実験5
「どうしたのさ、三号」
わたしがベッドに横になって眠りにつこうとした時、三号がカゴのなかでガタガタと暴れ始めた。
仕方ないのでベッドから一度出て、カゴの中を確認してみるが、三号以外に変わった様子はない。
「キュイ!」
わたしを真っ直ぐに見つめて鳴き声を上げる三号は、明らかに何かを伝えようとしている。
この現象は、初めてじゃない。
わたし達がこの世界に来たばかりの時、あの巨大な恐ろしい生物に直面する寸前にも、三号は同じような行動を取っていた。
嫌な予感がする。
わたしは自分がいた部屋から出て、階段を勢いよく駆け上がった。向かう先はリリアのいる三階だ。
気のせいであって欲しい。
――だがその願いはあっけなく砕かれる。
「なっ……!」
その光景を見て、わたしは絶句する。
三階に上がったすぐそばの壁に、寄りかかるようにして倒れている男が一人いた。リリアに、ワスコと呼ばれていた執事だ。
彼は……無事と呼べる状態ではなかった。
脚のすねの部分に大きな切り傷があり、絶え間なく流れ続ける血の合間からわずかだが白い骨が見える。腹部、腕、顔にも数えきれないほどの怪我を負っていて、彼の来ていた黒色の執事服は今や毒々しい茶色に染められていた。
暗い中でもはっきりとわかるような大きさの血だまりに座り込む彼と目が合う。
「何があったの!?」
わたしは彼に駆け寄って手当をしようと試みる。医学については全く知識がないけど、すぐにでも止血しなくちゃ危ない状況なのは一目瞭然だ。
「ぐっ……。デンカ……さま……すると……」
ワスコは苦悶の表情を浮かべながら確かに言葉を発していく。
「デンカさま……お嬢様を助けてください……。さらわれて……」
「わかった!どっちに行ったの?!」
「外に……」
嫌な汗が背中を流れる。
これは非常にまずい。
この屋敷に階段は一つしかないから、わたしが昇ってた時に降りてる所を見なかったって事は、既に距離が離れてる可能性が高い。
わたしはすぐさま階段を降りようとしたが、ワスコがそれを止める。
「なに!」
「これを……」
ワスコは震える手で差し出したのは、一振りの剣。銀色の装飾に、鋭く細い刃を持つその剣はレイピアと呼ばれる類の武器だ。
わたしは乱暴にその剣をわしづかみにすると、滑り落ちるように階段を走り下りて、屋敷の外に出る。
リリアはどこに連れていかれた……。
あたりを見回すと、それはすぐに見つかった。
見覚えのない大きな馬車が、暗闇の中、几帳面に屋敷のそばにとめてある。
馬車は布で覆われているタイプのもので中が見えないけど、間違いない。リリアを連れ去ったやつはあの中にいる。
中にいるやつに気付かれないように近づくと、中から声が聞こえてきた。リリアだ。
「何のために私を誘拐しんですか! 渡せるような大金もこの領地にはありません」
「あ? 知るかよそんなもん。依頼したやつに聞いてくれ。それに依頼されたのは誘拐じゃなくて殺人だ」
殺人。
その言葉を聞いて頭の中が真っ白になる。
「リリア!」
「デンカさん!?」
思わず馬車の中に駆け出していた。
中にいたのは腕を縛られた状態のリリアと男が二人。薄汚れた服を着ている男たちは、見るからに粗暴な顔つきをしている。
「あんだぁ?」
「無能力者です兄貴。わっしが相手します」
男のうち小柄な方が目の前に立ちふさがった、武器のようなものは持っていない丸腰状態でだ。
「邪魔!」
ワスコからもらったレイピアをそいつに向かって突き出す。
だが男はそれをするりと回避すると、わたしの腹に拳を叩き込んだ。
ッ……!なに?!
別に強く殴られたような感触はない。
なのに全身がしびれて動かない。
「やっぱ雑魚だったみたいですぜ、兄貴」
「ま、おおかた屋敷のメイドが慌てて駆けつけたってとこだろうよ。悪くねぇ見た目だし丁度良かったぜ」
しびれて座り込んでしまったわたしを見下ろしながら二人はそんなことを言っている。
「フレアランス!」
その時、男たちの背後でリリアが大きな声をあげる。
その瞬間、一メートルほどの赤い炎の槍が現れ、二人の男に向かって打ち出された。ごうごうと音を立てて燃える紅蓮の槍の一撃。当たれば男の体を問題なく貫いただろうその一撃は、だが男の手前で霧のように霧散した。
「無駄だって言っただろぉ! 俺の『魔消』のスキルがある限り、てめぇの魔法攻撃はカスの役にもたたねぇんだよ!」
わたしを雑魚だと判断したからだろうか、二人の男はわたしを馬車の隅に蹴り転がして、リリアがいる場所に視線を向けた。
「さぁてぇとぉ! さっきお前に言ったよなぁ!依頼はお前を殺すことだってよ。ならなんで今生かされてるかわかるか?」
「兄貴!先に見張りはしときますから壊さないで下さいよ」
男たちが下卑た笑みを顔に浮かべながら、リリアに値踏みするような視線を飛ばす。
……こいつら、リリアを弄んでから殺すつもりだ。
反吐が出る。ただただ嫌悪感しか沸いてこない。
「クソ野郎共が!彼女に指一本触れてみろ、絶対に殺してやる!」
「チッ、うるせぇよ!」
舌打ちをしながら男がわたしの腹に蹴りを入れる。
転がすためだけの蹴りとは全く違う、今度のそれは人を痛めつけるための一撃。
「ぐッ……」
刺すような熱が苦痛となって腹全体に広がる。
「てめぇは連れて帰って売り飛ばそうかと思ってたが、気が変わった……。先にお前の方を犯してからぶっ殺してやる」
わたしの服を引き裂こうとする男に抵抗するが、さっきの痺れがまだ残っていて満足に抵抗できない。
このままでは何もできずに殺されるだろう。
だけどわたしの心にあるのは絶望じゃない。
殴られて蹴られた腹は痛くて、押さえつけられてる腕も苦しいけれど。
何もできずに好き放題されるのは悔しいけれど。
だけど。
わたしの中で、今も泉のように溢れている感情は怒りだ。
憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!
あぁ――視界が赤い。
わたしを脱がせようとしていた男が急に立ち上がり、わたしから距離を取った。
「――ッ! ジャンド、こいつを『観定』しろ!」
「今こいつ、スキルを授かりやした!『奇械』です!」
あぁ、『奇械』その言葉は、まるで鏡に映る自分自身のようにしっくりくる。
それはきっとわたしの気持ちに答えてくれるだろう。
「なんだ驚かせやがって、変なからくり作るだけの低級スキルだ」
「でも兄貴、あの目は……」
「あれは関係ねぇ、きにすんな」
わたしは、生み出した『それ』を兄貴と呼ばれている男に向けた。
「あん?魔法ならきかねぇって言っただろうがよ」
無防備に男は近づいてくる。
やはり、この世界に『それ』は存在しないのだ。
怒りと殺意の象徴のようなこの武器は。
「死ね」
単発銃モデル・デリンジャー。
大統領エイブラハム・リンカーン暗殺にも使われたというその銃が乾いた音を発し、目の前の男は眉間から血を吹き出して倒れた。
人を殺すのは初めてだ。しかし罪悪感は感じない。
わたしの中では、膨れ上がった怒りが静かにゆっくりとその大きさを縮めていくだけだった。
だけど、動揺はしていたのかもしれない。
「兄貴!」
そう叫んだ男の事を失念していた。
ジャンドと呼ばれた男は、わたしまでの距離を一瞬で踏み込み、拳を振り上げる。
急いでデリンジャーをもう一丁作り出す。だが間に合わない。
近距離であれば銃の発射より拳の方が早い。
わたしは覚悟した――その瞬間。
「フレアランス!」
炎の槍が再び現れる。
それは今度こそ、消えることなく男の体を貫いた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!」
心臓をえぐられた男が、火だるまになりながら苦悶に満ちた悲鳴を上げる。
火のはぜる音と肉の焼ける匂いがし、しばらくして悲鳴は聞こえなくなった。
馬車の中に残るのは、一つの射殺体と一つの焼死体とわたしたちだけ。
不思議と炎は馬車に燃え移ることがなかった。
「デンカさん!」
そう言って飛びついてくるリリアを、わたしは受けとめる。
「怖かったんです!恐ろしかったんです!ワスコがやられた時も、連れ去られた時も、デンカさんが殺されそうになった時も……」
「でもわたしたちは無事だし、ちゃんと生きてるよ、リリア」
わたしの胸のなかで泣いているリリアが落ち着くまで、わたしは彼女を抱きしめていた。
ようやっとスキルが出てきました…