実験17
朝の惨状がある程度片付いた厨房の中で、デンカ、チョウリ、ビショップの三人はそれぞれにくつろいでいた。
片付いたと言っても所詮場当たり的なもので、砕けた食器の破片などがちらほら見られるが、四体の死体と血痕をこの短時間で処理できた事は評価するべきだろう。元々生ゴミが出やすい厨房の特質と、『そう言った事』に慣れているらしい人間が二人いたというのが大きいが。
三人がまず優先したのはスカビオとラツィルクの二人の死体を隠蔽する事で、ビショップの『透化』のスキルも使い、二人が錯乱状態で失踪している事に仕立て上げた。これを聞いた貴族たちも、まさか厨房の料理人だけで騎士と貴族を殺せたとは考えず、三人が変に怪しまれる事もなかったのだ。
そんなわけで貴族たちをやり過ごした三人は、厨房で休憩を取っていた。
「クソッ! どれもこれもイカれて使い物にならねぇ」
悪態をつきながら、チョウリは料理場にあるコンロとでも呼ぶべき道具を手でぺしぺしと叩いている。
それが日本の料理場などでも使われているような物であったなら、叩いた衝撃でどこかの接続が改善し、再び動き出すこともあったのかもしれない。だが、この国に存在する料理器具というのはどれも魔法陣を複雑に組み合わせたような物で、壊れにくい代わりに治りにくい性質があった。
チョウリが現在進行形で蘇らせようとしている、IHヒーターのような平面状のコンロも、デンカが見ると魔法陣の一部が欠けている事がわかった。
「なぁ姉御」
今にも激情しそうなチョウリの様子を一瞥しながら、ビショップは小声でデンカに話しかける。
「姉御は『ああいうの』詳しいし治せるっしょ?」
そう言いながら、ビショップは首に巻いてある木の輪を指し示す。
それは魔方陣を利用して電波を作る機械で、デンカがビショップの居場所を特定するために付けさせている物だ。それは紛れもなくデンカが魔法陣に対する理解を深めている証ではあるのだが――
「あのレベルの物だと、絶対に治せるって自身は無いかな。まぁ見るだけなら出来るし、軽い傷とかなら治せるかも知れないけど……治したい?」
チョウリの形相を見れば、治せばどうなるかは明らかだった。
あの男は器具の蘇生に歓喜し、フルコースを作り始めるのだろう。
料理人が二人殺され客人も四人死に、複数の殺人犯が屋敷にいるこの状況にもかかわらず。
料理場にいる三人全員が、料理人に成るためにこの島に来たわけではないと共通認識を持っているにもかかわらず。
これだけの事が起きたのだから、これからの食事はパンなどすぐに食べられるものを渡しておけばいいだろう。そう思っていたデンカとビショップはチョウリの熱意に半ば感心し、半ば辟易していた。
そして木片で火を起こそうとし始めたチョウリの姿を見るに見かねて、ビショップがチョウリを止める。
「待った待った! これだけの異変が起きてんだから、俺らがそこまでする必要ないっしょ。パンとか出せる物を出していこうぜ」
「あ゛あ゛? テメェなめてんのか」
「そこまでブチ切れるか……。第一、あんたの目的はここで料理を作ることじゃないっしょ」
ほぼ切れていたと言っていいチョウリだったが、目的という言葉に反応しておとなしくなった。そして渋々といった様子で火を起こすことを諦め、積んでいた木片を蹴り飛ばした。
「そうだ。確かに、そうだ。確かに、俺の目的はここで料理を作ることじゃぁねぇ。だけどならどうする? スキャッターを見つけると言ったお前のボスは厨房で座ってるだけだ。悪いが、このまま進展がないのなら勝手に行動させてもらうぜ」
チョウリはビショップを睨み付けるように告げるが、返事をしたのはそれを聞いていたデンカだった。
「昼までに結果が出せなかったら、申し訳ないけどそうしたほうがいいかもしれない。でもこの方法の方が見つける確率はかなり高いはずだよ」
「それはお前が連中に配っていた『お守り』となんか関係があるのか? 受け取らなかった奴もいたが」
「そう。半分は持っててくれてるみたいだから十分だよ。わたしのスキルについてだから詳しくは話さないけどね」
「そいつを教えてもらえればもう少し信用できるんだがな」
「チョウリだってスキルを隠してるでしょう?」
そして黙るチョウリに向けてデンカは続ける。
「やっぱり持ってるんだね、言う気が無いみたいだから聞き出す気も無いけど。それに――結果が出た」
数時間前に貴族たちに配っていた『お守り』。それはデンカが生み出した機械を使って隠すように魔法陣を刻み込んではいるが、性能はビショップの首にかけられている物と変わらない。装備している人物の魔力を、気付かないほど少量だけ使い、電波を発生させる物だ。
そして当然だが、死ねば人の魔力は消える。
「マスター、電波の反応が途絶えましタ。位置は東に約四十メートル、北に約十五メートル、上に約四メートルでス」
デンカにだけ聞こえる声で、『奇械』がそう報告した。そして得た情報を脳内の地図に当てはめ、デンカは部屋を特定する。
「サイネリラ・エル・デルフィニラスの部屋で人が死んだ可能性がある」
「――!」
それを聞くや否や、チョウリは厨房を飛び出した。
一言も発さずに駆け出すその行動は軽率だ。だが、正しい。
今人が殺されたのならば、一刻も早く現場に行かなければ犯人は逃げてしまうかもしれないのだから。
ビショップもデンカも文句を言わずにチョウリを追いかける。そして巨大な屋敷の中を疾駆し、サイネリラの部屋の扉の前にたどり着いた。
「いいんだな? マジに死んでるんだな?」
「死んでいる『可能性がある』と言った、お守りを外しただけかもしれない」
「まぁいい、とにかく開ける!」
チョウリが扉を蹴り開けると、そこには血溜まりがあった。
床を黒く変色させ、奈落へと続くのかと思わせるような赤い円。
その血溜まりの中央には辛うじて人間であることがわかる肉のカタマリが二つあり、周囲には数え切れない程の肉片が散らかっている。
そして目で見ることが出来るのではないかと錯覚するほどに濃い死臭の中、一人の子供が背中を向けて座り込んでいた。
サイネリラ・エル・デルフィニラス。
白いドレスを赤く染めて。
赤いリボンはさらに赤く染めて。
「大丈夫か!?」
サイネリラを心配して駆け寄ろうとするチョウリを見て、デンカは警鐘を鳴らす。
生きている人物が一人しか居ないこの部屋で、誰が加害者かなど考えるまでもないのだから。
「チョウリ!」
「――!」
背中を向けていたサイネリラが一瞬で振り返り、隠し持っていた鎌のような剣を居合い切りのように振り払った。
両足を切断する勢いで放たれた一撃。
チョウリは無理な体勢の中、空中に飛び上がるようにしてそれをかわそうとする。
一瞬でも回避が遅れれば、あるいはデンカの注意が遅ければ、彼の足は切り落とされていただろう。いかにチョウリが武術の達人とはいえ、無警戒の状態からそれを回避できたのは幸運としか言いようが無い。
だが――
「ちいっ……」
彼の右足には大きな切り傷ができていた。後二センチも深ければ骨まで達していたような大きな傷が。
ここでようやく入ってきた彼らを見たサイネリラは、きょとんとした表情をする。
「あれ、料理人さんたちですよね? こんなタイミングで入ってくるなんて――」
彼が言い終わる前に、デンカが生み出したボウガンから矢が放たれる。それはサイネリラの心臓をめがけて直進し、あっさりと彼に切り落とされた。
「ふふふ。こんな普通の矢じゃダメなんです」
「この距離で矢を切り落とせるってのがおかしいんだけどね」
デンカが入室と同時に作り出していた武器はボウガン。それはチョウリの前で銃を作ることに抵抗を覚えたからであり、サイネリラを過小評価したからではない。
本命の攻撃は他にある。
サイネリラの真横から、突然ナイフが現れた。
「えっ――」
それは予想不可能の一撃。
サイネリラには、部屋に入ってきた二人しか見えていないのだから――
ボウガンの矢に気を取られていた彼がそれを回避できるはずもなく、ナイフは横腹に深々とえぐりこむ。
「くぅッ……」
サイネリラが腹に走る痛みに苦悶の声を上げる。
だがそれで終わりではない。
「てめぇがスキャッターだな」
サイネリラに駆け寄っていたチョウリが右手の指を真っ直ぐに伸ばし、槍のように突き出した。目に見えぬほどの速度で貫手突きが繰り出され、そして――
サイネリラの胸に穴が開いた。
血が辺り一面に飛び散り、サイネリラの体が一瞬だけ痙攣する。そして、彼は動かなくなった。
だが、チョウリが警戒を解くことも無ければ、デンカがボウガンを下ろすこともない。
声が聞こえるからだ。
「いひひひひ」
楽しくて仕方がない。そんな無邪気な子供の笑い声が部屋の中に響き渡る。
その位置は、死んでいるはずのサイネリラのすぐ後ろ。
「んだこりゃ?!」
チョウリが刺さっている腕を引き抜き、素早く後ろに後退する。
そしてその瞬間。サイネリラの死体が霧のように霞み、その場から消え去った。
誰もが驚愕する中、一人だけ笑っている人間がいた。
フリルの大量に施された純白のドレスに身を包み、青い瞳と青いリボンが鮮やかに映えている。その笑顔は曇ることなく、いつも愉快なのだろうと思わせる。
「驚いちゃいました?」
サイネリラ・エル・デルフィニラスは、天使のような笑顔でそう言った。




