第三話 ゴリラ
平和だった。だから、最初に聞いた争いなんて実は嘘なんじゃないかと、遠い昔の話だったのではないかと。でも、それは現実だった。俺が知らない間に知らない場所で導火線は着々と短くなっていたんだ。
貼り紙を見た後、仕事が手につかなかった俺はダンさんから休むよう言われ、こうしてベッドの上で独り思案に暮れていた。
ダンさんの話によると、敵が無条件降伏でもしない限り確実に無傷では済まず、死者も出るそうだ。ちょっと前まで学生やってた俺に武器持って戦えとか難易度高すぎでしょ。
結局その日はドクドクと顫動する心臓の音で一睡もできなかった。
◇
十一時半に店を出る。
俺と同世代から一回り上くらいの男性達がぞろぞろと王宮に向かって歩いていく。いつもの活気ある街はそこにはなかった。
「……よお、兄ちゃん。アンタも徴兵かい?」
突然背後から声をかけられ、振り向くと店の常連さんのローがいた。彼は俺より一つ年上で、物心ついた頃にはダンさんの料理を食べていたそうな。本人曰く『俺の体の八割はここの飯で出来ている』らしい。因みに俺のナポリタンを流行らせたのはこの人である。
明朗快活が取り柄のローも今日ばかりは陰鬱な表情をしていた。
そうですよと答えると、記憶喪失なのに可哀想にとかあと一歳若ければなあとか俺を気に掛けてくれた。自分も気が滅入ってる筈なのに人の心配をするなんてやっぱり彼ははいい人だとしみじみと感じる。
ローと世間話をしながら歩くと、あっという間に王宮に着いてしまった。
集合時間より十分ほど前に到着したが、そこはもう既に気の抜けた男性達で溢れかえっていた。顔見知りの人に軽く挨拶しながら時を待つ。
しばらくすると、王宮の中から赤いローブを羽織り王冠をかぶった、いかにもな王様が現れ広場の中央にある舞台に上がった。
「諸君、此度はよく集まってくれた。昨日伝えた通り我が国はエクセラ王国を占領することを決定した。彼の国ではここでは採ることの出来ない重要資源が眠っているとの情報を得たからだ。その為、一週間後君たちには彼の国に向かってもらう。武器などの軍需品は当日支給する。来週のこの時間再びここへ集合だ。異論は認めない。以上、解散!」
それだけ言うと、王様は踵を返して王宮の中に戻っていった。そして、それを見た男達もまた各々の帰路に着こうとしていた。
ちょっと待てよ、これで終わりとか流石におかしいだろ。訓練も作戦の説明もなく何もかもぶっつけ本番でやるのか? 幾ら何でもそんな急造軍隊で勝てるわけない。無傷で帰るなどもってのほかだ。
軽忽で愚鈍な王様に対して強い憤りを覚える。しかし、周りを見渡しても俺の意見に同調しそうな人は誰一人としていなかった。
「……これが、普通……なのか?」
◇
「……気をつけて、必ず無事で帰って来て」
悲痛な面もちでそう言うリーンの頭を優しく撫で、行ってきますと告げる。
外に出ると街は一週間前と変わらず、いやそれ以上に暗澹とした雰囲気を漂わせていた。
今日は誰とも会うことなく目的地に到着する。先週とは違い現役兵らしき人もちらほら見える。……待てよ、戦争するにしては少なすぎる。まだ集合までに時間があるからか、それとも先に向かっているのか?
そんなことを考えていると、王宮の方から大きな声が聞こえる。
「これから装備を配る。ここに一列に並び受け取ってくれ」
その合図とともに散り散りだった人達がずらっと長蛇の列をなす。遅れて並ぶがほぼ最後尾になってしまった。
「お前、リーンの店の……ハッ、お前ビビってるのか? だっせえーなぁ。いつもの元気はどこに行ったんだよ。臆病者のお前の代わりに俺がリーンをしっかり守ってやるから、気にせず死んでいいぞ」
武器を受け取ろうとした時、俺に気づいたタンクが悪態をついてきた。
現役兵であるタンクはゴリラの様な筋肉と顔を持っている人の皮を被ったゴリラだ。男気のある性格とその見た目からおつむが弱い女とオカマから絶大な人気を集めている。本人はリーンが大好きで幾度となくアピールを続けているが一切相手にされていない。兵になる前にダンさんに働かせてもらう様に頼もうとしたが取り合ってもらえなかったらしい。そういった経緯もあってかリーンと一緒に働く俺に対して異常に当たりが強い。
「……はいはい。それより何でお前はここに残るみたいな言い方してるんだよ」
「お前何言ってんだ。俺たちまで他の国行ったら、誰がその間この国を守るんだよ。五百ほどいる現役兵の内お前らと一緒に行くのは三人だ」
確かに俺たちよりも本職が国を守る方が良いと言うのはごもっともだ。
……って、は? 三人?
「全員に装備が渡ったようなので、今から今回の作戦について説明する」
詳しく話を聞こうとすると丁度号令がかかり、再び視線をタンクに戻した時には装備の片付けをしていた。仕方ないと舞台の方へ向き直ると、他の現役兵とは違う、金の装飾が施された鎧を着る口元に白髭を蓄えた中年の男性が立っていた。
「私は今回の軍を指揮するザックだ。いきなりだが始めに君たちに良い知らせがある。今回攻め込むエクセラ王国は、前回戦ったパラリス王国より国力が低く、兵も千程度しかいない。対して我が軍は五千の兵で攻めるだから上手く事が運べば無条件降伏も十分に狙える。その為には君たちの協力が必要だ。力を貸してくれるな?」
ザックが無条件降伏という言葉を口にすると、今にも死にそうな表情をしていた男どもが大きな歓声をあげる。ある人は涙し、またある人は隣の人と抱擁する。
「諸君、喜ぶのは全てが終わってからにしろ。まだ戦わないと決まった訳ではない。少しの油断が死に繋がる、気をつけろ。では、作戦の概要を説明する」
それを聞いた急造兵士達は落ち着き、確と作戦を聞こうと真剣な表情になる
……一番油断してるのは、訓練も説明も事前に行わないお前ら政府なんだけどな。言わねえけど。
◇
エクセラ王国に向けて出発する。
門の前には見送りをする人が並び、その中に手を振るリーン一家の姿もあった。ふと後ろを向くと、門まで付いてきたタンクがリーンに向かってお見切り手を振っていた。……なんで行かねえお前が手を振ってんだよ。
タンクには触れずに、リーン達に向かって片手を上げ口の動きで「行ってきます」と伝える。するとリーンとダンさんが同時にニッとはにかんだ。やっぱり親子って似るんだなあ……。
「お、おい見たか! リーンが俺だけに向かってはにかんだぞ。やっぱり脈あるんじゃないか!」
お前の頭の中は本当にお花畑だな。こういう所から勘違いストーカーは生まれるのか。
「……何だよその顔」
「俺はお前が誰にも迷惑かけなきゃ何でもいいさ」
ゴツンと頭を一発殴られた。思わず「痛ってえっ!」と叫び頭を抑える。タンクの方を見ると何食わぬ顔をしている。このゴリラめ、ついに本性を現したか。頭にじんじんと鈍い痛みが残ったが、おかげで緊張をほぐす事が出来た。