第31話 神託と群衆
第九軍の召集が行われている頃の事である。
王都における私の生活は、不便なものではなかった。まず、常に身の回りの世話をする美人の医者がいる。本業があるにもかかわらず、献身的なマルトーは聖母のような存在に思えた。
私はそんな彼女を裏切るように、三、四日に一度、癇癪を起こした。どういうわけかわからないが、感情のコントロールが全く効かない時があったのだ。
外出についてだが、診療所から出ることは出来たが、憲兵が警備している施設──例えば王城や、兵器研究所──に入る事は許されなかった。常に憲兵が私の後方を尾行していた。
王国の軍事と政治から完全に隔離されてしまった。勇者たる私が勇者の私を取り戻せば解放される、とマルトーは言ったが、そんなものが私の中にあるとは到底思えない。
食事は、平民と同程度のもので、パンと旬の食材を使用したスープに、ピレネー方面から供給されるチーズがついた。
私は常に思考していた。
詩を考えたり、絵を描こうとしたりなどの芸術分野にも足を伸ばそうとした。だが、そういう才能があるとは思えず、基本的には人々と会話をした。
既に疲労も回復したという事で、マルトーも容認した。
外出の際には常に憲兵が付いてきていたが、憲兵の駐在所には私も出入りする事が出来た。この辺りは、おかしな寛容さがあった。表に出て話し相手を探す事は認められず、四六時中、駐在所にある待機室にいた。
駐在所に用のある王都市民というのは、基本的には問題を抱えていた。
子供がいなくなったとか、商品や財布を盗まれたとか、何処何処の通りで喧嘩が起きたなどと駆け込んでくる事ばかりである。
そういう場合、当直が話を聴いた後に、本人を落ち着かせるためや、参考人を連れてくるまで待機室に入れられた。
私は彼らの話を喜んで聴いた。
待機室は小さな庭に面していたが、周りは建物で囲まれ、風通しは悪かった。それらの建物により正午以外は陽が当たらず、気温はそれほどに高くはない。
九月十五日の事である。
ある男が駐在所にやってきた。男は財布を盗まれたという。
それにしては随分と落胆していた。それだけでなく、目は落ち窪み、充血していた。顔色もそれほど良くない。大量の髭をたたえている。歳は四十代らしい。
部屋には私と、男と、憲兵隊の軍曹と二等兵がいた。
しばらくは沈黙が続いた。
私と男は机を挟んで椅子にかけていた。二人の憲兵は部屋の隅でタバコをふかしていた。
何か話そうと、一言目を発すべく息少し吸ったところで、男の方が先に話した。
「……神を……」
一言目は、ほとんど聞き取れないような小さな声であった。
「あんた……神を信じるか……?」
憲兵の二人が私の方を見たのがわかった。
「ああ、私は確信を持って信じている」
神と実際に会い、言葉を交わしたのだから、信じるしかないのだ。
「……夢を見たんだ、ぼんやりとした……物がいくつか現れて……」
男の目は泳いでいた。焦点が定まっていないようにも見える。
「剣……滴る血……弓……西瓜……あと、あれは……」
「こいつは何を言ってるんだ?」
と、二等兵が言った。机の上にあった灰皿にタバコを擦り付けた。
男は構わず続けた。
「あんた、勇者だろ……」
「無視かよ」
二等兵は苛ついているようだが、軍曹は全くもって無関心なようである。
「勇者が神を信じるとは思ってなかった」
「そうか? 私は自らの目と感覚を信じているだけだ。君が見た夢というのも……神託だろう」
「神託か……そういものか。俺は土地神さんしか信じてなかった……唯一神だとか何とか色々あるだろうが、そんなのは知った事じゃない」
「たしかにそうだ」
「……とにかく俺は神託を受けたんだよな」
「ああ」
「神父様はおっしゃった……剣と弓は困難を、滴る血は因果と血筋を……西瓜は……秘密を表してる」
「あと一つは?」
「あと一つは…………赤い、血のように赤い、鮮やかな旗……」
二等兵が机を叩き、会話を遮った。
「勇者様、こいつはいかれてる。妄想癖だよ。幻覚を見てんだ。財布を盗まれたってのも嘘かもしれない」
部屋にもう一人、憲兵が入ってきた。彼は軍曹に耳打ちした。
軍曹は口角を上げて、笑った。
「ついに奴が捕まったぞ! ついて来い!」
奴、というのは王都において窃盗を行なっていた者の事である。彼はおよそ八十四件の空き巣と、百件以上の窃盗、二件の強盗を行なっていた。最初の犯行と思われるものから、およそ三ヶ月しか経っていない。
彼の特徴は、空き巣の際は常に貴族の邸宅を狙う所である。かといってそれが市民に配られるわけでもなく、あくまで自己の欲望と利益のために行動していた。
二人の憲兵と男は、駐在所から北におよそ百レヒほどにある広場に向かった。
私には憲兵が一人付いていた。広場で起こる事を見ていたい旨を彼に伝えると、広場の東にある民家に向かった。彼は家主に金を支払い、民家の二階を借りる許可を得たようである。
広場には三人の男がいた。彼らの周辺には憲兵が大量におり、円形に囲んでいた。その周りを市民が埋め尽くしている。
三人のうち一人には見覚えがあった。ペルダンである。
「ふざけるな! 離せ!」
ペルダンは明らかに憤慨していた。
そして、憲兵隊軍曹もすぐに気づいた。
「馬鹿者どもが! なぜペルダン殿を捕らえた!」
ペルダンを抑えていた一人の憲兵が敬礼し、言った。
「三人の男が揉み合っており、周辺にいたものに話を聴くと、大泥棒だと言うので」
「それでなぜこうなる⁉︎」
「誰が泥棒か聞いたところ、この三人が指を指されたので」
「はあ……服と荷物を調べろ」
「はっ!」
すぐに荷物が調べられ、所持していた物が三人の前に並べられた。
まず私から見て、左に座っていた男は小銭が入った袋と、平民の身分を証明する証明書を持っていた。そして右端の男、つまりペルダンは、短剣に革製の財布、そしてロンサンの印章が入った騎士手帳を持っていた。最後に、中央に座る男だが、笑ってしまうほど明らかな事実があった。彼は十三もの小銭の入った袋と財布を持っていた。それ以外には身分証を五つも持っていた。
男は、自らを盗賊イヴァンと名乗った。
彼は貴族と、それを中心に形成される王国社会への不満を延々と叫び、牢獄に連行されていった。
王都市民は、個人としては温厚な性格であった。隣人を尊び、皆平等で正直者である。だが、集団になると猟奇的で衝動的になった。
多くの観衆が盗賊の叫びに同感したのである。
憲兵がそれに気づくよりも早く、民衆は一体となった。
王国の税金というのは、商品の金額に対しておよそ四割であり、この世界のこの時代としてはそれほど高額にはならないという。
だが、種族間の差別はあった。例えば貴族はその八割が通常の人間であった。王国の人口において人間は五割程度である。
軍隊では兵士は五割だが、下士官になると六割、士官では九割が人間であり、他の種族はほとんどいない。さらに、軍団長以上に限定すると人間以外の種族は一人もいない。
貴族の中でも、人間以外の種族の者は差別的な扱いを受けるか、地方の貧窮貴族となった。
民衆の、特に人以外の種族の不満は、貴族による人種差別的な内政にあった。
観衆は反貴族を叫び、盗賊を解放するように求めた。
最前列での熱狂は瞬く間に広場全体に広がり、人々は親指を下に向け、喉を低くく鳴らした。
ひしめきあい、不満と熱狂は、力へと変わった。群衆の力は、想像を超えたものだった。
事態を収拾しきれず、そのうちに憲兵の一人が襲われた。これを見て、民衆と自らがかなり危険な状態にあると判断した憲兵隊軍曹は、より階級が上の少尉がいたにもかかわらず、銃を構える事を支持した。
いわゆる血の広場事件が起きる事となる。




