第3話 神託
私は睡眠しているはずだというのに、誰かと会話していた。
「私は神だよ」
女はそう言った。
「神?」
「そう、神だよ。もっとも、事務仕事ばかりだけれどね」
女は山積みの書類にサインをしている。
神は偶像崇拝ではなかったのだな。私が視認して会話できるのだから存在しているといえよう。
「今日の一日はどうだった?」
こちらを見向きもせずに言った。
「どうだったとは?」
「何かあったかと聞いている」
私の一日を思い出してみると、一日は二十四時間のことを指すのか、それとも日が出て沈み、再び日が上がるまでを言うのか曖昧だ。
「朝起きてからでいい。君の身に何が起きたんだい?」
口に出していないというのにな。
「起床したのち、事情聴取をするためにモスクワに行き、帰りに事故にあって気づけば勇者として目覚めた」
自分でも不思議なほどに従順である。
「それから?」
「王都に行き、王と会い、兵士に挨拶をし、飯を食べ、寝た」
女はなにも言わず、次の書類を読んでいた。目の下には大きなくまができている。
「それにしても大変そうだな」
「忙しいよー、本当に。まあ君ももうじき忙しくなるよ」
神ならば私がこの世界に来た理由がわかるのではなかろうか。いや、むしろこいつがその理由の可能性もある。
「うん、私だよ。君をこの世界に持って来たのは」
「なぜそんな事を」
「勇者が死んだからさ」
苛々してくるな、このような奴は。
「私も死んだのではないか?」
「呼び出したのは私だけれどさあ、少しは自分で考えられないのかな?」
落ち着け私よ。ここで爆発すれば共産主義者の名折れだ。
「一日考えてわからなかったのだ。教えてくれるか」
「はあ」
女はペンを置き、書類を机の端に寄せた。
「まあ、座ってくれよ」
気付けば、目の前に椅子があらわれていた。木製のニスが塗られた簡素なものだ。
「失礼する」
「まずは、そうだな……歴史について」
「歴史?」
「そう、人が始まってからの歴史、進化の歴史、戦争の歴史」
もう少し見た目に気を使えばこの女は綺麗になるのだろうな。と、邪推する。
「それらの歴史において、世界を統一した人物をしっているかい?」
「そのような人物はいない」
「まあ、正解だ。ではそれは何故か?」
「上げ始めるとキリがないと思うのだが」
武力の限界、内部の勢力争い、他国の干渉、経済、人的資源等々。
「それをやっているのが神だ」
漠然とした物言いでよくわからんな。
「わかりやすく言えば勢力を均衡にする事が神の仕事だよ」
「わかるようでわからん」
「光があれば影がある、陽があれば隠がある、善があれば悪がある。どうやっても世界は一つにならないようにできているし、そういう風に創った」
世界は統一できないのは兎に角、神が関わっているのだな。
だとしても、私が何故この世界に来る必要がある。
「だけれど、この世界では少し手違いが起きてね。勢力が均衡でないんだよ」
「つまりは何処かの国が覇権を握ろうとしていると?」
「そうだね、今はまだ大丈夫だけれど、もう二、三年すれば彼等はとんでもない飛躍を遂げる。それから五年後、彼等は完全に世界を手中に収める」
「飛躍とは、技術的な物か?」
「そうだね……」
技術? 検討もつかん。いや、この世界はおそらく、兵士の装備を見る限り、現世で言うところの18世紀だ。その際の飛躍……。
「産業革命か!」
「うーん、当たらずとも遠からず。正しくは魔術革命だ」
「魔術……」
「もうここまで言えばわかるだろう」
「ああ、ではその魔術革命を起こすのはどこの国だ?」
「それは未定だ……いまから決まる」
「未定?」
「君がそれを起こすんだ、そうすれば世界が変わる」
そして私は目覚めた。
その日の午後、王国軍九万が王都を出撃した。王都に残ったのは一万の近衛兵のみである。
七日間の行軍の後、砦に入った。行軍の最中、神の言葉について考えていたが、情報が少なく、結論は出なかった。いわゆる神託であるから、無思考で従っていればいいのだろう。
「君も来たのだな」
王の侍従の息子も馬に乗り、この戦場に来ていた。
「はい、お父様から、戦場に慣れておけと言われておりますので」
それに、リーズについて彼が話してくれた。まだ、王国から礼が出来ていないというので、この戦役が終わった後、また彼女を招待するという。
砦の周りは、平原である。元来、まともな道も通っておらず、いくつかの村がある程度だ。ここを通ればすぐに大きな街道に出るというので、ここが戦場に決まった。
草に覆われた平原といっても小高い丘がいくつかある。そのうちの一つを私の兵が守る事になった。
一度、砦で作戦の説明が行われた。
まず、強行偵察隊にて、敵をこの平原に誘引する。砦一帯の王国軍は防御態勢を取り、時期を待つ。敵が息切れを起こし攻撃の手を緩めた瞬間、左翼の部隊が旋回運動を行って敵を包囲、撃退する……という作戦だ。
わかりやすく言うと、敵が疲れたら左から回って包囲するということ?
旋回の軸に砦をおき、砦の右翼の部隊は敵の側面攻撃に備えるべく、くの字になって布陣した。
諸侯の軍は、それぞれ九人の騎士長の部隊に編入された。
布陣は左から順に、バルション軍、エヴェネー軍、フルロン軍、ショーフォンテーヌ軍、アンブール軍、ボンセル軍、フレマル軍、オローニュ軍、ロンサン軍である。
このうち、フレマル軍が砦を守り、その左にボンセル軍、右にオローニュ軍がいる。
私の部隊はエヴェネー軍の最左翼、つまりはバルション軍の最右翼と隣りになった。
兵力はバルション軍が五万と最も多かった。
「勇者君、頑張りたまえよ」
肥えた老将はそう言った。九人の騎士長が一人、エヴェネー卿である。
エヴェネー軍の本陣にて打ち合わせが行われた。私以外にも数名の軍人がいた。
「君にはバルション軍と我が軍の関節を任せる。バルション軍が前進を開始した後、我が軍と間隙ができぬようにしてほしい」
「わかりました」
その他、細かい打ち合わせをし、丘に戻ることにした。
「そういえば記憶は何か思い出したかな?」
「いえ……閣下の顔も思い浮かびませんでした」
と、個人的にはかなり面白い冗談を行ってみる。
「はっはっはっ、そうかそうか」
肉の多く付いた頬に、細い目はなにやら故郷の村の長老を連想させた。
「安心するといい、君は昔から兵を率いるのが得意だったから、戦っているうちにきっと何か思い出すはずだ」
私は別れの挨拶を済ませ、馬に乗った。
「冗談なんて昔は言わなかったというのにな」
老将が呟いた。
私のこれまでの経験から言うと、この包囲作戦は失敗する。が、これ以上踏み込んで言うのは、避ける。
なぜならいつの時代も戦争はどう転ぶかわからない。後世の後知恵ならばどうとでも言えるが、歴史のその場にいる者は少ない情報と、これまでのせいぜい、三十から五十年程度の経験から計画を立てなければならないからだ。
この“負ける”という判断も、私の五十余年の経験と戦史の研究から来た“勘”であるから、信用はできない。
この戦場における問題点は、情報が少ないことだった。そこで、私は斥候を放った。
エヴェネー卿からは、会敵は明日の朝というふうに聞いているが、それだけでは不十分だ。
魔王軍というのがどういう者達なのか。装備も、兵站も、指揮系統も、戦術も、私は敵について何も知らない。
そして、明日に備えて我々は安心して眠った。いよいよ、戦いが始まる。