第4話 開戦
遅くなってしまい、申し訳ありません。
明朝、斥候が帰ってきた。しかし、その数は半分以下になっている。
「敵は予想以上に、規律ある行軍を行なっております」
「貴様の予想など知らん。私にもわかるように伝えてくれ」
「……は。セダン近くの村民が使用していた農道を、四列縦隊で向かってきています」
セダン……はて、現実にもそのような所があったな。ここにきて気づいたが、なぜ彼らと言語が通じるのだろう。私はロシア語と少々のフランス語しかわからないはずだ。
後で神か魔女にでも聞いてみるか。
「騎兵隊から歩兵隊、砲兵隊の順で、数はおよそ二十万です」
「よし、下がれ」
「はっ」
この世界の住人からすれば、魔王軍というのはよほど無法者の集団という認識なのだろうな。あたりまえだが、縦隊で行進する程度、軍隊どころか一般人でも一日でできるようになる。
ほかの斥候も似たような報告だったが、ある者は集団で敵の隊を襲い、一人の捕虜を得た。
並べられた装備はどれも見たことが無いもの、というわけではなかった。
まず後装式の単発銃。前装式の王国軍に比べて早い速度での射撃ができる。これは元の世界では二十年ほど前に廃れた。弾丸は金属薬莢である。ベルトについたポーチと背嚢の中身は、予備の弾薬に食料だとか毛布だとか、王国軍とはさほど変わらない。水筒は王国軍の革製とは違い、金属製である。
服装はケピ帽に上下は灰緑色のもので、かなり実戦的だ。王国軍とは一世紀ほどの差がある。
勘が確信に変わる。この歩兵装備だけでも魔王軍の先進さがわかった。
この戦いは負ける。ならばどうするか。何もしなくてもよい。この世界に私はいなかったのだから、無関係なことだ。
「それは困るね」
うおっ。どこだここは。
「こっちだよ」
声のする方を向くと、あいも変わらず、机の上の書類にサインする神がいた。
「この戦いはこれから先のすべての起点だ。君の勇者としての基点でもある。だからここは機転を利かせてどうにかしてほしい」
洒落の効いた事を言う。
「前にも言った通り、この世界の勢力を均衡にさせるのが君の役目だよ」
「いやだな」
「それは許されない。地獄に行く予定者の中からようやく見つけたんだ、失敗や放棄しても殺しはしないが再挑戦はしてもらう」
「命令ということか?」
「そう、命令だよ。上からの」
絶対に避けられないということか。不快ではあるが、ならばやるしかないな。
女は頬杖をついてこちらを見つめた。
「そう、よかった」
気づくと、戻っていた。
「勇者殿?」
「ああ、捕虜と合わせてくれるか?」
「はっ、こちらです」
言語のことについて神に聞き損ねた。
捕虜はすでに着替えさせられていた。随分と見窄らしい布切れに身を包んでいた。奴隷服らしい。
「所属は?」
「……」
「そうか、言葉が通じないか」
「通訳できるものをこちらに」
その通訳できるものというのは例の侍従である。
「彼は何も話したくない、と」
数分質問を繰り返したが、黙秘している。
手は色々だが、どれもこれも考えつくものは暴力ばかりだ。
「今から三時間尋問して何も言わなければ我等の軍服に着替えさせろ。何か情報を吐いたら殺せ」
「どういう事ですか?」
明らかに周りの兵士は動揺した。
「何も言わないのであれば我等の勝利に貢献してもらう。何か言ったのがこいつの国に知れたらきっと殺されるだろうから、我々の手で殺してやる」
とにかく連中の数を減らし、こちらの敗北をより被害の少ないものにする。あれほどの装備ならば、戦術も王国より数段上だ。私の三千の兵ではどうにもできない。
「全ては国王陛下の御為に」
自然と口から出た言葉であった。体に染み付いた習慣のようである。
「全ては国王陛下の御為に」
兵士達は復唱する。
後で見た記録では、明らかにこの時から勇者の言動が変わっていた。
唯一共通して言っていたのは「全ては国王陛下の御為に」であった。
五時間が経ち、敵が視界内に入ってきた。報告通り、細い農道を四列縦隊で向かってきている。エヴェネー卿のおっしゃった時刻より三時間遅れていた。
「およそニディスタですね」
一ディスタとは後で調べてわかったが、およそ一.八キロメートルである。
我々は丘の上に布陣しているので、全王国軍の中で最初に敵を視認した。すぐに他の軍にも情報を伝えた。
来た当初から平原は快晴だったが、ここに来て霧が出てきている。
王国軍は平原の西に、魔王軍は東に布陣している。北は四十ディスタで海に出るらしい。
この季節、農業に従事するものは、畑に苗を植え、作物を育てる。その時期に魔王軍が襲来した、というのは偶然だろうか。
冬が過ぎたばかりらしく、未だに早朝の空気は冷えている。が、日が昇ってくると次第に暑くなってきた。
王国軍の軍装は何度も繰り返したが、青の上着、つまるところ、詰襟である。装飾が施され、羊毛で作られている。中には白いシャツである。夏はまだだというのに兵士たちの額には、汗が張り付いていた。
首の太い者は特に窮屈そうである。
南の山脈側から来た霧は、すでに平原を覆ってしまった。この丘はかろうじて霧の上に出ている。しかし高さの利点がなくなってしまった。
そうこうしているうちに、斥候が帰還した。
「敵が布陣を完了させたようです」
「分かった。我々の前の敵はどうだ」
「最前線からおよそ三百レヒ。数は五千、大半が歩兵、騎兵は三十騎ほど」
またわからん単位が出てきた。今度は「レヒ」というらしい。メートルのようなものか。
「その横は?」
「警戒の騎兵が多く、調べられておりません」
部隊と部隊の隙には騎兵を配置して間隙を作らんようにしているのか。
「歩兵は散兵か?」
「はっ、散兵であります」
やはり。
連中の戦術はナポレオンを超え、十九世紀のあたりまで発達しているようだ。
「前面の緩衝材では?」
「いや、奴らは全員散兵で士気は高い。エヴェネー卿に伝えてこい」
「はっ」
出来る事はやっている。しかし、この戦場の味方は二十五万人もいる為、私の力が及ばないのがほとんどだ。私の手元の三千、そしてエヴェネー卿率いる二万五千の兵士はどうにか動かせるやもしれない。これを使って負けを最小限の被害に抑える事が、今回の目標である。
霧の向こう、南の方向より銃声が聞こえた。砦の方角である。
数分経ち、騎兵が報告に来た。
「アンブール軍、ボンセル軍、砦のフレマル軍に対し敵が攻撃を開始! 各軍奮戦中であります!」
砦は東西におよそ三百メートル、南北に二百メートルの長さだ。中央の指揮所の周りには何重もの柵が施されている。さらに柵の周りには深さ四メートル、幅三メートルほどの堀があった。が、突貫工事であるため直線的なものである。
ここに、魔王軍の兵士がなだれ込んでいる。霧の中で、双方至近距離になるまで敵を視認できない。この場合は、距離を詰めるのが容易な魔王軍に利がある。
攻撃が開始されて一時間、堀には既に四千ほどの兵士が侵入している。また、魔王軍の砲撃は霧によって視界がきかないはずだというのに、見事に柵をぶち抜いている。木製の柵は鋼鉄の砲弾に簡単に貫かれた。
そうして出来た柵の穴より、魔王軍の兵士は砦の内部に侵入した。
密集隊形で方陣を組み、規則正しく射撃をする事に長けた王国軍は、砦内部に侵入した魔王軍の対処に苦戦した。
「フレマル卿、このままでは半日と持ちませんぞ」
フレマルの副官は三十年間、王国軍に所属している老兵である。要塞での籠城戦も、平原での野戦も彼は経験している。
「黙れ! 我らが耐えねば作戦が破綻するんだ! 予備も投入しろ!」
「仰せの通りに」
九人の騎士長が一人、フレマルは砲兵の出身である。だからこそ、常識では考えられないほど連携のとれた敵の歩兵と砲兵の行動が理解できなかった。
敵の砲兵隊の位置を知る為、騎兵連隊をを辺りに放ったが、続報はない。