28
最初に、それに気が付いたのは、久保だった。
荒れ狂う炎の渦の中にいるガリーナを、じっと見つめている加賀谷の腕を掴んだ。
「隊長! 下がりましょう!」
もう何度も見てきた。
このまま放置すれば、加賀谷はひとり、ガリーナの元に向かってしまう。
だが、加賀谷は視線だけを、掴まれた自分の腕の方へ向ける。
「手、離してください」
いつもの加賀谷とは違う、ひどく冷めて、淡々とした言葉だった。
「離しません。アレに飛び込むつもりなら、なおさらです」
手袋越しにも伝わる冷気。
それでも、久保は手を離さなかった。
「いくら隊長でも、あの暴走状態のガリーナ魔導士に近づいたら、ただじゃ済まない! それはわかるでしょう!?」
下手をすれば、炎と氷の契約魔導士のふたりを同時に失うことになる。
それは、絶対に避けなければいけない。
「契約魔導士は、人類がデドリィに勝つために必要な存在です! それを勝手に暴走した奴のために、危険に晒すなんて――」
「離せ」
たった三文字だというのに、指先に突き刺さるような冷気と視線に、久保は息を飲む。
「命令、すればいいですか?」
「――ッ従えません」
絞り出す返答に、加賀谷から返ってきた言葉はなかった。
ただ、久保を見ていた視線は、ガリーナの方へ戻り、加賀谷を掴む手に伝わる指先が、痺れ始める。
「隊長ッッ!!」
例え、この場で自分が氷漬けにされようとも、止めなければならない。
彼女がやろうとしていることは、人類の大きな損失になりかねない。
久保が、辛うじて残る指先を強く握り込もうとした時だ。
――パンッ
一発の銃声が響いた。
「…………」
銃声は、楠葉が空に向けて撃ったものだった。
理解のできないその行動に、久保が動揺したほんの一瞬に、加賀谷の腕は、久保の手から離れて行ってしまった。
「隊長ッ!! クソッッ中尉! 自分が何をやってるか理解しているのか!?」
加賀谷の全速力に追いつけるはずもなく、久保は吊り上がった目を楠葉へやる。
契約魔導士の重要性を、次期契約魔導士候補である楠葉が理解していないわけがない。
こんな愚策を、許せるはずがない。
「もし、隊長まで巻き込まれて死んだら――!!」
「その時は、自分が神降ろしをして、契約魔導士になりますよ」
普段ならただの軽口だと笑うところだが、楠葉のその目はあまりに静かで、覚悟も何もかもを宿していた。
悔しいくらいに、久保はそれと同じ目を見たことがあった。
*****
頬に吹き付ける熱を、なんとなく覚えていた。
『神降ろしをするなら、私からにしてください』
『大丈夫。絶対に戻ってくるから、悠里はここにいて。絶対だよ』
本当は、途中から気付いてたのに、氷の中で黒く焼け続ける姿を見るまで、信じたくなかった。
「――高度を上げろ!!」
また、また炎に奪われる。
目の前で、また、焼かれて、奪われる。
誰かのためだからって、泣くのを堪えてる人が、また、奪われる。
ダメだ。そんなの。
許せない。
「助けるから!!」
今度は絶対に。
「だから! 上がれ!」
高度が上がれば、気温が下がる。
そうすれば、相反する炎と氷の性質でも、氷の方に有利に傾く。
それで、炎の精霊が抑え込めるかはわからない。
だけど、知ったことか。
今度こそ、あの炎から伸ばされた手を掴むんだ。
*****
全身の皮膚が引きつるような熱。
鼻の奥につく、嫌な臭い。
「はっ、はっ……はっ……」
苦しい、辛い、走り続けているから?
それとも、燃えているから?
わからない。
でも、あの時とは違う。
あの時は、確かにこの炎に立ち向かえていたのに、向かっていけていたはずなのに。
今は、怖い。
髪が、背中が焼け焦げるのを感じる。
「ぅ゛……っ、ハッ……」
でも、足を止めたら、飲まれる。
――なんで、私、逃げてるんだろ。
どうせ、助かるはずがないのに。
せめて、デドリィの一体でも多く倒して死ぬべきなのに。
なんで私、こんなの必死に走ってるんだろう。
「ダメ」
誰かの叱責する声が聞こえた。
「走り続けて」
誰?
知らない声。
つい、背後に目をやってしまえば、赤い炎が、私を飲み込んだ。
「――――」
これは、死んだかな。
どこか他人事のようにも感じる中、背中に触れた何かが、私の事を炎の中から押し出した。
「手を伸ばして」
崩れたバランスを整えようと、前に手を突き出せば、指先に感じる冷気。
「大丈夫。必ず来てくれるから」
もう少しと、無理矢理に手を伸ばせば、確かに手を掴んだ冷気。
――だって、私の親友だもん。
全身が冷気に包まれる中、視界の隅に消えていく炎の中の揺れる影が、笑った気がした。




