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エピローグ1

 「今は何時だ?」


 アルヴェンスは島の岬で空を見上げていた。太陽は徐々に真上に近づきつつあり、海面には反射した太陽の光が眩しく輝いている。


 「この季節にこの角度ですと……十時から十一時の間、十一時にやや近いくらいの時間ですね」


 太陽の位置を確認しながら、コウカが現在の時間を割り出していく。何か特別な器具を用いているわけではないが、彼のその予測は正しかった。


 「そうか――なら、もうラジアータは島外に出てしまったんだろうな」

 「そうですね、この島の結界が解かれたのが一時間前ですから十分に時間があったはずです」

 「ごめんなさいね……」


 謝罪の言葉を発したのはシグレだった。


 誤っているわりには申し訳なさそうでは無く、かと言って反省はしているような、そんな表情をしている。


 「私が最初から全力を出していたら良かったのでしょうけど、直前の戦いでのダメージは大きかったわ。それに……とても楽しくって。昔の事を思い出してしまったのです、うふふ」

 「まぁいいさ、ここでの出来事はかねがね想定通りに進んだが、想定外の出来事が大きすぎたからな。ラジアータごとき殺し損ねた所で支障はあるまい。それよりもあの男――ディスレキシアの騎士をここで『殺す事が出来た』のは収穫だ。ディスレキシアが退場するだけで、考えねばならんことがかなり減る」


 いや、とアルヴェンスは発言を撤回する。


 「あの男を殺せた事そのものが収穫だったな。あれほど強い人間が隠れて潜んでいては何が起きたかわかったものではない」


 アルヴェンスがそう評価するほどにチョウリは強かった。三対一で囲まれて、圧倒的不利の状況に追い込まれて、しかし数時間も戦い続けたのだ。戦いこそ一方的だったが、いくつもの致命傷を負い最後には鎌を心臓に受けて、それでも動き続ける様には鬼気迫る物があった。


 だから――


 「仲間に出来なかったのは惜しいな」


 そんな事を口走ってしまう。シグレとチョウリが協力すれば敵など居ないと確信出来るからこそだ。勿論、チョウリが死んでしまえばそんな事はもう夢物語だった。


 「まぁ、そんな事は考えても仕方ない。まだまだ倒さなくちゃならない敵はいくらでもいるからな。――コウカ!」

 「なんです?」

 「こっからは約束通りだ。お前たちは好きに他の王族たちを殺してりゃいいし、俺が裏からそれを援助してやる。後この島の『後始末』も任せたぜ」

 「はい、その件はよろしくお願いします」

 「ちゃんとサイネリラの手綱は引いておけよ。俺たちは、俺たちでやることがあるからな。あぁこれからが本番だとも」


 そう言ってアルヴェンスは笑を浮かべた。はるか正面を見据えながら。


  =  =  =


 同時刻、ヴァミール湖にて。


 デンカ、ビショップ、ラジアータ、フューレの四人を乗せた船は順調に丘へ向かっていた。到着までもう十分ほどしかかからないだろう。


 その楕円形の船の中央に作られていた椅子にデンカは座っていた。


 別に目立ちたいから船の中央に居るわけではない。デンカのスキルの射程である眼球から五メートル二十三センチを守ろうとすると、必然的に彼女を中央に据えた形状の乗り物が出来上がったのだ。それ以外の形で船を作れない訳ではないが、戦闘に入るなどして彼女自身が動かなければならない場合、船の上で動ける範囲の大きいこの形が最適解と言えた。


 もっとも、戦闘に入る気配もない現在、それは完全に無駄になっていたが。


 「う~ん」


 そんな声を上げて悩んでいる様子のデンカを見て、ビショップが声をかける。


 「どうした? アルヴェンス達から攻撃が来ないのはあれっしょ、なんかトラブルでもあったんだぜ。案外あの料理人が倒してたりしてな!」

 「流石に倒してはいないと思うけど……まぁ何かはあったんだろうね」


 何も無ければ、殺そうとしていたラジアータと自分たちをみすみす見逃すはずがない。見逃しているという事は逆説的に何かがあったに違いないのだ。


 そこまではデンカも考えていた。


 「でもわたしが考えているのはその事じゃないんだよ。……勢いで一緒に行動してるけどあいつらどうしよう」


 小声でささやくように伝えながら、デンカは船の端に居るラジアータとフューレを指さした。


 水面下で回転するプロペラが珍しいのか、二人は船端をつかみながら下を見ている。


 「シグレに攻撃されてやばそうだったらあの二人をスケープゴートにして逃げようと思ってたけど、こうなっちゃったらもう用が無いよね」

 「陸に着いたらバイバイすればいいっしょ? それともここでバイバイしちゃうか?」

 「それも考えたけど、敵対してるわけでも無いのに殺しちゃうのはなー。でも競争相手ではあるんだよね」


 答えのなさそうな問いを延々と自問し続けるデンカに、ビショップは軽く肩をすくめてみせた。


 「俺みたいなのは殺すのが一番安全って考えちゃうけどな。別にどっちが正しいってわけでもないし、姉御がしたいようにすればいいさ。俺はただ従うだけさ」

 「従うだけね――」


 その言葉にデンカは反応する。


 機械のように。自分も従うだけだ。


 「はいわかった。じゃぁこれもって少し離れて『透化とうか』して」

 「ん?」


 飛躍するデンカの発言に混乱しながらもビショップは言う通りにする。彼の姿が消えるのを確認すると、デンカはラジアータとフューレに声をかけた。


 「二人ともちょっとこっちに来て!」

 「なんですの?」

 「はいそこでストップ。右に一歩ずれて、後ろに二歩後退して」

 「?」


 デンカに言われるがままに移動するラジアータ、そしてラジアータに付き従うようにフューレもまた移動する。誘導された位置はデンカのスキルの射程範囲内、そして同時にビショップのスキルの射程範囲だった。


 「おっと」

 「え?」


 その地点に移動した瞬間に未来が確定し、それを観測したフューレが細剣を取り出す。


 「さぁお嬢様、どうします? 戦いますか? 勝てる見込みはかなり小さいですが」

 「えっ?」


 驚き続けるラジアータをよそに、デンカは銃を二丁作り、それをラジアータとフューレにそれぞれ向けた。


 「さぁ! 命が惜しければ武器を捨ててわたしの主の下まで来てもらおうか!」


 それは今まで協力してきた人間から言われるとは到底思えないような、盗賊か強盗にこそ似合いそうな発言であった。


 そんな衝撃的な宣告を受けてラジアータは――


 「ええ! 喜んで!」

 「えっ?」


 最後に驚いたのはデンカだった。


  =  =  =


 数時間後。


 ラジアータとフューレは宿の一室にいた。


 デンカとビショップも同じ宿に居るのだが、同じ部屋にしなかったのはラジアータのあまりの快諾っぷりをデンカが考慮したからだった。


 「しかしお嬢様。もっと決断に悩むかと思いましたが、なぜあそこまで喜々として提案に乗ったのです? 別に判断を疑っているわけではありませんが、これは言い換えればただの拉致ですよ」


 フューレの疑問は正当な物だった。勝てないから相手に従わなければならない。だが、喜んで相手に従う必要は無いのだ。


 その疑問に、ラジアータは理性的に答える。


 「私は最初からこの戦いで勝つことは諦めていますわ。だけど私が生きている限りお父様は私に結果を出すようにせかすでしょうし、私が生きている限りアルヴェンスは私の命を狙うでしょう? でしたら、ここらへんで死んだふりでもしておいた方が良いと考えましたの」

 「ほう、確かに理に適っているかもしれませんね。だが本当にそれだけか? 相手が我々を殺そうとしている可能性には怯えないのですか?」


 その疑問に、ラジアータは感情的に答える


 「そんな可能性はありませんわ。あんなに優しい方が酷い王族に仕えているはずがありませんもの」


 それは何の根拠もない反論。だが、フューレは彼女の言葉に耳を傾けながら、くっくっくと悪魔のような低い笑い声をあげた。


 人によっては恐怖や嫌悪すら感じるような笑い方だったが、それが耳に入っていないかのような調子でラジアータは言葉を連ねてゆく。


 「最初に事件が起きた後、デンカ様は恐怖していた私を心配してお守りを下さったわ」


 ――あいつはアレを一人だけではなく貴族全員に配ろうとしていた。今思えば何か仕掛けてあったんだろう、心配していたはずがない。


 「アルヴェンスに私たちが見つかった時、奇跡的なタイミングで駆けつけてくれた」


 ――我々が最後の一人になったからアルヴェンスは我々の場所に来た。そして同じ理由であいつも私たち以外のところに行く理由が無かった。理由が同じならそれは奇跡ではなく必然だ。


 「私の命が狙われた時、命がけで戦ってくれました」


 ――戦ったのは人数が多い方が勝算が高いと踏んだからか、やつら自身命がけだったからだ。断じてあなたの為ではない。


 フューレは心の中でそう反論していたが、声に出すことはしなかった。その言葉がラジアータに届くはずがないし、仮に届いたとしても意味のない事を理解していたからだ。


 それに、その論理が欠陥だらけだろうが間違っていようが、彼にとってはどうでも良かったのだ。


 「お母様もお婆様にも言われてきましたが、今日になってようやく理解できた気がしますの」

 「くっくっく。そうだ、お前の母親も、その母親も、――『その母親も』そうだった」


 興奮が高まっていくラジアータの様子を見て、フューレも笑みを浮かべる。それはラジアータの一族に代々見られる度を過ぎた恋心に対する物であり、彼らに仕えると決断した自らの選択に対する物でもあった。


 「ハイ! あの人が私の運命の人――私の王子さまですわ!」


 赤い髪よりもさらに赤く瞳を潤ませて。白い髪よりも白く瞳を輝かせて。ラジアータの状態は夢見がちな恋する乙女そのものだった。

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