実験16
その日、村に警鐘が鳴リ響いた。
魔獣の到来を示す音。それは既に予想されていた音であり、すべての村人が警戒していた音だ。
だから、慌てる者は居ても驚く者は居ない。恐れる者は居ても悲しむ者は居ない。
何回か予行していた通りに、村の男たちは北以外の村の外周へと村を背後に囲むように移動し、女子供は村の北側よりに移動する。男たちが動いたのは魔獣を迎え撃つためであり、女子供は安全な位置に身を隠すために北に向かっていた。
身を守るためならばなぜ彼女たちは村の中心ではなく北側に移動しているのか。魔獣を迎え撃つためならばなぜ彼らは北に向かわないのか。それは――北側の魔獣はデンカが迎え撃つ手はずになっていたからだ。
現在この村で最強の存在。その彼女が北に向かう以上、他に村の男が来る意味があるはずもないし、その場所が村の中で最も安全であるのも間違いが無い。故に、その配置。
「ついに来ちゃったみたいだね。意外と遅かったような気もするけどさ」
警鐘が鳴った時に部屋で休んでいたデンカはそんな事を言った。村の誰もが予想していた事態とはいえ、彼女ほど楽観的で落ち着いた状態にあった者はいなかっただろう。
「本当はこのような事は起こらない方が良いのですけど。ですが、こうなったからには犠牲を出さずに魔獣を撃退するしかありません。一刻も早く持ち場へ向かわないと」
楽観的なデンカを少しせかすようにリリアは宣言した。
今回の魔獣襲撃にあたって、中級魔法を扱えるリリアもまた重要な役割を担っている。デンカが最も援護しにくいであろう位置である、反対方向の南方面で村人たちの援護をする役割だ。質ではなく量が厄介な魔獣を相手になら――いや、量ではなく質が厄介な魔獣であったとしても、並みの魔獣が相手ならば中級魔法は十分な対抗手段となりうる。
「怪我をした人たちは私が治療しますわ!」
ラジアータは自信満々にそう主張する。
彼女の役割は、村の中央に待機してけが人が出た場合にすぐに駆けつけるという物だ。どちらかと言えば補助的な物であり、この場にイベリッサが居れば、『それくらいしか役に立たないでしょう』とツッコミを入れていたかもしれない。
三人は、それぞれ別の場所に、それぞれ別の役割を果たすために行動を開始した。
= = =
集まっていた村の女子供をかき分けるようにして、デンカは村の北端にたどり着いた。
子供たちはその幼さゆえか若干の怯えがあり、その母親たちの目には警戒の色が宿っている。その視線の先に居るのは――魔獣だ。
視界の右端から左端まで。
魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣。
デンカが最初に出会った時のように十匹程度ではない。数十匹ですらない。百匹、数百匹の魔獣がまばらに隊列を組んで村全体を囲んでいた。
何百もの獰猛な肉食獣の瞳が光り、何千もの鋭い牙がきらめいている。まともな精神の持ち主ならば戦慄するその光景を前に、デンカは――冷や汗一つかいていなかった。
虚勢ではなく。ただ冷静に論理的に機械的に、自分が負けるはずがないと『知って』いる。
そしてデンカは村人たちの先頭から一歩前に出て行動を始めようとし――後ろに引っ張られるのを感じた。
幼い、十歳くらいの少女がデンカのスカートを掴んでいたのだ。
「騎士様……」
彼女は言った。
「あたしたちを守って」
手を震わせながら、怯えで瞳を潤ませながら、彼女は言った。それは力を持たない少女が振り絞った、精いっぱいの勇気。
だから、少女の頭に手を置いてデンカは答える。
「大丈夫、『すぐに』終わるから」
それだけを言い残し、デンカは――前に駆け出した。
前へ、前へ、前へ!
銃の真価はその射程にある、銃は待ち伏せている時こそ最も強い――そんな事は知っている。
だけどデンカは前へと走る、魔獣との距離をひたすらに縮めるために。
『『ギィシャァァアアア!!』』
デンカの接近に反応して、数匹の魔獣が雄たけびを上げながら跳ね上がる。
大型の犬ほどはあるその巨体が、まるで暗雲のようにデンカの頭上に影を作り、彼らの白い牙が降り注ぐ霰のようにデンカに襲い掛かった。
直後。
その声を黙らせるように乾いた音が鳴り響き、血しぶきと共にブラック・モルファたちの体が宙を舞った。その音は、銃声。
だが、一発でも無ければ二発でもない。
マスケット銃による発砲ではなく、銃も火薬も弾丸も全てスキルによって生み出された短機関銃による連射だった。
「もうわざわざ手加減してやる必要はないからね。サブマシンガン、マシンガン、ショットガン、ありとあらゆる兵器であなたたちを撃ち殺す」
デンカの足元が黒く渦巻き、花でも咲くようにいくつもの銃口が現れた。
彼女の宣言通り、戦いはすぐに終わる事となる。
= = =
戦いが始まるほんの少し前。
「なぁ、俺たち本当に大丈夫なのかな」
デンカもリリアも居ない二つの方角の内の一つ。隊列を組む男たちの中でも特にひ弱そうな者がそう呟いた。
「デンカさんと貴族様を信じるしかねぇだろ。俺たちは出来る限りをやるしかねぇんだ」
男は覚悟を決めた様子で胸の前で十字を切る。彼はクリスチャンだからだろう、それは神への祈りの仕草だ。
話している二人の視界には既に何匹ものブラック・モルファが蠢いていた。最初の一匹が飛びかかった瞬間に一斉に襲い掛かる習性をもつブラック・モルファは、もういつ襲い掛かってきてもおかしくない。
隊列を作っている男たちの表情が緊張で固まる。恐ろしいし、心細いし、怖い。彼らは農民や職人であって、戦士では決してないのだから。
彼らの眼前でブラック・モルファたちがじわりじわりとその距離を詰める。
臆病な男にとって、その光景はまるで死刑への秒読みのように感じられた。
いかにブラック・モルファが質より量を持って敵を攻める魔獣とはいえ、彼らの質がただの村人を下回るという事はない。確かに、中級の戦士が数人いれば敗北はないだろう。下級の戦士でも数十人いればいくらでも戦いようがあるのだろう。だが、彼らは戦いを生業としない村人であり、その中で最も強い者であっても下級の上位に届くかどうかといったところだ。
だから、ただの村人たちが何人集まったところで魔獣には絶対にかなわない。
『『ギィイイイ!!』』
右から左へと、伝染するようにブラック・モルファの雄たけびが上がる。それは、どこかで戦いの火ぶたが切って落とされたという彼らの合図だ。
最初の一匹が戦いを始めた瞬間、他の全匹も続いて襲い掛かる!
何百もの魔獣が走り出した事により、地面が揺れた、土煙が舞った――村人たちが恐怖した。
ただの村人では絶対に魔獣にはかなわない。『ただの』村人であったなら――
「撃てぇ!」
その空間に『銃声』が鳴り響いた。
隊列を組む男たちの全員がマスケット銃を構えており、それによって何十という弾丸が飛来する。一発ならばブラック・モルファは弾丸を見てからかわせるだろう。だが、その数の弾丸を全てかわすことなど不可能だった。悲鳴と共に、何匹もの黒い死体が横たわる。
そう。
銃こそがこの状況を打開する切り札だった。
たった数時間の訓練だけで、村人ですら中級魔法相当の火力を叩き出す。それはデンカの専売特許などではなく、誰にでも再現可能であるという科学の大きな強みを生かした切り札。
火薬も弾丸も銃身もスキルがあれば作り出せる。だが、『スキルが無くても作り出せる』。デンカはこの世界にきてから作り続けてきた兵器のすべてをこの村に持ち込んでいた!
「次弾、撃てぇ!」
号令と共に二回目の銃声が鳴り、死体の上に死体が積みあがった。
残っているブラック・モルファの数は最初の数割まで減っている、生きている物でも殆どが負傷している、だが――
(そろそろ限界かッ……)
号令を出していた男が表情を曇らせた。
銃とは言えマスケット銃。いかにデンカが改良を加えようと、いかに魔法陣による補助があろうと、そう何発も連続で撃てる物ではない。
村人たちとブラック・モルファとの距離は、それだけ縮んでいる。このままでは――
「大丈夫だ」
声がした。
男の声。振り返ると、そこには『目の下に刺青をいれた男』が立っていた。
「私は一対多にはむいていないんだが、これだけ数が減れば問題ないだろう。……あぁ、あと私が行ってからも撃ち続けて構わんよ。流れ弾程度なら全て避けてみせるからな」
そう言って男――フューレは魔獣の群れの中央へと向かった。




