第7話 セダンの戦い
王国軍の最初の布陣はバルション、エヴェネー、フルロン、ショーフォンテーヌ、アンブール、ボンセル、フレマル(砦)、オローニュ、ロンサンである。
このうちアンブール軍は潰乱し、恐慌状態に陥り、司令部のテント手前でなんとか持ち直した。ボンセル軍も算を乱して逃げ出し、砦やオローニュ軍に逃げ込んだ。
ロンサン軍には西から新手が接近し、バルション軍とエヴェネー軍は、砦に向けて突進せよという命令が下された。フルロン軍とショーフォンテーヌ軍はアンブール軍救援のため西進せよという事だ。
あまり戦闘行動を行なっていなかったフルロン軍とショーフォンテーヌ軍は梯団となり、アンブール軍を押し込んだ敵集団の側面を襲った。が、最悪は重なって起こる。
風が吹き、霧が晴れ始めたのだ。
霧は敵が気づいていなければ、攻撃側に有利に働く。低く伏せて、音を立てずゆっくりと距離を詰める事が出来れば、通常よりも多くの戦果を挙げる事ができた。
通常、というのは平原において密集隊形を組んだ王国軍と、散兵の魔王軍との戦闘における戦果を指す。無論、この場合は王国軍の損害に比べ魔王軍の損害は少ないはずだ。
「閣下、霧が晴れていきます」
「騎兵斥候を四方に放ち情報を集めろ」
「はっ」
ジョフルは改めて、敵の位置と数を知る事にした。
潰乱、撤退したアンブール軍は初めの二万から八千にまで減っていた。これに司令部の護衛隊三千を足して、ようやく一万一千である。この時点で騎兵の偵察や、戦闘経過を照合すると彼等の正面の敵は一万五千であった。
私の隊の周辺、すなわちバルション、エヴェネー軍の正面の敵は、騎兵偵察の結果六万八千であった。
バルション、エヴェネー軍は合計八万である。
後に戦闘の記録からこの平原での戦いをまとめたが、初めのうちは、全体として魔王軍の兵力劣勢であった。しかし、戦闘が終わると兵力は逆転していた。
命令が変更された事で私の隊の負担は軽減された。霧が晴れており視界は一キロほどになっている。すると、王国軍は射程外からの射撃を受けるようになってきた。
「伏せて進め! 頭をあげるな!」
今まで聞いたことのない命令に、兵士達は耳を疑った。
「なぜ王国兵たる我々が頭を地面に擦り付け、敵の弾丸に怯えねばならんのか!」
こう叫んだ将校もいたが、弾幕の激しさに結局は萎縮してしまった。
「勇者殿、バルション軍が旋回運動に手間取っております」
「うむ、各隊、間隙を埋めるために広がれ」
この時、私は馬を降りて地形の凹凸に隠れながら指揮をしていた。いくら転生したとはいえ、死にたくはない。といっても敵の弾はここまで飛んでくる。
前線への伝令は騎兵を使った。
騎兵は命令を叫びながら最前線を駆け回る。敵の射撃が集中するが、騎兵の多くは生還した。
中央の危機は過ぎ去ってはいない。
潰乱した二つの軍の兵力はおよそ二万一千、戦闘開始前は四万だった。彼等の前方の敵は三万である。兵力差が逆転した。
戦闘開始から三時間、ついに敵騎兵隊が王国軍の戦線を突破した。数は二万だという。
突破した騎兵隊は砦を囲い込むように旋回し、王国軍の右翼を包囲した。さらにショーフォンテーヌ軍は魔王軍から集中砲火を受け、戦列が崩壊し、梯団をなしていたフルロン軍も側面の敵に釘付けにされ、二進も三進もいかなくなってしまった。
そして戦闘開始から四時間が経ち、ジョフルは全王国軍に撤退を指示した。
これ以上の状況の打開作はなかった。
すでに王国軍の兵力は十六万にも減っている。魔王軍については全容が掴めていない。が、計算が合わない。方々から集めた情報では敵の数は合計で二十三万である。
おそらくだが、右側面からきた五万は本隊とは別行動をしていたのだろう。
兎も角、撤退が決まった。エヴェネー、バルション軍共に整然と撤退した。彼等が一歩退く度に死体が増えていく。
撤退戦において難しいのは、追撃してくる敵部隊を受ける殿軍だ。殿軍が簡単に突破されれば、追撃戦は殲滅戦に、撤退は潰走に変わる。
司令部テントでは書類を焼いている。テントにも火を放ち、煙幕の代わりとした。司令部を守るアンブール軍と司令部付きの軍一万一千が、今にも敵に突破されそうなのである。
彼等には時間がなかった。
すでに包囲された軍の事は諦めており、残った部隊の生存に勤める事とした。
情報が錯綜し、地図上にある部隊の記号は意味をなさなくなっている。報告が来ても、その頃には部隊は撤退し、はるか後方にいたりした。
最初に平原を脱出したのはフルロン軍、時点でショーフォンテーヌ軍である。この時、エヴェネー軍はアンブール軍の側面で司令部側面を守っていた。二つの軍が戦線から抜けた為、負担が大きくなっていた。騎兵突撃を受けて、前線にはいくつもの間隙ができた。が、それでも必死に平原を歩き、全滅は免れた。
全部隊が街道に出たのは、すでに日が暮れた頃である。
各軍、連携が取れず右往左往しつつ街道を王都方面に向かっている。
魔王軍は追撃をやめたようだった。
撤退戦は王国軍が平原から街道へ脱出し、一応の成功を見せた。
だが、損害は大きい。この国の経済基盤にかなりの負荷がかかる事になるだろう。
王国軍の悲惨な敗北は、後に“セダンの戦い”と呼ばれる事になった。