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現代において、海でブイを見たら、すぐに逃げろと教わる。
それは、海面でこちらの様子を伺うデドリィのことがあるからだ。
実際に、そういった事例は多く、今でも、毎年二桁の事例が報告されている。
「ん? おい、あれ……」
護衛艦に乗っていた一人が、海上に漂う黒いそれを見つけた。
すぐに近くの仲間へ声をかければ、それを聞いた者もすぐに双眼鏡で、ブイのようなそれを確認する。
「――デドリィ!! 7時の方向、距離500!」
直後、海上に警告音が鳴り響いた。
砲撃音が鳴り響き、海面が不自然に大きく波打つ様子を眼下に捕らえながら、ガリーナたちは遠くに見え始めた小さな海上の塊へ目を凝らす。
「ありゃ、もうダメだな」
護衛艦と呼ぶには、海上に浮いている船体が太く、やや小さい。
既に、デドリィが船底に取り付き、船を侵食している。
その状態では、船底近くの乗員は、既にデドリィの発する熱で、蒸し焼かれている上、状況によっては、船底からデドリィの侵入している可能性も高い。その上、浸水していれば、沈没は免れない。
絶望的な状況と言えるだろう。
船を捨て、海に逃げるにも、船周辺は既にデドリィが巣食っていて、小型のボートなどすぐに沈められる。
生身で飛び込み、煮えたぎる海水に堪えながら、自らの命を天に任せるのが、最も生存の可能性が高いというのは、なんとも惨めである。
「――本当、バカにしてる」
ガリーナは吐き捨てるように、そう言い放つと、既にデドリィたちの足場と化し始めている護衛艦を見下ろす。
「お前たちは、周囲のデドリィを倒していなさい」
「了解」
部下たちが、護衛艦の周囲にいるデドリィたちを討伐に向かうのを確認すると、ガリーナは護衛艦を見下ろす。
甲板は傾き、既に動かない黒い塊ばかりが張り付いている。
そんな黒い塊の中を蠢く、少し光を反射するように白色が見える黒い塊。
甲板を這っては、船首に向かって手を伸ばしている。
「…………」
ガリーナはその様子を、じっと見下ろしていた。
そして、ひとつ瞬くと、その白銀の髪が、燃え盛る炎のように赤く輝き出す。
「全ては、デドリィを倒すためよ。呪うなら、自分の弱さを呪いなさい」
全ては命令だ。
この任務を失敗するようなことがあれば、世界が、人々が危険に晒される。
だから、確実に、迅速に、任務を完遂する。
巨大な魔方陣が空に現れると、炎が渦巻き、護衛艦を海面に固定していた新たな大地ごと焼き尽くした。
「――ッあいつら、船ごと焼きやがったッ……!!」
海の上に突然現れた、巨大な炎の塊に、我妻が叫ぶ。
護衛艦からの救援信号に、どの部隊が応じているかは、まだ把握できていない。
だが、護衛艦の爆発でもなく、あれほどの巨大な炎が突然現れるのは、魔法以外にありえない。
そして、その魔法の使用者も、炎の契約魔導士以外にありえなかった。
「……いっそのこと、引き返したいな」
無線は繋げず、久保が苦笑いでぼやいた。
帰還途中に受けた救援信号に、すぐさま出撃したが、あの炎を見る限り、既に戦闘は終わっている。
本部にも連絡をしてしまった手間、少なくとも現場で、デドリィの反応がないことを確認しない限り、引き返すわけにもいかない。
とはいえ、その現場にいるのが、ガリーナを含めたロシアの契約魔導士の部隊ともなれば、頭も痛くなる。
そっと、隊長である加賀谷へ目をやるが、その横顔からは、どのようなことを考えているかは理解できなかった。
「今更、到着? 相変わらず、のろまね」
久保の予想通り、加賀谷たちがやってくると同時に、ガリーナから冷ややかな言葉と、視線が送られた。
「デドリィは、もう殲滅済み。そんなにのろまじゃ、被害が広がるだけじゃない」
「そうですか」
部隊全体で嘲るような雰囲気に、久保は内心苛立つ。
だが、加賀谷は気にした様子もなく、ガリーナたちの部隊を見渡す。
「救助者は?」
「いないけど」
明らかに、眉をひそめるガリーナに、加賀谷は海へ沈んでいく、炎の塊へ目を向けた。
「なに? デドリィの拠点になった船は、船ごと破壊する。当たり前の事でしょ」
それは、世界的にも当たり前の戦略だ。
生きている人間を探しに船内に入り、結果的に、デドリィの被害を増やすくらいなら、船ごと破壊する。
だからこそ、もし船内でデドリィの襲撃を受けた時は、とにかく甲板を目指せと教わる。
甲板であれば、救助される可能性があるからだ。
「…………」
救援信号の受信から、数十分。
ガリーナたちより遅くなったが、迅速な到着であったはずだ。
だが、救助された人は、誰もいなかった。
「本当に、アンタ、契約魔導士なわけ? そんな甘ったるい考えで、弾避けどころか、凶弾になろうってわけ?」
加賀谷を睨み、吐き捨てるガリーナに、オニが小さく窘めるように呼びかければ、ガリーナは舌打ち混じりに顔を逸らす。
「あぁ……そっか! 日本は、資源がないものね! デドリィのおさがりでもほしかったわけね!」
やたらと明るい声と笑顔で問いかけるガリーナに、オニも動揺したように、ガリーナにハッキリ呼びかければ、坪田や久保もまた、ゴーグルの下で小さく目を細めた。
これだけバカにされては、さすがに黙っているわけにはいかない。
だが、感情的に声を荒げるわけにも、隊長である加賀谷を差し置いて、口を挟むわけにもいかない。
しかし、特に何の感情も抱いていないような加賀谷の表情は、何か言い返すようなこともしなさそうだ。
後々、加賀谷を含め、自分が何を言われようとも、こればかりは口にするしかないと、坪田が口を開こうとした時だ。
「――海に飛び込んだ人も、いませんでしたか?」
加賀谷が静かに問いかけた言葉に、坪田も開きかけた口を閉じ、加賀谷に訝し気に視線を向ける。
既に、自分たち以外に、周囲に生命反応がないことは、探索術式で把握している。
それでも、静かに、ガリーナへ問いかける加賀谷に、ガリーナも目を細め、苛立った様子で返す。
「あの状態から助かる人がいるとでも? それより、早急に倒して、被害を最小限に抑えるのが、私たちの任務でしょ」
すでに死ぬと覚悟した命が、本当に死んだだけ。
それで、デドリィの大規模な侵攻を防げたなら、死んだ隊員たちも浮かばれる。
「……そうですか。なら、これが最小限の被害だったんでしょうね」
淡々と述べる言葉に、ガリーナは、息をつめて、顔を赤くした。
「――隊長! 作戦は終了しています! 帰還しましょう!」
だが、次の言葉を口にするよりも早く、叫ぶように遮ったオニの言葉に、勢いよく振り返ると、舌打ちと共に頷いた。
海に沈んだ炎の塊が、最後の波を立てた頃、加賀谷も帰還しようと振り返れば、久保が口を抑えていた。
久保だけではない。坪田も微かに顔を逸らしている。
「え゛、な、なんですか……?」
この反応は、自分が何かをやらした時だと、慣れてきた感覚に、久保に問いかければ、笑い混じりに答えられた。
「いや、隊長が煽り返すとは思わなくて」
「煽……え? えっ!? 煽って……!?」
「自分は良いと思いますよ。アレくらい、毎回言い返しても」
「い、意味がわから……いや、えっと、と、とりあえず、戻ってからにした方がいいですね!? みなさん、疲れてるでしょうし!」
「了解です。では、総員帰還する!」
少し笑いが混じった坪田の声が響いた。




