第13話 大隊と火炎
リーズはゆっくりと杖から離れた。
魔法の基本の三つ。
「物体の動きを変える事」「物体の性質を変える事」「魂を操る事」
このうちの二つを魔女のリーズは使用した。「物体の動きを変える事」というのは、魔力によって物体にエネルギーを強制的に与えるものだ。
彼女は自らを空中に浮遊させ、地上でいる時と変わらない姿勢になった。
「ふう……一つ一つ、基本に沿って……」
冷静に、深呼吸をして、次の動作に移る。
右手に杖を持ち、左手は自由になった。衣服にも魔法をかけ、風が吹いた程度では身体から離れないようにしたという。
そのまま、二千レヒから、百レヒ(約一五〇メートル)まで降下した。
既に魔王軍との距離は五百レヒ(約七五〇メートル)である。魔王軍からは射程内に捉えられているが、突如として現れた彼女に、彼等はまだ気づいていない。
華やかな曲が聞こえて来ている。王国軍の軍楽隊の演奏だ。
振り返ると、王国の大隊がかなり近づいていた。
しばらく少女は考えた。どうやって魔王軍と戦うか、である。大隊と協力して敵を叩きたかったようだ。
彼女は作戦を決めた。
魔王軍を見据え、左手の上に五つの金属球を作った。これは空気中の物質を作り変えた物だ。「物体を作り変える事」というのは、質量が同じでなければならないらしく、例えば百グラムの鉄を作りたいのならば、元となる物質も百グラム必要になってくる。
次に杖を上に掲げ、頭上に液体を作った。これも球状だ。徐々に大きくなっていくが、この質量を急に作り出すと、周辺の空気がなくなってしまい、酸欠状態になるらしい。球体は直径四レヒ程になり、かなりの大きさであったから、これに魔王軍は気づき、射撃を開始した。
「効かないから大丈夫、大丈夫」
リーズは自らに言い聞かせた。
首飾りには魔術印が押されていた。魔術印は所持者の意思に関わらず、条件が揃えば魔法が発動した。
リーズの首飾りには二種類の魔術印が押されている。一つは半径十レヒに、高速、もしくは質量の大きい物体が接近すると魔力が放たれる印。もう一つはその魔力を感知すると首飾りから半径一レヒの位置にある流体に圧力を加え、壁を形成するものである。
発砲音は耳をつんざくようであった。それが聞こえたのか、王国の演奏の調子が変化した。
「よし、準備完了」
彼女と魔王軍との距離は二百レヒを切った。
既に砲撃も開始されているが、魔女には通用しない。
左手にあった金属球を敵の戦列に向けて、横に一定の距離を開けて投げた。
投げたそばから、再び手の上に金属球を形成し、投げ込む。三十近い数に及んだ。
彼女がマントで顔を覆うと同時に金属球が爆発した。それも光を放って。
いわゆる照明弾のようなものだ。光量は凄まじく、至近距離ならば確実に失明した。
魔王軍の将兵は狼狽した。前線の殆どのものが失明状態になり、かろうじて見えるものも、照準して射撃することは不可能になった。徒歩によって行軍していたが、完全に停止した。
この光は、王国軍の方からも視認していたが、彼等は距離が離れており、多少眩しい程度であった。
王国軍兵士の話では、光は色鮮やかで、花火のようだったという。
リーズはさらに近づき、今度は頭上に形成した液体を発火させた。表面しか燃焼しないため、すぐには無くなる事はない。そうしてできた火球を、魔王軍の将兵にぶつけた。
基本的に人間の魔力というのは十レヒ程度しか影響を与えられないため、飛距離をのばすには、その短い距離でなるべく多くのエネルギーを与えなければならないのだという。初速を上げれば、それだけ遠くに飛ばすことができる。のちの計算によれば、火球がリーズの魔法有効距離を出た際の初速というのは、毎秒六五〇レヒにも及んだ。
一度に三十人ほどの兵士が燃えた。火を消そうとしても、液体は衣服についている限り燃え続け、殆どの者が生き絶えた。また、大半の兵士が失明状態で、まともに逃げる事もできない。
液体は可燃性であった。それも、彼女の村で代々受け継がれる、強力なものである。
リーズは杖にまたがり、魔王軍の上空を旋回した。杖の先端から一レヒに、再び液体を形成する。今度は直径八レヒほどまで形成し、火をつけ、眼下の将兵に火球をぶつけた。これを何度か繰り返すと、およそ六百人の魔王軍は潰走した。
大隊が到着した。
「こ、これは……」
「魔女がやったのだろう」
周囲には異臭が漂っていた。人が燃えた際に出る腹の底から気分が悪くなる臭いに、可燃性の液体の甘い香りが混ざって、より不快感を増していた。敵兵とはいえ、どの死体も焼け焦げ、苦しんだ末に体を丸くして死んでいるのは、哀れであり、同情に値した。
死体の数は五百にも及んだ。
本来は腰ほどまで雑草が茂っているはずだが、ほとんどが燃え、風下の北に向かって炎が広がっていく。
「午後になれば海から風が吹く。そのうちに鎮火する……」
大隊は動きを止めた。
「丁重に埋葬してやれ」
「はっ」
だが、地面は柔らかく、埋めた死体は翌日の豪雨で地表に露出した。
大隊長は考えた。自兵力は僅かに九百、それに対して敵は二万。こちらには魔女がいるとはいえ、歩兵の継戦能力には限界がある。魔女も同じようなところだろう、と考えた。
人は、働けば疲れる。長く歩けば疲れるし、死の危険が身近に迫れば精神的にも疲れる。運動すれば腹も減るし、睡眠も必要になる。無論、歩行速度も射撃能力も落ちてくる。
人間は意外にも頑丈で、多少の負荷には耐える事が出来るが、ここで体力を使い果たしてしまっては元も子もない。
思考中、魔女がやってきた。
「そうか、魔女を使えとはそういうことか」
周辺の偵察に使うのだ。魔女であれば、敵に倒され状況が掴めなくなる心配もないし、鳥のように空から全容を把握する事ができる。大隊長はそう判断した。
「魔女殿」
「は、はいっ!」
「周辺の偵察をお願いする。敵を発見したら攻撃しても構わない。どうか、我が隊を救ってくれ」
この大隊は、追撃が任務のため、どうしても本隊と離れてしまう。それに目標が敵二万のため、ともすれば包囲されて全滅してしまう。王国全軍からすれば屁でもないが、本人たちにすれば、捨て駒扱いなどたまったものではない。
「わかりました」
リーズはこの、むしろ懇願に近いような指示を承った。ただ、彼女はこの指示を単なる攻撃命令だと感じたようだ。
セダンの戦いにおいて王国軍を打ち破った魔王軍は、わずかに二十分で一万もの損害を出した。魔女一人によってである。