実験14
「どなたですか?」
コルチカが扉にノックすると、返事をしたのは青年の声だった。
サイネリラの声ではなかったが、コルチカにはその声に聞き覚えがあった、サイネリラの騎士の声だ。
「コルチカ・エル・デルフィニラスだ。サイネリラ殿に話があるのだが」
「どうぞ」
そしてコルチカが想像していたより無警戒に扉が開けられ、中から二人を出迎えたのは一人の若い男だ。
若い――といってもサイネリラのように十代前半といったような極端な若さではない。見た目で判断するならば二十代。より正確に予想を立てるのならば二十五、二十六といえば大きく外れてはいないだろう。だが、その男の落ち着いた態度や雰囲気は、彼の見た目を相対的に若いと思わせる。
まるで白いキャンバスのような男だ。
彼を初めて見た時、コルチカはそう感じた事を思い出した。服はどこにでもありそうな執事服。表情は平坦としていて何を考えているか分からない、何も考えていないと言われても納得できてしまいそうだ。
だが、何も考えていない男だというのはあり得ない。彼とサイネリラの関係を見ていると、彼がサイネリラの手綱を引いている事が透けて見えるからだ。まだ十歳を少し過ぎた程度の、若いサイネリラの代わりに様々な判断を下しているのがこの男なのだろう。
「サイネリラは少し寝込んでいるので、用件は私が承りましょう、こちらにおかけください」
サイネリラ、とこの騎士は主を呼び捨てにしているのだ。その事からもどちらが主導権を握っているかは明白。コルチカにとっても、用件があるのは何の力も持たないサイネリラではなく、その騎士の方なのでなんら文句は無かった。
「そうさせてもらおうかな。改めて自己紹介しよう。私がコルチカ、こちらの彼が私の騎士であるバーナバスだ」
「よろしくお願いします。コルチカ様、バーナバス様。私は海後硬貨と申します。現在はサイネリラの騎士を務めております」
「うむ。ところで、最近サイネリラ殿の領では何やら新しい遊びが流行っているそうだが、ひょっとしたらコウカ殿はそれについて何か知っているのかな?」
コルチカが何気ない世間話を切り出す。回りくどい話し方は貴族らしいと言えば貴族らしいのかもしれないが、この命のかかった状況に限っては貴族でも反感を抱くような行為だ。
だが、目の前の男が信用に値するか判断するためにも、コルチカはあえて石橋を叩いて渡るように落ち着いて話を進める事にした。それは、長年の経験を持っている彼ならではの判断だった。
そのことを知ってか知らずか、コウカもまた落ち着いた態度で会話に応じた。
「えぇ。特に隠している事でもないのですが、現在サイネリラの領で生み出された娯楽の殆どは、私が作り出した物なのですよ。もっとも、私が作り出したと言ってもそれはこの世界――失礼。この国の中での話であって、実際は私の国に既に存在していた物を改めて作り出したのに過ぎないのですがね」
「それは……知らなかったな。まさかコウカ殿があの素晴らしい娯楽を流行らせた張本人だったとは。私もピアノという楽器は気に入ったのだよ」
「ありがとうございます。ですが私自身は素晴らしい人間でもなんでもありません。私は結局、自分自身が幸せになりたいだけなのです。娯楽を学んでいたのも広めたのも、その一環ですよ、娯楽ほど人を笑顔にできるものは存在しませんからね」
「いやいや、周りを幸せにできるなど、それだけで素晴らしい知識だ。それに加えて騎士に選ばれるほどの実力があるとなると、サイネリラ殿は私の想像以上に優れた人脈をお持ちなのかな?」
ふむ、とコウカが顎に手を当てて首をかしげるような仕草をする。相変わらず無表情のままではあったが。
少し突っ込んだ話をしすぎたかとコルチカは心配したが、それは懸念だった。
「実を言うとですね、私がサイネリラの騎士となったのは偶然が大きいのですよ。私が元いた国から原因不明の現象によりこの国にたどり着いた時、最初に私を拾った貴族がサイネリラだった、というだけの事なのです」
「なるほど……」
そう言いつつも、コルチカの中で一つの疑問が浮上した。
そのようなどこの人間かもわからない者を騎士に選ぶのか、と。だがこの点は人それぞれ感性が異なることであり、それほどの実力をコウカが持っているのかもしれないと考え、コルチカは疑問を頭の外に追いやった。
今重要なのはそんな事ではなく、コウカがスキャッターかどうか、他人に危害を与えるような人間かどうかだ。
あくまでコルチカの勘だが、娯楽に対する情熱も幸せになりたいという話も、本当の事であるように感じた。
だが、欲しいのは曖昧な予想ではなく確証だ。
「そろそろ、本題に入りたい。今日サイネリラ殿を訪ねたのは協力関係を結びたいと考えたからだ、この島の中限定でも勿論構わない」
「そうではないかと思っておりました。こちらとしては願ってもない申し出です」
「だがその前に一つ聞かせてもらってもいいかな?」
再びコウカは顎に手を当てて首をかしげる。無表情のまま、そうして考え事をするのは彼の癖なのだ。
「昨日アルヴェンスと会っていたそうだが、それは何故なんだ? 私はアルヴェンスを完全に信用しきれないのでね、それだけは聞いておきたいのだが」
「そのことでしたか。
あれはサイネリラではなく、私個人の希望だったのです。アルヴェンス様の騎士の名前がシグレだったので、もしや私と同郷なのではと思い、話しに行ったのです。残念ながら同じ国出身ではないという結果に終わってしまいましたが」
あり得ない話ではない。確かにコウカとシグレの名前の響きは似ている。
これで九割がた信用はできた。後一割、確証が欲しい。
「コウカ殿。心には、空隙というものが存在する。喜んだとき、楽しいとき、そう言った感情の高ぶりの間には必ず隙間が生まれるのだ」
「……」
「スキャッターのような殺人を犯すものには、必ず心の空隙が存在する。それが何か過去のトラウマから生じる衝動であっても、悦楽を伴う殺人であっても、人を殺した時に心は必ず揺れる物だ」
「何がおっしゃりたいのでしょう」
「私のスキルは『空劇』。他者にとって辛い過去を、まるで劇を見るかのように再生することの出来るスキルだ」
その言葉を聞き、コウカは首をかしげる癖をやめた。
「なるほど。つまり、それで私の過去を再生し、スキャッターかどうかの確証を得たいという事ですか」
「その通りだ」
「心の空隙……と仰いましたが、空隙の無い人間の過去を再生する事は出来るのでしょうか? 私は残念ながら、生まれてこのかた激しい感情の高ぶりを感じた事が無いのですが」
「それは無用の心配だ、程度の差はあれ、完全に満たされている人間など存在しないからな。それより、スキルを使うことを了承して頂いたと言う事でよろしいかな?」
「……やってみましょう」
コルチカは心を覗いてもいいのかという意味でその問いかけをしたつもりだったが、コウカは出来るかどうかが興味深いといった様子で同意した。
「では……あなたの過去、あなたの心の揺れ動いたその時を舞台に再生しよう。『空劇』」
コルチカの言葉と共に、その場にいた三人の周囲をぼんやりとした半透明の映像が包み込んだ。それは映像であるにも関わらず立体的で、地球に生きていた人間ならばホログラムという言葉を連想したことだろう。
それは半透明なまましっかりとした形状を持ち始め、『舞台』を作り上げた。そして、映像がゆっくりと動き始める。




