第52話 貴方の幸福のために
ミカの朝は、同年代の少年少女と比較すると早い。
目覚めた彼女は、鏡の前で着替えて身だしなみを整える。
元の世界にいた頃は自分の身だしなみにまるで無頓着だった彼女だが、此処に来てからは念入りに全身を整えるようになった。
全ては、アレクのためだ。
彼にみっともない姿を見せたくないという思いが、彼女を年頃の少女にしているのである。
手櫛で髪を梳き、寝癖を直して、シャツの皺を伸ばす。
恋心というものは人をここまで変えるものなんだね。
満足のいく姿になったことを確認して、頷き、彼女は部屋を出る。
いつものように朝食を食べに大広間に向かおうとして──足を止める。
廊下の壁に腕を組んで凭れ掛かっているレンと、目が合った。
「……お前に話がある」
優しさの欠片もない物言いに怯みそうになるミカだったが、下腹に力を入れて目を反らすことは何とか堪えた。
レンは、風当たりはきついが悪い人ではないのだ。そう言い聞かせ、ミカは彼女に問いかけた。
「……話って、何」
レンは壁から背を離し、静かにミカの傍へと歩み寄って、言った。
「アレクに近付くな」
「!……」
アレク、の名にミカはどきりとした。
アレクに近付くなって……どうして?
訝るよりも先に、レンがその理由を語る。
「アレクには大事な使命がある。それを果たすためには、お前にアレクの傍にいられると困るんだ」
「……使命って?」
「お前は知る必要のない話だ」
レンは、ミカの疑問には答えない。あくまで自分の裁量で話すと決めたことだけを話す。
取り付く島がないとはこういうことを言うんだろうね。
「難しいことは何も言っていない。ただ、アレクから離れてくれればそれでいいんだ。そのくらいのことだったら、子供のお前にもできるはずだ」
子供、の部分を強調して言われているような気になって。
ミカは目を伏せて、唇をきゅっと噛んだ。
アレクに近付いてはいけない。それは、胸に秘めている彼への想いを封じ込めなければならないということに他ならない。
彼のことを、諦めなくちゃいけないの?
唐突の宣告に、目の奥が熱くなった。
「お前が物分りのいい人間であることを願っているぞ」
レンは踵を返して、ミカの前から去っていった。
ミカはレンの後ろ姿を見つめながら、葛藤していた。
アレクを、諦めたくない。
でも、アレクの邪魔になるようなことはしたくない。
私がアレクから離れることが、アレクのためになる? 喜んで、もらえるの?
私が我慢すれば……アレクは、幸せになれるの?
ねえ、そうなの? 誰か、教えてよ。
ミカの疑問に答える者はいない。彼女の胸中の言葉は階下から聞こえてくる喧騒に飲み込まれ、消えていった。




