第49話 音楽会
フロントの一角に、何処からか運び込まれた楽器が並べられていた。
バイオリン。トランペット。サックス。ドラムセット。ピアノ。どれもよく使い込まれた感のある古い道具たちばかりである。
ミカは怪訝に思い、椅子から立ち上がってカウンターのアレクに尋ねた。
「あの楽器、何?」
「今日の夜、二十時から大広間で音楽会を開催するんですよ」
アレクは楽器たちに目を向けて、答えた。
「たまに、街から楽団を招いてサービスの一環でやるんです。お客様には結構好評なんですよ」
音楽会。それは一種の夜会のようなもので、簡単な料理や酒を振る舞いながら夜のひと時を楽しむのである。
こう聞くと大人だけの集まりのように思えるが、無論子供が参加してはならないという決まりはない。
アレクは何処か照れたように頭を掻きながら、笑った。
「今回は僕もバイオリニストとして参加させて頂くんです。宜しければ御覧になって下さいね」
「……アレクが、バイオリン弾くの?」
ミカはアレクがバイオリンを奏でている姿を想像した。
アレクは顔立ちが良くスタイルも良い。燕尾服で楽器を演奏する姿はなかなか様になっていることだろう。
きっと格好良いだろうな。そんなことを思いながら、彼女は言った。
「必ず見に行くから」
「お待ちしております」
たまにはこうしてイベントを開催することもある。ホテル・ミラージュの魅力のひとつだ。
君も、旅館が提供する一夜限りの祭典を是非とも楽しんでいってくれたまえ。
いつもの夕食の時間が終わり。風のような速さで片付けられた大広間に、小さなステージが誂えられた。
テーブルは音楽会用の配置に直されて、軽く摘まめるクラッカーやワインなどの料理が準備される。
音楽会のことは旅館が宣伝して回ったのか、大広間には開演までまだ時間があるというのに結構な人数の客人たちが集まっていた。
ミカも大広間に来ていた。パジャマを身に着け、後は寝るだけというすっかり準備万端の様子だ。
アレクはステージに立って楽器の準備をしていた。
いつになく気合が入っている様子である。大勢の人の前に立って演奏をするから、気持ちがいつもよりも入っているのかもしれないね。
ミカはそっとアレクに近付き、声を掛けた。
「アレク」
「ああ、来て下さったんですね。ありがとうございます」
譜面台に楽譜を置いて、アレクは微笑んだ。
「飲み物はグレープジュースで良いですか?」
「うん」
「少々お待ち下さいね」
アレクはステージを下りて、部屋の隅に設けられているドリンクバーに向かった。
コップにグレープジュースをたっぷりと注ぎ、ナッツと薄くスライスされたチーズを盛った皿を持ってミカの元へと戻ってくる。
「こちらはおつまみです。どうぞ」
「……ありがとう」
「お好きなお席に座ってお待ち下さいね」
飲み物とつまみをミカに渡し、アレクは忙しそうに大広間を出ていった。
ミカはステージに最も近い席を選んで、座った。
アレクがよく見える場所を選んだのだろう。彼女が選んだ席の目の前には、バイオリンが置かれている。
続々集まってくる客人たちも、前列の席から順番に詰めるようにして座っていった。
開演まで後五分。席は、既に大部分が埋まっていた。
「やあ、ミカちゃんも来たのか。どうだい、結構本格的だろ?」
ワインボトルを両手に抱えたローゼンが、ミカの前を通りかかった。
彼は片手で器用にボトルの栓を開けながら、言った。
「今日はアレクも演奏するって言ってたから、応援してやってくれよな」
隣の客人のグラスにワインを注ぎ、彼は後ろの席の方へと移動していった。
ステージに、客人やホテルマンとは異なる雰囲気の人々が上がってくる。
彼らは迷わずに楽器を手に取り、譜面台の前に立った。
どうやら、演奏者たちの方も準備ができたようだね。
ミカはジュースを飲みながら、開演の時を静かに待った。
そこかしこで行われていた会話が、徐々に止まり静かになっていく。
そして──時間。
いつの間にかステージの隅の方で待機していたアレクが、一礼と共にステージの中央へと上がってきた。
「本日は、当館にお越し下さいまして誠にありがとうございます。時間になりましたので、音楽会の方を始めさせて頂きます」
何処からともなく拍手が沸き起こる。
ミカもつられて小さく手を叩きながら、ステージに立つアレクに注目した。
「一時間限りの祭典ではありますが、どうぞお楽しみ下さい。それでは、最初の楽曲です。『スワイの剣舞』──どうぞ」
たーん、とピアノが高らかに奏でられる。
アレクはバイオリンを手に取り、ゆったりとした動きで構えを取った。
大勢の客人が見つめる中、音楽会は何事もなく始められたのだった。




