片思いは苦くて酸っぱい〜猪突猛進希美ちゃんバージョン
「片思いは苦くて酸っぱい」の続編ではありません。
同じシチュエーションで、ヒロインの性格変えてコメディにしたら違う話になってしまいました。
親友の知花ちゃんに教えられてやってきたのはとある駅前のカフェだ。
カフェ・ネージュ。
ここで松本君がバイトしているらしい。
私・香川希美は決意も新たにカフェ・ネージュの扉の前に立った。
松本君は有り体に行っても言わなくても私の片思い相手。いつも通学で使っている電車が一緒で、彼がお年寄りに席を譲ったりする自然な姿に目を奪われ、気がついたらいつも目で追うほど好きになっていた。
同じ学校、同じ学年の隣のクラスだけど、全く接点がないので名前も顔も覚えてもらっていないだろうと思う。
だからこそ、私はカフェ・ネージュに来た。こっそり彼を伺い見るまたとないチャンス、あわよくば話しかけてもらったり(注文を取りに来るとか)笑顔だって向けてもらえる(営業スマイル)かもしれない。
念のためいつもポニーテールに上げている髪を下ろしメガネをかけて変装にもならない変装をして、微妙な下心満々で私はカフェ・ネージュの扉をくぐったのだった。
ちりりりん。
涼やかなドアベルの音とともに踏み込むと、白を基調にした店内が目に飛び込む。
なかなかにオサレではないですか。王子様のような松本君にはお似合いかもしれない。
「いらっしゃいませ」
すぐに店員さんが声をかけてきてーーーーって、
はい、お約束ううううっ!
初っ端からラスボス松本君だああああっ!
おまけに営業スマイル全開です。ここで鼻血を吹かなかった自分を褒めてあげたい。とはいえ内心は吹いた鼻血の勢いでトリプルアクセル跳べそうなくらいだけどね!
破壊力抜群な歩くスタンガンだよ。ちらりと振り向いて笑うたびにこっちはビリビリとしびれてしまう。
やっとの思いで案内されたカウンターに座り、メニューを開く。
開いて、私は固まった。
この店、コーヒーしかドリンクがない……だと……?
実は私はコーヒーが苦手なのだ。お子ちゃまだと笑うがいい。でもあの苦味、微妙な酸味。甘いコーヒー牛乳とかならまだしも、ブラックコーヒーなど恐ろしくてチャレンジできない。だからコーヒー専門店など入れるわけもなかったのだが。
一生の不覚。
メニューを眺めながら段々冷たい汗が背筋を流れる。私は自他共に認める猪突猛進娘だが、中身はとんだチキンなのだ。
ーーーーコーヒー専門店ではミルクたっぷり砂糖たっぷりなんて邪道だと嫌な顔をされるのでは……?
もちろんそんなのはただの私の思い込みなんだけど、この時は思考がどんどん深みにはまって抜け出せなくなっていた。
「ご注文は?」
「ーーーーブレンドで」
やっちまったあああ!
運ばれてきたコーヒーを前に私は固まっていた。
でもここは頑張らねば。ブラックも美味しく飲めるオトナなところを見せなければ!
「ここの店のコーヒーが大好きで」って、通う口実もできる。松本君にだって褒めてもらえるかも(もはや妄想)
意を決して私はカップに口をつけた。
苦いっ!
私は顔をしかめないように必死だった。でも、ブラック飲めるようにならなくちゃ!
もう一口。
専門店だけあって自宅で淹れるインスタントなんかよりははるかに飲みやすいけど、やはりブラックはブラック。
無理だ。
私は敗北感いっぱいでコーヒーに砂糖とクリームをたっぷり入れた。
しかしこうなるとブラックコーヒーを飲めるようにならないと松本君に告白などしてはならない気がしてきた。もともと告白する気があったわけじゃないのに「これをクリアできないと松本君に近づけない」的な強迫観念が生まれてしまったのだ。
私は貯めておいたお年玉を崩しつつ、カフェ・ネージュに通うようになった。
最初にブラックで何口か飲み、敗北してクリームと砂糖を投入する日々が続く。それでも少しづつブラックで飲める量が増えていく。
敗北してコーヒーに入れる砂糖やクリームも少しづつ減らしていった。
そうするとなんだか嬉しくて、数ヶ月も経つ頃には私がカフェ・ネージュに通う目的は既にブラックコーヒーチャレンジとなり果てていた。
砂糖とクリームを半分くらい減らせるようになったある日の放課後、私は知花ちゃんとハンバーガー屋にいた。
「あれ? 希美、コーヒー嫌いじゃなかった?」
「随分飲めるようになったんだよ。だから試してみたくて」
そう、無某にも私はセットのドリンクにブレンドをつけたのだ。コーヒーが飲めるようになったところを知花ちゃんに自慢したいのもあった。
まずはいつも通りブラックで一口飲んだのだけれど。
「ーーーーまっずい」
カフェ・ネージュのコーヒーより酸味が強く、香りも足りない。早々にギブアップした私はブレンドに砂糖とクリームを投入した。知花ちゃんにはアホ呼ばわりされたが、私はこの時理解した。
そうか、カフェ・ネージュのコーヒー、すっごく美味しかったんだ。
改めてそう気づいた私は、その週末もまたカフェ・ネージュに足を運んだ。
いつも通り松本君が出迎えてくれて、いつも通りのカウンター席でブレンドを注文する。
供されたコーヒーは淡いピンクの花が描かれたカップの中でゆったりと湯気を巻き上げる。
それとともに広がる香り。口をつけると口に鼻腔に広がる鮮烈な香り。
酸味はあるけどマイルドで、苦味にも角がない。
「ーーーーおいしい」
自然と広角が上がる。なんか今日はブラックのまま飲めそうな気がする。
そうして店内にゆったりと流れるジャズを聞きながら、いつのまにか私はブラックのまま一杯飲み干していた。
「や、や、やったぁ……!」
やった。やりきった!
ついにブラックを飲めた!
私は達成感で一杯だ。もちろんしずかにだけど、カウンターの下で手を握りガッツポーズだってしちゃう。
と。
「よかった……! く、くく……!」
なぜだかカウンターの中で店のマスターが泣き出した。
「マスター、よかったですね」
松本君がそっとマスターの肩を叩いた。
え? 何?
首をひねる私に松本君がにっこりと教えてくれた。
「香川さんがブラックに挑戦してるのは見ていてわかってたよ。マスター、それを手助けしたかったらしくて、ずっと気にしてたんだ。香川さんが好きそうな配合にブレンド変えてみたりしてね」
「えっ!」
色々ツッコミどころ満載だ。松本君が私の名前を知っていることや(隣のクラスだからさすがに顔と名前は知っていたそうだ)、ブラックに挑戦してるのがバレてることや、それより何より。
「わたし好みに……?」
「ごめんね、余計なことだったかもしれないけど、僕のコーヒーを君に美味しいって言ってもらえたら喫茶店冥利につきるだろうなあ、って」
涙を拭きながらマスターが心底嬉しそうに笑った。
「ーーーーありがとうございます、マスター。こんな失礼な客に付き合っていただいてたなんて」
「い、いや、僕が勝手にやったことだから」
「マスター……」
キュンと胸が高鳴る。
あれ?
なんかときめいてる相手が違わないか、私?
松本君は相変わらずの営業スマイルで接客に行ってしまい、カウンターには私とマスターが取り残される。
なんだか、気まずい。
たまらずモジモジしながらそっとマスターの顔を伺う。
マスターは20代後半くらいの人で、ちょっと天パ気味の髪、優しそうな目。
ええっと……意外とかっこいい。
猪突猛進の看板を背負った私は看板通りマスターに声をかけた。
「あ、あの、マスター」
「は、はいっ!」
「これからもマスターのコーヒー、飲みに来ていいですか」
そう問いかけるとマスターががばりと顔を上げた。
そしてひどく嬉しそうに笑顔を見せた。
「もちろん、待ってるよ」
その笑顔に私の胸はかつてないほどに高鳴るのだった。
それからも私のカフェ・ネージュ通いは続き、松本君がバイトを辞めても私は通うのをやめなかった。
目当てはカウンターの中で穏やかに微笑むちょっと年上の恋人と、彼の淹れる美味しいコーヒーだ。
先人いわく、コーヒーは悪魔のように黒く地獄のように熱く、天使のように純粋で恋のように甘い、と。
その通りだなあと今日も私はマスターの私専用ブレンドをブラックで味わうのだった。
書いてるうちに「あれ? こんなはずじゃ……」となりました。いつの間にマスターとこんなことに?!
恋に恋するお年頃の女子高生が本当の恋を見つけるお話、ということにしてやってください。
失礼しました!