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廃ビルに逃げ込んでから、一日程度が経っただろうか。
救援は、まだ来ない。
それだけ、戦況が悪いのだ。
房総半島から始まった、デドリィの本土侵攻は、東京湾を渡ると予想されており、魔導士が不足する中、対応する重要な案件が多すぎた。
それ故に、救援は後回しにされていた。
「本当に、救援なんて来るのか?」
不安に思う声は、時間を追うごとに増えて行った。
「物資にある内に、自力で戻るべきじゃないか?」
「利根川を越えたところに、バリケードが張られているはずだ。そこまで行ければ……」
「モホロビ級はいないんだろ? それなら……」
「でも数が」
大人たちが作戦を考える中、加賀谷と里沙は、観測術式でデドリィの位置を把握しては、報告していた。
「やはり、突破は難しいな……それどころか、この様子では、本格的に東京や神奈川、茨城にまで侵攻しかねないぞ」
「つまり、この先もデドリィの数は、減ることなく増え続けると」
「では、やはり自力でデドリィたちの群れを突破するべきでは? この先、よりデドリィの数が増えれば、突破もできなくなります」
「そうだ……デドリィは、大きな魔力に反応するんだろ? ここに、うってつけの囮がいるじゃないか」
その提案に、里沙は少しだけ目を細めて、大人たちの中にも、慌てて止めようとする声がしたが、こちらを見ながら提案した男が、引きつったような声を上げ続けた。
「お前たち、契約魔導士の候補生っていうなら、俺たち国民のために命を張ってくれよ……! 頼むから!」
たぶん、叫びたい気持ちを抑え込んでいる。
なんとなく、理解できてしまった男の気持ちに、里沙へ目をやるが、里沙は睨むように男を見つめるだけ。
「不可だ。たとえ、ふたりの同意が取れたとして、その作戦で、突破できる保証がない」
静かに否定したのは、小隊長だった。
「お前は、未来ある子供に、自分のために死ねと命じるのか」
「そりゃそうでしょう!! ふたりと部隊の命、どっちが大事なんですか!!」
当たり散らすように叫ぶ男は、結局、冷静になることはなく、会議は解散となった。
「ねぇ、里沙。さっきの話なんだけど」
「この数のデドリィを、あの人たちは突破できない。私たちが囮になっても、全滅。まぁ、運が良ければ、ひとりかふたりは、抜けられるってところかな」
里沙みたいに頭が良くないから、不気味に赤く光って脈打つデドリィたちに、どんな作戦がいいか、悪いかなんてわからない。
だけど、小隊長と同じことを告げ、暗い表情をしている里沙に、加賀谷はその手を掴む。
「悠里?」
「えっと……うん……うん……」
手を掴まないといけない気がした。
なにを言えばいいかは、わからなかったけど。
でも、里沙は嬉しそうに微笑むと、その手を握り返してくれた。
「ありがとう。ねぇ、悠里。今日は、一緒に寝よう」
「? うん」
ここに来てからは、毛布も限りがあるから、里沙と一緒に使っていたはずだ。
里沙の言葉の意味は理解できなかったけど、頷けば、里沙は少しだけ、寂し気に眉を下げた。
――その夜、聞き覚えのある乾いた破裂音が響いた。
加賀谷だけじゃない。周囲にいた隊員たちも、驚いた様子で、銃を構え、その銃声の主を探していた。
だが、里沙だけが、神妙な面持ちで、加賀谷の手を掴み、もう一方の手にはハンドガンを握りしめ、階段の方を見つめていた。
「この場にいる全員、意見を聞かせてほしい!!」
階段から下りてきたハンドガンを握りしめた男は、階段の上から、全員に語りかけた。
「明日の朝、そこにいる候補生を囮に、その他の者でデドリィの群れを突破する! これに反対するものはいるか?」
昼の会議で、小隊長が却下した作戦だ。
それを、もう一度、この場で口にしたところで、また否定されるだけだ。
だが、先程の銃声に、全員がそっと視線を巡らせ、存在しないひとりに、ゆっくりとその男に視線を戻した。
「これが、今、一番生き残る可能性が高い作戦だ! もし、他に良い作戦があるというなら、教えてほしい!」
最早、脅しだ。
加賀谷がそっと里沙の表情を伺えば、見たこともない表情で、男の事を睨んでいた。
だが、加賀谷たちが拒否したところで、訓練を受けた大人たちに逆らえるはずがない。
なにより、例え逆らえたところで、ふたりでデドリィの群れを突破できるはずがない。
「――あ、あの!!」
ひとりが手を上げた。
「ここで、”神降ろし”を行うのは、どうですか?」
「”神降ろし”……?」
「精霊との契約するための魔術です」
成功率は低いが、ここにいるのは、契約魔導士の候補生である里沙と加賀谷だ。
一般的な魔導士に比べれば、幼いとはいえ、可能性はある。
「もし、契約できれば、より確実に助かる可能性があります」
里沙と加賀谷を囮にする作戦も、少なからず、犠牲者は出る。
しかし、もしこの場で、圧倒的な力を持つ精霊と契約ができたなら、状況は一気に好転する。
「……その魔術は、お前たちは使えるのか?」
問いかける男に、里沙も加賀谷も、首を横に振った。
存在そのものは聞いているが、その準備は、全て大人たちが行うし、そもそも機密事項だ。
ふたりが知る由もない。
「も、もしかしたら、これかも……」
だが、またひとり、震える声を上げた。
「祖父の書斎で、覚えておいて損はないって……神様が助けてくれる、おまじないだって……」
お守りの袋を開けると、そこには古びた紙が入っており、そこには魔方陣が書かれていた。
「…………元々、”神降ろし”なんて予定になかったんだ。やるだけやってみよう」
もはや、断れる雰囲気ではなかった。
いや、そもそも加賀谷たちに選択肢はなかった。
ここで、囮となって死ぬか、神降ろしを行うか。
神降ろしの成功率の低さなど、彼らにとっては、どうでもいいのだろう。
自分たちが生き残れるかどうか。可能性が高いのは、どちらか。それだけだ。
「――神降ろしをするなら、私からにしてください」
準備を進める彼らに、里沙が声をかければ、少しだけ訝し気に里沙を見下ろす男。
「私は、加賀谷候補生より成績は上です。契約できる可能性は、高いはずです」
「時間がない状況で、ひとりひとりやるわけがないだろう」
「ですが、もし、ふたりとも成功してしまった場合、国際法の問題が出てきます。いくら、危機的状況とはいえ、さすがに隠蔽しきれません」
「……いいだろう」
納得した男に、里沙はまだ納得していない様子だったが、加賀谷の方に振り返ると、抱き着いた。
「里沙……」
「大丈夫。絶対に戻ってくるから、悠里はここにいて」
「でも」
「絶対だよ」
耳元で囁かれる言葉に、何も返せず、里沙は加賀谷から離れると、渡された魔方陣を受け取り、床に寝転がった。
しばらくすると、里沙を中心に部屋の空気が変わった。
神降ろしの魔術が発動したのだ。
「え……」
その魔術の発動を感じた直後、加賀谷も背中から押さえつけられた。
手に握らされた紙の感触に、魔方陣を書いた紙を押し付けられたのは理解できた。
「なんで、順番じゃ――」
「時間がないって言ってるだろ! 国際法なんて、知ったことか! 状況をわかれ!! 今! 助からないなら、意味ないんだよ!!」
早くしろと、背中から加え続けられる痛みに、加賀谷は、隣で眠る里沙に目をやり、強く目を閉じると、その手に握った紙に魔力を込めた。




