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実験15

 「これは……私がこの国に転移した直前の出来事ですね。そう、ここで不自然な黒い穴が現れて私は吸い込まれたのです。この時私の心にすきまができた、という事ですか?」

 「その通りだ。コウカ殿の生涯で最も心の動いた瞬間を劇にしたのだが、これがコウカ殿が元いた国なのかね?」


 その映像の中に映る世界はあまりにもこの国の常識とかけ離れていた。


 それは、日本の都市圏のビルにならどこにでもあるようなオフィスだったのだが、デルフィニラ国で一生を過ごしてきたコルチカには見慣れないものばかりだ。いくつも並んでいる机は寸分違わぬ大きさで、その上に置かれている紙は恐ろしい薄さと均一さを併せ持っている。


 窓の外を見れば、その建物がかなりの高度に位置している事がわかるが、周囲に並んでいる四角形の建物を見ると、高い場所に建てられているのではなく建物自体がかなりの大きさだという事がわかった。


 その光景はまるで――


 「――異世界のようでしょう。私も『この国』と『この国』がどの程度離れているのかまるで分からないのですよ」


 コウカは映像と地面を交互に指をさして、続ける。


 「私は元の世界でも娯楽を広めていてですね、会社――この国で言うところのギルドのような物なのですが――そこではかなり高い地位に付いていたのです。成功した者は幸せだと主張する人もいますから、私もそれなりの労力を賭けて一般的に言われている『成功者』となったのですが……。この映像に出てくる場所は、私が働いていた会社になります」


 そして映像の中でコウカが黒い穴の中に吸い込まれ、デルフィニラ国の面影のある町の中に転移して映像は終了した。


 人生で最も衝撃的だった出来事にしてはあまりにも短いとコルチカは感じたが、それよりも奇怪な事がある。


 「映像を見た限り、かなり文化の異なる国だ。聞いたことも見たこともない……これ程の距離の転移など前代未聞だ」

 「全くです。私の国でもこのような現象に関する記録はありませんでした。あぁ、もっとも、小説や映画などフィクションの世界では別ですが。

 娯楽について研究している身なので、その手の話にはかなり詳しいのですが……『異世界転移』というジャンルすら存在するほどですからね」

 「異なる世界かもしれないと?」

 「可能性は高いと考えています。……それにしても『異世界転移』の瞬間に私の心が動いた? その類の小説を読んでも何の感情も沸き上がらなかったが……実際に体験するとなると違うという事だろうか? これは……興味深い」


 異なる世界に転移するなど神話の中の話なのだが、コウカはそれ以上に映像について深く考え始めてしまう。その様子にコルチカはしばらくあっけにとられているが、やがてコウカはコルチカがいる事にたった今気付いたかのように顔を上げた。


 「失礼いたしました。これは自分にとっては実に参考になる結果だったもので……。私がスキャッターかどうか、コルチカ様の方ではなにか判断の助けになるような情報はありましたか?」

 「そうだな。『空劇くうげき』のスキルは映像がいつの物かも教えてくれるのだが、これは継承戦の数週間前だ。スキャッターが活動していたのは三年前からだが、コウカ殿がこの国に来たタイミングからしてそれに関わるのは不可能だろう」

 「つまり――」

 「コウカ殿はスキャッターではないと信用できる。この島を出るまでの間、ぜひ協力してほしい」


 そしてコルチカは握手をしようと、コウカに右手を差し出す――が、コウカはそれに応じなかった。


 「なにか問題でもあるのかね?」

 「えぇ。実は私もコルチカ様を信頼できるように確かめておいた方が良いかな、と思いまして。私のスキルは『絵心えごころ』、コルチカ様の考えを絵にできるスキルなのですが……使ってもよろしいでしょうか?」


 その言葉に、今まで黙って待機していたバーナバスが立ち上がった。


 「貴様ッ!――」

 「よせ、バーナバス。協力を申し出たのは我々だ。それに信頼関係なく完全な協力などできないだろう」

 「いえいえ。バーナバス様が心配なさるのはごもっともです。王族が騎士にスキルを使うのとその逆とでは、全く意味が異なりますからね」


 コウカは提案を出しておきながら、その問題点を上げる。


 彼の言う通り、王族とそれより圧倒的に力の強い騎士が互いにスキルを使うならば、どちらが危険かは自明なのだ。コウカが嘘をついている可能性もある現在、コルチカがコウカにスキルの使用を許すとはつまり、命を賭ける事にも等しい。


 「ですから。私がコルチカ様にスキルを使用する際、バーナバス様はいつでも私を殺すことの出来る状態にいてください」

 「遠慮なくそうさせて貰おう」


 そう言ってバーナバスは腰につけていた鞘から一振りの剣を引き抜き、構える。刃に特殊な紋様の施されたその剣はただの剣ではなく、魔法による強化を可能とした魔法剣だった。その切れ味は凄まじく、生身の人間などいともたやすく切り裂いてしまうだろう。


 だが、それを見てもコウカは余裕を失わない。その態度は、自分は何も怪しまれるような事はしないと、そう証明しているかのようだった。


 「では、コルチカ様はこれを握ってください」

 「うむ」


 コルチカは手渡された『それ』を握りしめる。


 「コルチカ様は、幸せになるためなら『自分の出来る何もかも』を行うべきだと思いますか?」


 王位継承戦についての質問だろうか。

 少しの間考えて、コルチカは答えをだす。


 「幸せのために出来る限りの努力をするという意味なら、無論そうだ。だからといって人を害するような行為が許されるとは思わんがな」

 「なるほど……」

 「今の質問はコウカ殿のスキルと関係があるのかな?」


 コウカは顎に手を当てて、首をかしげる。

 そして、何か思い出したかのような顔をした。


 「あぁ。先ほどのスキルは――嘘です」


 そして、コルチカは握りしめていた『それ』がなにか全く異なる物に変容していた事に気が付いた。


 今、彼の手の上にあるその『生物』は、八本の脚を持ち、いくつもの目を持ち、全身をびっしりと毛で覆い尽くした黒く気味の悪い生き物だった。


 「――なッ!」


 心臓が飛び出すかと思うほどの驚愕と共に、コルチカは手を勢いよく振り払う。その『見たことのない生物』は遠心力によって彼の腕から引きはがされたが――。


 遅い。


 コルチカは自身の右手に鋭い、噛まれたような痛みを感じた。それはやがて痺れるような感覚と共に全身に広がり、彼は体を動かす事が出来なくなった。


 コウカは敵だった、だが、このような状況を防ぐためにバーナバスが警戒していたはずなのだ。なぜあの気味の悪い生物が現れた瞬間に、バーナバスはそれを切り殺さなかったのか。彼の腕があれば、たとえコルチカの右腕の表面全てを覆い尽くすほどにあの生物がいたとしても、対処できていただろう。


 バーナバスのいた位置になんとか眼球を向けた時、コルチカはその原因を理解した。


 「こんにちは。コルチカお兄様」


 そう話しかけてきたのは、サイネリラ・エル・デルフィニラスだった。

 彼の金色の髪と赤色の瞳は眩しいほどに輝いている。しかしそれに負けぬほど輝いているのは彼の笑顔だ。天使の様と形容しても、なお過小評価になってしまうような喜びに満ちた笑顔。彼の着ている服には純白のフリルが大量に施されており、至る所に赤いリボンが取り付けられている。


 そして彼の右手には、見たことの無い、ドラゴンの頭部を切り落とし、ひも状にしたかのような生物がぶら下がっていた。その生物の頭はしっかりとバーナバスに噛みついている。


 コルチカは理解せざるをえなかった。


 この二人は、島の現状を見て殺し合いに参加したのだ。

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