第16話 アリスプ騎兵団
リーズがアリスプ騎兵団の元に到着したのは、午後六時過ぎである。この平原で戦闘が始まって八時間半が経過していた。
アリスプという将校はまだ二十代でありながら、一万の騎兵を任され、本人も困惑していた。だが、最初のセダンの戦いで将校の殆どが戦死しており、他の軍でも階級と年齢が見合わない将校が多数いた。
この騎兵団は単独で二週間以上行動する為に、多数の馬やラバやロバ、駄馬を連れている。一万人のうち戦闘員は七千で、残りの三千は補給品を運ぶ兵站任務に従事している。
騎兵用の馬と、兵站用のラバなどは合計で二万騎である。
騎兵七千の内約は、軽騎兵が三千、竜騎兵と胸甲騎兵がそれぞれ一千、槍騎兵と重装騎兵がそれぞれ五百で、残りの一千は騎兵砲十二門を運用する騎乗砲兵となっている。
「アリスプさんですか?」
「いかにも、私がアリスプです」
「勇者様からの命令です」
リーズは勇者から渡された、数枚の紙を束ねた命令書を渡した。
既に太陽が地平に沈み始めており、兵士達の頬が橙色に照らされている。装備品は泥だらけで、金属製の装備も泥と埃によって、光を反射する事はできない。
彼は書類に一通り目を通した。
「承った。ありがとう」
アリスプはそう言うと、自身の騎兵団の参謀達と話し合った。リーズは蚊帳の外である。
リーズは今回も空を飛んできたが、彼等はそれについては特に言及しなかった。
「ああ、もう戻っても良いですよ」
アリスプは振り返って、魔女に言った。
「いえ、私も参加します。勇者様からの命令です」
「え?」
彼は渡された書類を再度、読んだ。
「本当だ……」
「アリスプ殿、どうなさる?」
その場にいた士官の一人が言ったが、他の者も同じように不安そうな顔をしていた。
「リーズさん……貴女には一体、何ができるのです?」
「私は、物を作り変えたり、物に動きを与えたり……する事ができます」
“魂を操る事”を伏せたようだ。おそらく、私を転生させたことが、トラウマのようになってしまっているのだろう。
「王国左翼の例の動きは彼女が?」
「しかし、まだ子供ですぞ」
「勇者様からの書類にはそう書いてある。たしかに空を飛んでいたが、まさか自力でやっていたとは」
何かの装置を使用して浮遊している、というふうにアリスプは考えていたらしい。
だが、実際にはリーズ自身の魔力によるものである。
騎兵団は、ひとまず西に向かった。アリスプの考えでは、日が暮れる前に数回攻撃を行い、その後は北へ逃走するという。
多数の偵察を放ち、敵状判断をした。どうやら大半の魔王軍は、王国軍の追撃に躍起になっており、後方は警戒が薄い、と報告が上がった。
攻撃地点は魔王軍中央の兵站部隊、という事に決まった。
彼の騎兵隊は、突撃直前まで馬を降り、静かに敵に近づく。背の高い草は馬と兵士を隠してくれた。
少し高台に騎乗砲兵が位置している。
陽は暮れていたが、まだ西の空は明るい。
敵との距離が二百レヒを切ったところで、騎兵達は馬に乗った。銃を抜き、射撃し、同時に砲兵隊が砲撃をはじめた。そしてサーベルと槍を構えて、突撃を開始した。
兵站部隊は最低限の守備兵しかおらず、簡単に突破する事が出来た。砲撃を敵の戦闘部隊に向けて、騎兵突撃もその方向に指向したが、これは反撃を受けた為、直ぐに撤退した。
だが、その他の側面魔王軍はこの動きには、全く反応を見せなかった為、北に向けて魔王軍を掠めとるように旋回し、平原から脱出した。
彼等がこれらの行動を完了したときには、既に平原は闇に包まれており、王国軍の混乱に拍車をかけた。戦闘開始から九時間半が経過していた。
王国軍左翼は、アリスプ騎兵団の一連の動作で魔王軍の動きが鈍った為、犠牲を抑える事が出来た。が、王国軍右翼にあった二つの軍は、あまりの追撃のはげしさに狼狽し、怖気付き、潰走をおこした。
日が暮れた時には、戦闘開始時に十六万いた王国軍は十万を切っていた。もはや、魔王軍を止める力は残っていない。果たして、これ程の犠牲を払って救出した九人の騎士長にそれほどの価値があったのだろうか。
多くの部隊が馬車を捨て、銃と背嚢を投げ捨て、大砲も捨てて、なんとか魔王軍の追撃から逃れようとした。
勇者軍、という部隊は二万のうち三千を一連の戦闘で失った。負傷兵はその倍ほどになる。これでも王国軍全体から見れば、比較的軽微の被害である。
リーズは日が暮れて月が出た頃、アリスプ騎兵団から私の元に戻って来て、騎兵団の状況を報告してくれた。
彼女も疲れているようだが、一般の歩兵に比べれば、疲労は少ないようだ。
伝令がやってきて、私の乗る馬に寄せて来た。
「ジョフル閣下からです」
「うむ、ありがとう」
紙を受け取り、馬上でそれを読んだ。
「撤退はエルヌ川の線まで」という事が書いてあった。エルヌ川という地名が出て来たが、わからない為、侍従に聞いた。
「エルヌ川は南のピレネーより流れ出る、我が王国が誇る最大の河川です。二番目に大きいのは王都の南西を通るセーヌ川で、この二つの川は各運河でつながっています」
「ほう、場所はどこだ?」
馬上で地図を広げ、馬を引く侍従に見せた。
平原からおよそ二十八ディスタ(およそ五十キロメートル)であった。
そしてこの夜、再び神から呼び出された。