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楠葉は、焦る気持ちを抑えながら、病院の一室へ向かっていた。
今から、5時間前。
契約魔導士の候補生を含む、補給部隊から救援信号が出ていた場所から、直径約1キロの範囲が、一瞬にして凍結した。
上層部は、すぐにその場で、契約魔導士が誕生した可能性を踏まえ、救援に向かった結果、その予想が違えなかったことに、絶望した。
『お前が、やったのか?』
その場で生きていたのは、加賀谷ひとりだった。
ただひとり、自分と同じサイズの氷の前で座っていたという。
『お前、また悠里の訓練に付き合ってるのか?』
『ゲェ……楠葉、またお小言言いに来たの?』
『仕方ねェだろ。お前らの監督も任務なんだよ。あと、先輩には”さん”をつけて、敬語で話せ。大体、なんでそこまで、悠里にこだわる?』
教官以外にも、先輩である楠葉が訓練を見ることは多く、里沙と話すことは多かった。
結果的に、里沙とよく一緒にいる悠里とも、少しは話したことがある。
引っ込み思案で、里沙の後ろにずっといるような印象以上のことはない。
訓練の成績からも、その内、候補生から外されると思うような奴だった。
『悠里は、私と違って、契約魔導士になれるタイプだもん』
『ハァ? あいつがぁ?』
『楠葉、見る目ないねぇ。ま、別に、楠葉がちゃんと契約魔導士になってくれれば、問題ないんだけどさぁ』
『お前、今度の訓練、覚悟しとけよ?』
それから、何回、加賀谷の訓練を監督したって、里沙の言葉は理解できなかった。
最終的に、及第点程度の成績にはなるが、決していい成績を残すわけではないし、戦略という戦略も、戦術も理解していない。
だが、実際、契約魔導士になったのは、加賀谷ひとりだった。
里沙は、加賀谷の隣にあった氷の中で、黒く燻っていたという。
全身は焼け、少なくとも生きてはいないとされているが、その砕けも溶けもしない氷の中にいる。
「…………」
あの場所で何があったのかは、すでに加賀谷から聴取が行われ、楠葉にも伝えられた。
精神的な配慮から、教官ではなく、楠葉が呼ばれ、数日間は、加賀谷の傍にいるように命じられている。
『加賀谷はまだ幼い。もし、暴走するようなことがあれば、殺すんだ』
契約魔導士の暴走は、味方にも大きな被害をもたらす。
神降ろしの際の被害については、状況的に仕方なかったと黙認する方向だが、もし、この場において暴走するようなら、止めるには、加賀谷を殺す他ない。
「入るぞ」
ハンドガンの位置を確認してから、楠葉はいつもと変わらない声色で、部屋の中に入った。
そこには、怪我をしたのか、至る所に包帯が巻かれている加賀谷の姿。
幼い時から訓練をしているとはいえ、本当に、命の危機に瀕した人は、少なからず動揺しているものだ。
まして、親友とも呼べる仲間が死んだのなら、なおの事。
「楠葉さん?」
だが、加賀谷の目は、表情は、ひどく落ち着いていた。
「……話は聞いた。大変だったな」
「はい」
瞳は揺れない。
「里沙のことも聞いた」
「……」
返事はなかった。
だが、瞳は揺れなかった。
「大丈夫か?」
不気味だった。
これほどまでに、感情がない奴じゃなかったはずだ。
訓練で失敗すれば慌てるし、里沙の冗談に笑っていた。
だけど、そんな気配はなく、瞳だけがじっと楠葉の事を捉えていた。
まるで、加賀谷とは別の何かが、こちらを見据えているように。
「――――」
気が付けば、指先がハンドガンに触れていた。
撃つべきか。
だが、神降ろしに成功した、貴重な戦力だ。
こんな不確定要素で撃っていいものか。
思考が何度も巡るが、答えは出ない。
「悠里、だよな……?」
絞り出せた質問は、それだけだった。
その言葉に、加賀谷はゆっくりと瞬きをすると、楠葉を見上げると、不思議そうに頷いた。
「悲しくはないか?」
泣くこともせず、淡々と聴取にも応じた加賀谷は、ようやく少しだけ目を細めた。
「おかしい、ですよね」
ぽつりと溢した言葉。
「悲しかったはずなのに、苦しかったはずなのに」
時間すらも止まったように感じる静寂の中で目を覚まして、氷の中にいる里沙が黒く焼かれていくのを、ただ見ていた。
「里沙を見ても、なにも感じなかったんです」
ただ、見ることしかできなかった。




