項に対する回答を審議することになっていた。
維持審査の後かたずけと臨時氏子総会の準備の手伝いで、なずなと俺も学校から直接神社に来ており、たまたま(いや、なずなの細工かも)その瞬間は父となずなと俺の3人しか集会所に居なかった。
この神社周辺は普段は静かなのだが、今日は選挙車がちょっとうるさかった。選挙戦初日ということで、どこの陣営も張り切っているようであった。
俺が審査の様子を尋ねると、父は集会所に他に人がいないことにやっと気が付いたようだった。
「審査で示された、この神社を信任するための条件は3っつだ」
父がなずなと俺に説明してくれた。
「我々はここの神様を『石神様』としか呼ばないが、神様に名前が無いのはダメなんだそうだ。〇〇庁の調査によれば、驚いたことににここの神様は富士山と同じ『コノハナサクヤヒメ』なんだそうで、今後はこの名前を明示するように、というのが第一の条件」
俺は目が点になった。なにその変な名前。
たぶんこの条件は氏子のオジサン達も受け付けないだろう。彼らはここの神様を誇りに思っているので。
「ここの氏子は神道について勘違いがあるようだから、保守党与党のS先生に今度の秋祭りの機会に講義をして頂く。神楽のプログラムの間にS先生の講義の時間を設けるように、というのが第二の条件」
父は宗教に政治が絡むことを極端に嫌う。第二の条件は絶対に父が受け付けられないものであった。他の氏子さん達は判らないが、なんとなく嫌がられそうな気がする。
「手水舎にあるピロリ菌に関する記述は氏子に無駄な不安を抱かせるから削除するように、というのが第三の条件」
あちゃあ。あのおっさん、イタすぎる。
「まあ3っつ目はともかく……たぶん、2つの条件は総会でハネられるよね。どうするの?」
俺は聞いてみた。
「維持審査の条件を飲めない以上、この神社は解散か、もしくは〇〇庁傘下からの離脱という結論しかない。
なずなちゃん……とお呼びして良いのか、大口真神様にお尋ねしたいのは……」
「お願いですから、敬語を止めてください。ここに居るのは単なる蒼くんの友達だと思ってもらって『なずな』でお願いします」
「じゃあ、なずなちゃん……俺としては〇〇庁を離脱して、この神社を独立した宗教法人とするつもりだ。この方針は間違っていないだろうか」
「○○庁が最も重要視しているのは第二の条件です」
なずなの言葉に父が息を飲むのが判った。
「そもそもの話の始まりは、こちらの秋祭りが近所で人気であり集客力が高いことを知ったSがNに、秋祭りで演説をさせてほしいと依頼してきたことにあります。
政治的な発言力を高めたい〇〇庁としては、若手で出世が見込める政治家Sの依頼は渡りに船でした。そのため、二つ返事で依頼を引き受けました。まさか地方の小さい神社が自分達に歯向かうなんて、夢にも思っていなかったようです。
だから〇〇庁はこの神社の分離、独立なんて絶対に認めません。表面上はそれにいろいろと理由を付けてくるかと思いますが、本当の理由〇〇庁の権威を守るため、あとNの面子です。特に第二の条件は意地でも飲ませに来るはずです」
「そうか……」
父がため息をついた。
「これに対して第一の条件は第二の条件ほど深刻なものではなく、単に○○庁の神様の概念がこちらの神様と合わなかっただけのものです。
審査官は神様の名前も判らなくて、どうやって祝詞を作文するんだろうって不思議がっていました」
こやつ、授業中ボーッとしてるなぁと思ってたら、こっちを一生懸命聞いてたのか。
「ちなみに『コノハナサクヤヒメ』がどこから出てきたかは判りません。審査官達が考えたものではなく、上層部からの指示のようです」
突然、なずなが俺を振り向いた。
「たぶん……なんだけど、Nがあおいちゃんを見た印象が影響してるんじゃないかなって気がする。あいつ、相当あおいちゃんを気に入ってたから」
俺はあの目を思い出した。ぞっ。
でも『コノハナサクヤヒメ』って、どんな神様なんだろ? 俺……というか、“あおい”を見て連想する神様って……ちんちくりんのガキ神様なのかな?
「いずれにしても、キツいことになるな」
父が呟いた。
「ごめん父さん、念のために聞くんだけど、妥協って選択は無いのかな?」
俺はふと心に浮かんだ疑問を口にした。
「妥協?」
「ええと……元々、確かじいちゃんが寂れてたこの神社に資金を投入して復興させたのは、信仰の為じゃなくて、地域のコミュニティ強化の為、近所の人が集まれる場所が必要だと考えたからだって言ってたよね」
「そうだ」
「だとしたら祭る神様は、石神様でもコノハナサクヤヒメでも良いんじゃないか、とか」
「……」
父がなずなの手前、怒りをこらえているのが判った。
「無理に○○庁を跳ねのけようとすると、圧力が掛かってきて肝心なコミュニティが壊れる恐れがあるから、一度だけなら政治家の演説も受け付けよう、とか
とにかく圧力は柔軟にかわして、本当に必要な所だけ守るんじゃダメかな?」
「お前の言うことも一理はある」
父は怒りを堪えて冷静さを保とうとしているようだった。やばい、これ以上押すのはやめておこう。
「ただ……今回の条件1と2は、妥協できない『本当に必要な所』だと俺は思っている。第一の条件はこの神社の在り方を根底から否定するものだし、第二の条件はこの神社が政治的に中立でないことを宣言するものだ。
言い方を変えると、あの条件を飲んだ瞬間、この神社は我々のものではなく○○庁のものになってしまう。
でも確かに総会でもお前と同じ意見は出そうだな。そっちの方の意見が強いようなら、考え直しも必要かもしれん」
父は突然一万円札を財布から取り出すと、なずなに差し出した。
「これは、ここぞという祈りを神社に捧げるときに俺が賽銭箱に入れる金額だ。今回はとにかく氏子の内部分裂だけは避けたい。大口真神様はその力のある神様だと俺は信じている。
なずなちゃん、受け取ってもらえるかな」
「嫌です。何でお父さんはすぐそうなるんですか。あたしはこの神社の娘です。そんなもの頂かなくても当然この神社を守ります」
なずなが少し怒って言った。
俺も、なんだこのバカオヤジ、と思った。どこの大人が、他人の娘に突然一万円もの現金を渡すだろうか。いかがわしい目的があるようにしか見えない。
「いや、そんな……悪かった」
父は気まずそうに財布に金をしまった。なずなはその手元をじっと目で追っていた。そういえば立場上、お小遣いはあんまり貰ってないって言ってたっけ。
俺はふと、間違っているのは俺たちの方なのではないか、という気がした。
「貰っとけば。お賽銭じゃなくて、半年遅れのお年玉だと思って」
なんとなく、そんな言葉が口をついて出た。
「貰っちゃっていいかな? 昨日も蒼くんにさんざん奢らせちゃったけど」
まあ……ニコタマなので。
「では、今日の相談料ということで」
父が再度、一万円札をなずなに差し出した。
「ありがとうございます」
なずなが気まずそうな笑顔を見せた。
うん、その笑顔もかわいいよ。……何言ってんだ、俺?
「ところで……」
雰囲気が少し良くなってきたので、さっき引っ込めた質問を、やっぱりしてみることにした。
「今更なんだけど、父さんのいう古神道と皇室神道って、どう違うの?」
急に悲しげな顔にならないで欲しい。だから、あんたの息子(娘?)はバカなんだってば。
父はしばらく悩んだ後、とつとつと話し始めた。
「古神道、というのは……
この神社の成立年代は不明だが、この辺りには縄文時代あたりから人が住み着いていたことが判っている。たぶん……だが、その頃には既にこの神社原型のようなものは発生していた筈だ。
当時の人達は、人間の力が遥かに及ばない“力”を持つ“意思”の存在を素朴に信じていた。“意思”はいつしか擬人化して理解され“神”と呼ばれるようになった。
これは日本だけの現象ではなく世界中で見られた現象だから、“神”を創造してしまうのは、おそらく人間の本質的な仕様なんだろう。
世界で人々はいろいろなものに“神”の存在を見出した。それは太陽だったり炎だったりした訳だが、ここ日本では自然物の中に目立つものがあると、そこに“神”を見出すことが多かった。
有名なところでは、富士山とか、那智の滝とかかな。富士山の威圧的な重量感とか、那智の滝の荘厳な美とか、それぞれ現代の我々が見ても“力”を持つ“意思”の存在は感じてしまう。
これらの“意思”に一生懸命お願いすれば、あるいは特定の人がお願いすれば、“力”を自分たちに多少は有利に発現してもらえるのではないか……と、古代の人々は考えた。
この古代人の信仰を素朴に未だに素朴に信じているのが古神道だ。いや、正確には世界中でこの形の原始宗教は残っているが、日本では古神道と呼ばれている、というのが正しいのかな。
ちなみにこの神社では本殿に大きな石が祭られている……らしい。この辺りの人々は昔から……たぶん縄文時代からその石に“神”を感じ、信じてきた訳だ」
「祭られている……らしい?」
「本殿の中は宮司しか見てはいけない決まりになっている」
「ふうん」
「ちなみに、本人が居る前で話すのも妙な気分だが、狼を神と考える信仰は、人間が農耕を始めてから出てきたものらしい。初期の農耕は、農作物をを食い荒らす鹿や猪との闘いだったので、そいつらを退治してくれる狼は、古代人には神に見えたんだろう」
俺はちらっとなずなを見たが『何でこっちを見るの?』というような不思議そうな顔をされてしまったので、すぐに視線を父に戻した。
「で、皇室神道の方だが……本当におまえ、知らないのか? 因幡の白兎の話とか、天の岩戸の話とか、聞いたことないか?」
「それは知ってる。日本の昔話だよね」
「う~ん。古事記とか日本書紀を読んだことは?」
そんな悲しい顔をしなくても……知らないものは仕方ない。
「名前だけは聞いたことがある。ような…」
「困ったな。
ともかくさっきの話の続きで言うと、“力”を持つ“意思”の存在を“神”と呼んだ人間は、次の段階として、“神”についてもっと知りたいと思った。これに対していろいろな人々が、ああなんじゃないか、こうなんじゃないか、と、“神”について想像を膨らました結果、“神”についての物語が蓄積され、さらにつまらない話は自然淘汰されて洗練されていった。いわゆる“神話”だな。北欧神話とか、ギリシャ神話とか。
すると、改めてこの神話を歴史上の史実と信じようという信仰が発生した。ユダヤ教なんかがこの形の宗教の代表かと思うが、皇室神道もこちらの形の信仰だ。ただ、皇室神道は若干作為的というか……ユダヤ教も“一神教”とか“契約”とか、かなり作為的な概念が入っていて、元々は時の権力者の道具だったんじゃないかと思われるのだが……。
ともかく、皇室神道では、古事記、日本書紀、古語拾遺、新選姓氏録なんかの神話を史実と考える。とくに重要視されるのが、古事記と日本書紀の2冊だ。ちなみにさっき例に挙げた、因幡の白兎、天の岩戸、なんかもこの2冊に載っている神話だ。
ところが……だぶん社会の授業で習った筈なんだけどな……この2冊は時の権力者、天武天皇の指示により、当時おそらく口伝によりあちらこちらに伝わっていた神話を文書にまとめたものだ。
独裁者の指示により書かれた文書は、当然、独裁者の為の文書なので……こんなこと父さんが言ってたなんて外で絶対言うなよ……それなりに偏った内容になっている。
例えば……スサノオという神様は当時でもすでに結構広く日本中……といっても関西中国地方を中心に、東は関東ぐらいまでだが……に広く知れ渡っていた、メジャーな神様だったようなのだが、古事記、日本書紀では新たにアマテラスという神を創造し、そのスサノオの上の神様であるとした。そして天皇はこのアマテラスの子孫だという物語になっている……」
「父さんの嫌いそうな話だね」
「そんな簡単に判ったつもりになるな。下手にしゃべったのは失敗だったな。とにかく古事記、日本書紀は一通り読め。時々おまえの非常識には驚かされるぞ。この前も……」
しまった。父の説教スイッチが入ってしまった。
神妙に父の話を聞いているふりをしていると、俺のすぐ横、集会所入口の靴箱から桃色のスニーカーが浮き上がり、ふわふわ~と部屋を横切り、部屋の反対側にいるなずなの手に収まった。
父は一生懸命俺に熱く語っており、自分の背後でそんなことが起きていることに気が付いていない。
なずなはその場で靴を履くと窓を開け、そこからひょいっと外に躍り出た。
ちょっと待て、なに手を振ってんだよ。俺を置いていかないでくれ。神様~、助けて~。